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浅田次郎「一路 上下」2/2

2021年04月30日 | 斜読

book529 一路 上下  浅田次郎 中公文庫 2015

 四日目/12月6日、妻籠宿を早立ちする。三留野を過ぎて険しい登りになったうえ、峠越えの与川道が崩れて立ち往生する。死人が出そうな断崖絶壁の難所だが、一路は与川越えを敢行する。
 殿の「田名部の宝は物にあらず、おのおの方の命」を聞き、涙を流して重荷の品を捨て、荒縄を張って体を支えながら、土砂がひっきりなしに崩れる難所を渡りきる。
 将監は殿を狙う好機と伊東喜惣次に指図するが、殿は斑馬で難所を乗り切る。
 上松宿泊だが、本では触れていない。

 五日目/12月7日、上松から2里半の木曽福島関所前で、軍勢ごとき一行は明六ッ=6:00ごろの開門を待っていた。与川越えを信じられない関守は与川崩れを検分し、かつて爺から聞いた蒔坂家こそ戦国武将の話を思い出し、与川崩れを乗り切った一行に報いようと、蒔坂家が捨てた持ち物を拾い奈良井宿本陣に届ける。
 奈良井宿の一行は疲労困憊していたので、一路は翌朝の出立を明け七ッ=4:00から六ッ=6:00の遅立ちに変える。

 六日目/12月8日、奈良井を立ち、木曽路を抜け、塩尻峠で諏訪平を一望し、湯宿が軒を連ねる下諏訪宿に着く。
 殿は諏訪大社秋宮に詣で、馬籠宿の火災で親を亡くした娘の加護を願う・・娘との約束を果たすなど、殿のひたむきな生き方は決してうつけではないが・・。
 うつけのふりをして湯に浸かる殿を、一路の下知で勘十郎が護っていたため、将監のもくろみはまたもはずされる。

 七日目/12月9日、下諏訪宿は横殴りの雪のうえ、和田峠は中山道随一の難所である。雪人形のごとき80人は、殿の決断で鬼の栖といわれる和田峠に向かう。
 雪に埋もれあわや凍死の寸前、殿は年老いた白雪に乗る。白雪が拓いた道を一人また一人と和田峠に這い上がり、一行は和田峠に立つが、白雪は斑馬にあとを託し、絶命する。
 和田宿の夜半、軍記奉読のさなか、辻井良軒が殿に眠り薬を処方する。供頭一路が毒味しようとして、良軒と諍う。殿は家来が諍うことほど悲しみはないと語り、供頭とともに眠り薬を服用する。
 良軒は喜惣次から砒素を混ぜるよう指示されていたが、殿の采配を見てけっしてうつけではない、自分がだまされていたと気づき、すでに小野寺、栗山に薬を処方した咎を負いながら医術の道を歩むと、喜惣次に反発する。将監の計略はまたも失敗する。

 八日目/12月10日、佐久平を通過して岩村田宿に着く。岩村田は内藤家の陣下である。譜代大名の鑑とされる内藤家と蒔坂家の江戸屋敷は隣り合わせで昵懇だった。
 17歳で内藤家を継いだ志摩守は奏者番の大任を務めていて気位が高い。挨拶に出向いた殿をないがしろにし、築城中につき祝儀を包めと言う。殿は、隅櫓ぐらい建つほどの名刀、東照神君拝領一文字吉房を差し出す。これに志摩守が窮し、一件落着する。
 天狗になった志摩守とうつけの殿の刃傷を期待していた将監はまたも狙いがはずれる。

 九日目/12月11日、朝七ッ、一行は岩村田を発ち、佐久平を眺め、軽井沢に向かう。
 一方、加賀百二万五千石前田慶寧の妹乙姫16歳の一行300人余が浅間山を愛でながら、ゆるゆる進んで来る。
 蒔坂家一行は早足で、参勤道中につき身分の上下かかわりなく失礼と、乙姫一行を追い抜く。斑馬の殿はみごとな手綱さばきで無礼をわびる。続いて供頭一路が無礼を言上したところ、乙姫は供頭を呼び止め珊瑚玉の簪を渡す。乙姫は初恋をしたようである。
 蒔坂家一行は碓氷峠の緩やかな長い登りに入るが、疲れ切っていた。駕籠に乗り換えた殿が熱を出す。殿は、行列が止まれば迷惑をかける、松井田へ向かえと一路に命じ、松井田宿まで押し通す。
 松井田宿本陣で、倒れ込むように床に入った殿に良軒が薬を処方する。良軒は、将監、喜惣次に脅されたが毒を処方しなかった。将監の企みはまたも頓挫する。

 十日目/12月12日、上野国安中城主板倉主計頭勝殷は殿と昵懇だった。板倉家はまた、安中流遠足術が家風だった。殿の発熱を聞いた板倉勝殷は自ら松井田宿までの2里16町≒9.8kmを走り、見舞いに訪れる。
 そのうえ、参勤交代遅延の届書を、安中流遠足術の極意である3人一組で走る風陣の秘走で、江戸表までの32里≒128kmを三刻半≒7時間(季節によって異なる)で届けてくれることになった。・・その後、江戸では風陣の秘走がつむじ風?、天狗?と噂になる・・。
 一方、前田家乙姫はお付き女中の鶴橋に初恋を話す。鶴橋は竹駕籠に姫を乗せ、合戦に望むお気持ちでと早駕籠で松井田宿本陣に向かう。その夜、小野寺一路は姫と星空の下で語りあう。

 このころ、田名部の城下では、由比帯刀の御家乗っ取りに反対した国分七左衛門が牢屋に押し込められてしまう。一路の許嫁である七左衛門の娘薫は、中仙道に向かって手を合わせ、存分にお働き下されと願う。
 
 十一日目/12月13日、殿は板倉勝殷が持参した下仁田葱が効いて回復する。一行は1日遅れで松井田宿を立ち、深谷宿を目指す。
 ところが、信州小諸城主一万五千石の牧野康哉が、井伊大老に抜擢されて若年寄を努めたが井伊大老が桜田門外で暗殺され体制が変わったため罷免され、加えて病いが重く、御暇の途中で深谷宿を本陣としていた。本陣差し合いである。
 供頭一路は1日遅れとはいえ蒔坂家が本陣手配済み、と牧野家供頭に主張する。牧野家供頭も格上の大名が本陣、格下の旗本が脇本陣と譲らない。
 殿は、供頭、家来にかまわず、葱を手にして本陣の牧野康哉を見舞う。牧野は殿の明晰さをほめ、殿は若年寄りの仕事ぶり範とすると応え、病の牧野に本陣を譲り、自らは脇本陣に入る。
 深谷宿は殿の心意気に感じ入り、蒔坂家一行に大盤振る舞いする。

 十二日目/12月14日、蒔坂家一行の最後の夜は桶川宿である。
  将監は前日、深谷宿を早立ちして桶川には泊まらず、大宮・氷川神社に向かった。
 ・・江戸での風陣の秘走の噂や、蒔坂家江戸屋敷でのすずと一路の母の話が挿入される・・。
 桶川宿では、佐久間勘十郎が賭場で大当たりしていた。このとき渡世人浅次郎に出会う。・・あとで浅次郎は、将監によって家族とともに放逐された幼なじみと分かる・・。

 十三日目/12月15日、明け七ッに桶川宿を立つ。殿は、一行を参道に待たせ、武蔵国一宮氷川神社の参拝に向かう。一の鳥居で馬を下りた殿を、将監の企みが気になる勘十郎、足軽、一路が護衛する。殿は、偶然出会った寺社奉行井上河内守一行とともに参拝する。その間に、殿の護衛の家来が、御家転覆を企む2名の敵を倒す・・将監の計略を切り抜ける・・。
 荒川・戸田の渡しで横殴りの雪になる。将監の指示で、御座船に殿、斑馬、将監、喜惣次、手下が乗る。覚悟を決めた殿は自ら溺れ死にし、将監に蒔坂家当主の座を譲ると話すが、悪党たちは刀を抜き殿に迫る。その瞬間、船頭のふりをしていた浅次郎が手下を鋭い剣裁きで倒し、将監の首をはねる。

 15日夕刻、古式に則った一行は艱難辛苦を感じさせないあでやかな行進で板橋宿を過ぎ、ついに本所吉田町江戸屋敷に到着する。・・側用人伊東喜惣次を自らを恥じ、土蔵で切腹する・・。
 このあと、徳川家茂とお庭番の話があり、最後に、家茂に呼び出された殿に家茂が一万石に加増し大名に列すると下知するものの、殿は、自分は家康公より安堵された田名部七千五百石の将であり、七千五百石の民に一所懸命でありたいと、一万石・大名を断る。家茂は一所懸命の志に同感し、僭越であったと応える。
 最後に参勤道中の解消、一路とは人生一路、斑馬の将軍家献上、もと馬喰の角界入りなどが語られ、大団円のなか幕が下りる。

 気づいた名言、「神仏を恃む暇があるなら面倒をかけた人々に頭を下げよ」「横着は不忠、怠惰は真実を損なう」「武士の面目は他聞他目にあらず、自聞自目に恥ずるな」「無理か否かはお努めを果たせるか否かである、前を見て歩め、振り返るな、おのれを信じよ」

 中山道を通しで旅したことはないが物語に登場するほとんどの名所は訪ねているし、脚色されているが史実も織り込まれていて、物語が身近に感じられた。展開もハラハラさせてはホッとするように収めていて、気分爽快委に読み通した。殿の思いやる気持ち、一路のひたむきさも気持ちを前向きにさせてくれる。
 新型コロナウイルス感染自粛などで気分がうっとうしくなった人におすすめである。物語に引き込まれ、興に乗って参勤道中記を図化しながら読んだ。   (2021.4)

 

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