<世界の旅・イタリアを行く> 2020.1 シチリアの旅 11 マルトラーナ教会 サン・カタルド教会
シチリアの旅3日目16:00過ぎ、サンタ・カテリーナ教会を出る。ベッリーニ広場Piazza Bellini の向かい側には、古い城壁?の上に左にマルトラーナ教会、右にサン・カタルド教会が並んでいる。
1997年にもベッリーニ広場を歩いていて、マルトラーナ教会は城館のようであり、サン・カタルド教会は3つの赤い丸屋根を乗せていて、どちらも教会とは思えなかったし、時間もなかったので見学しなかった。ところがその後、パレルモのアラブ・ノルマン様式建築群として世界遺産に登録された。どんなデザインだろうか、どんな由緒だろうか、気になるがサン・カタルド教会は修復のシートで包まれていた。サン・カタルド教会の参観はあきらめ、マルトラーナ教会の参観に向かう。
城壁?の高さは4-5mで、どちらの教会も2つの教会のあいだの階段からアクセスする。
マルトラーナ教会Chiesa della Martoranaは、ルッジェーロ2世(1095-1154)に仕えた海軍提督が1143~1151年に建てた聖母マリアに捧げる東方正教会・・現在は東方典礼カトリック教会・・である(写真)。そのためSanta Maria dell'Ammiraglio提督の聖母マリア教会でと呼ばれた。
12世紀末、貴族マルトラーナの出資で、ベネディクト会派の女子修道院が提督の聖母マリア教会に隣接してつくられた。15世紀に修道院が教会に吸収され、その後はマルトラーナ教会と呼ばれるようになったそうだ。
身廊は東西軸で、鐘楼の建つ向かって右=西面が入口、向かって左=東面がアプスになる。後世、ベッリーニ広場に面した北面にバロック様式の入口が加えられた。そのためベッリーニ広場から見上げると城館を思わせるたたずまいに見えてしまう。
鐘楼の窓周り、窓の中柱、外壁のデザイン、堂内床の幾何学紋様(写真)などにイスラム的=アラブ様式のデザインが採り入れられている。
一方、城館を思わせる北面入口のように、後世の改修、改築ではその時代に流行したルネサンス様式やバロック様式も採用されている。時代ごとの流行の様式を採り入れながら改修、改築が行われていることは、パレルモが時代に遅れず繁栄を続けてきたことをうかがわせる。
参観2€を払い、西面入口から堂内に入ると、聖書をモチーフにした金モザイク画のきらめきが目に飛び込んでくる(写真)。丸天井はもちろん、アーチの縁取りもビザンチン様式を基調にしたモザイクで装飾されている。
平面は3廊の長方形バシリカ式で、中央身廊奥のアプスは大きめの半円、左右側廊奥のアプスは小さめの半円の三つ葉型である。主祭壇には聖母被昇天が描かれている。主祭壇の側壁はバロック様式の彫刻で飾られ、丸天井クーポラcupolaにはフレスコ画が描かれている。これらは後世の補修であろう。
身廊のクーポラには、左手に開いた聖書をもち右手で幸福を示す、全知全能のイエス・キリストが金モザイクを多用して描かれている。
その隣のアーチ天井には金モザイクで、聖母とキリスト誕生の場面(写真左)や聖母昇天の場面(写真右)が描かれている。聖母マリアが多く描かれているのは、聖母マリアに捧げる教会だからであろう。
天井画やアーチの縁取りなどに大勢の聖人、天使が描かれているが、解説パンフレットがないので誰か?、どんなテーマか?の理解はここまでである。礼拝し、マルトラーナ教会を出る。
マルトラーナ教会を出ると、真っ正面にサン・カタルド教会Chiesa San Cataldoが建っているが、修復工事のシートで覆われていて、赤い3つの丸屋根しか見えない(写真、ベッリーニ広場からの眺め)。参観も受け付けていなかった。
提督の聖母マリア教会が建てられて間もなく、グリエルモ1世(1120-1166)の宰相が自分の館の礼拝堂を建て始めたらしい。ところが完成間近に暗殺され、1154年、未完のまま工事は完了する(写真、web転載)。
向かって右側=西面に入口、マルトラーナ教会側の東面にアプスを配置した東西軸で、中央身廊と側廊の3廊式である・・実際の礼拝は北面右のアーチ型入口を使うらしい・・。内外壁の粗い石積みのままの箱のような直方体は、暗殺により工事が中断したことを伝えている。
中央身廊のアプスは大きめ半円、左右側廊のアプスは小さいアプスで、中央身廊の上に3つの赤い屋根のクーポラをのせている(写真、web転載)。
床や壁上部アーチ窓の格子などはイスラム的=アラブ様式の幾何学紋様だが、壁もアーチもクーポラも石積み+煉瓦積みのままである。おそらく壁、天井はビザンチン様式の金モザイクで仕上げ、典型的なアラブ・ノルマン様式に仕上げるつもりだったのではないだろうか。
その後、次の宰相の所有になり、モンレアーレ大聖堂で回廊を見学したベネディクト派修道院の介護施設を経て、1787年には新古典様式で改修された郵便局として利用され、1885年に建設時のアラブ・ノルマン様式に復元されたそうだ。
サン・カタルド教会の名について資料は触れていないが、シチリアノルマン人の守護聖人聖カタルドに由来するかも知れない。カタルドは、アイルランド出身で、7世紀、エルサレムから帰る途中、船が難破してイタリアに上陸、大司教となり数々の奇跡を起こし、ターラントで没したのちに聖人に列せられたそうだ。シチリアノルマン人の守護聖人ということであれば教会の名前にしたのも真実みがある。 (2021.4)