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映画「ウィンストン・チャーチル」を見る

2023年04月10日 | 旅行
日本を歩く>  2018.6+2023.3 映画「世界をヒトラーから救った男 ウィンストン・チャーチル」を見る


 原題はDarkest hourである。イギリス人はdarkest hourといわれれば、1940年5月24日から始まったナチスの攻撃であわやというときに、カレーの守備隊4000人?を犠牲にしてダンケルクに集結していた30万人のイギリス軍を6月4日に撤退させることに成功した「ダンケルクの奇蹟」を思い出すようだ。
 しかし、日本人にはdarkest hourでは想像しにくいから、大げさな表現だが「世界をヒトラーから救った男 ウィンストン・チャーチル」に改題したのであろう(ポスターweb転載)。


 主演はウィンストン・チャーチル(1874-1965)を演じるゲイリー・オールドマンで、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した。
 オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップ・アーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞していて、テレビでも紹介されたから、映画に興味を持った。 
 チャーチルが生まれたのは、イギリス・オックスフォード近郊のブレナム宮殿Blenheim Palaceである。2016年6月のイギリス・ツアーでブレナム宮殿を訪ねている(写真)。
 貴族だったジョン・チャーチル(1650-1722)が、スペイン継承戦争のさなかブレナムで戦功を立てた。当時のアン女王は建設中の宮殿を下賜し・・以来、ブレナム宮殿と呼ばれる・・、マールバラ公爵位を授けた。
 ウィンストン・チャーチルの祖父が7代マールバラ公で、両親が舞踏会に呼ばれたときにチャーチルがここで生まれ、宮殿内の礼拝堂で洗礼も受けたそうだ。ツアーでは、チャーチルが使った部屋(写真)や礼拝堂などを見学した。


 ウィンストン・チャーチルの前任はチェンバレンである。チェンバレンはナチスとの宥和政策を進めようとしたが、野党の反対で破綻し、辞任する。
 与党野党が受け入れられる人物としてチャーチルが選ばれた。しかし、戦争の犠牲を少なくすべきとする和平交渉派が優勢である。国王ジョージ6世も、当初は強引な性格のチャーチルを好ましく思っていなかった。


 この映画の舞台は国会議事堂、地下の作戦本部で、チャーチルがダンケルクに残された30万人の兵力をいかに脱出させるかで苦悩する場面が中心になっている。
 当時は電報で指令を出していたから、リリー・ジェームズ演じる秘書エリザベスがタイプを打つのだが、カレーを見殺しにする電文をタイプするときの演技はもらい泣きするほどの名演だった。
 チャーチルも4000人の犠牲に苦悩し、和平交渉に傾くべきか悩み、苦しむ。そこへジョージ6世が訪ねてきて、和平に応じればなし崩しにナチスの支配に下るのではないか、国民の生の声に耳を傾けて判断するよう諭す。
 チャーチルは始めて地下鉄に乗り込み、乗客の話を聞いて、決断を下す。国会での演説は素晴らしく、チェンバレンもチャーチルの演説に賛同する。そして、カレーに援軍は遅れないが死守せよと指令を送り、ダンケルクの奇蹟を成功させる。


 映画はここで終わるが、歴史の通り、5年後の1945年7月にナチス・ドイツは降伏する。降伏後、ベルリン郊外ポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿で、アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリンが集まり戦後処理について話し合った。その結果がポツダム宣言である。
 2015年5月の北ドイツ・ツアーでツェツィーリエンホーフ宮殿を見学した(写真)。ポツダム会談の部屋や誰がどの椅子に座ったかなどの説明を受けた。
 チャーチルの生まれたブレナム宮殿、ヒトラーと戦うチャーチル、戦後処理を話し合ったツェツィーリエンホーフ宮殿が線でつながった。


 広島、長崎の原爆を始めとして、戦争による犠牲はいつも多大で悲惨である。戦争のために死を選ばざるを得なかった人々に合掌。
 戦争が始まってからでは犠牲を止められない。第2、第3のヒトラーを生まない世界を目指すべきと思う。映画を見終わってそう思った。
 (2018.7+2023.4)
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