何とも大げさなタイトルが付いたが、
実はここ数ケ月前から異様な衝動的欲求に駆られている。
私は写真に出ている蕎麦は、うどんと並んで大好物である。
しかしその事と衝動的欲求は無関係なのだ。
その衝動的欲求の原因というかその心理の裏にあるものを読み解いて欲しいのである。
自分では全く分からないし、理解不能なのである。
その衝動的欲求というのはいわゆる主に食品(でなくてもよいのだが)の粉末、
たとえば、小麦粉・そば粉・片栗粉・だんご粉・打ち粉・強力粉・中力粉・薄力粉等々。
家内に頼んで買い物のついでに買って来てもらった。
とりあえず、時間もなかったので、作り方に書いてあった蕎麦がきとそば湯のうち
そば粉を10gカップに入れてお湯を入れまさしくコーヒーと同じくして飲もうとしたが
だまができて飲めなかった。だまを一粒一粒つぶしていたら嫌になったので一気に飲んだ。
ようはそば粉を食ったのだ。要するにその程度の知識なのだ。
話はずれたが、衝動的欲求の内容は、その食用の粉を手指で思いっきり握りニュギュニュギュすると
指の間から粉が零れ落ちながら、キュッ!キュッ!と擦れ合う音がたまらないのである。
こういうのをそば粉オタクとでもいうのだろうか・・・・・・??
これまでの人生で似たような状況を思い出すと、釉薬を作るときの原料、
例えば長石やカオリン、土灰、藁灰その他多くの粉末原料を混ぜてきた事。
今はできないという現実がそういう食品粉末に対する欲求となって・・・・・。
しかしそれもあまり自信のない分析である。
どうかもし精神分析医のフロイトさん、ご覧になっていれば分析を!!
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おやつに
そば粉と砂糖混ぜてお湯さして
好きでした
そういう~昔体験に基づく賀茂 (^^♪
フロイトは...どういうかは、しりませ~~んけど
それ、ひょっとして「はったい粉」あるいは「香煎(こうせん)」とか言ってませんでした?
大好きなおやつでしたね!
私は今でも小麦粉をメリケン粉と呼んでしまいます。
どんなに貧乏してもメリケン粉だけはありました。
お米はありませんでした(爆)
子供の頃、メリケン粉か、片栗粉、こうせん、を
お母さんと共同作業で、なにか料理をしたことを、
想い出したんじゃありませんか?
そのときの、心時良い手の感触、そして、お母さんとの
いい想いで。
それが、釉薬の時もよみがえったんですよ。
心時良い手の感触もだけど、ポイントは、
お母さんですよ。
粉は砂のイメージです。
<砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日>
<いのちなき砂のかなしさよ さらさらと握れば指のあひだより落つ>
<頬につたふなみだのごわず 一握の砂を示しし人を忘れず>
心理の奥にあるのは、痛みに満ちた初恋であります。じゃん!
しかし自覚はないんですが意外とそういうものなのかもと思いつつ、・・・・・・
我が家の落ちこぼれ息子が5年ほど前に他の生徒が受験勉強に没頭する姿に反抗して、粉洗剤を抱えて校舎の屋上から、下に手から滑り落ちる洗剤に当たる夕陽の反射が七色に光り美しくて、美しくていつまでも・・・・
次の日、学校から私・保護者が呼び出され、なんでそんな事をしたのかと尋ねると、「あまりに太陽がまぶしくて・・・」なんてふざけて答え。まるでアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」でした。実存主義者も今や忍耐強いサラリーマンになりました(爆)
朝早くから夜遅くまで働いていたので何かを一緒にした思い出などないんですよ。
でもとかくこんな話題になった時、還暦も過ぎて、幼児経験でオカアチャンのオッパイまでさかのぼるかも??と思いつつ・・・・(爆)
でも、私に時代はそんな気持ちのいい粉ミルクもなかったしな~~~!!(爆・爆)