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2020.1シチリアの旅 12 ガリバルディ庭園 キアラモンテ宮

2021年04月15日 | 旅行

世界の旅・イタリアを行く>   2020.1 シチリアの旅 12 ガリバルディ庭園 キアラモンテ宮

  シチリアの旅3日目16:20ごろ、ベッリーニ広場に下りる。夕食の集合時間19:00・ホテルロビーまで間がある。パレルモ市街地図を広げ、ベッリーニ広場とホテル・フェデリコⅡの位置を確かめる。
 ベッリーニ広場から海に向かって東に歩き、キアラモンテ宮見学、港を見ながら北に歩き、サン・ドメニコ教会あたりを西に歩いて、ローマ通りを北に進めば、ホテルまでおよそ1.7-1.8kmぐらい、歩けそうである。
 ローマ通りVia Romaに出る。地図を確認していたら、通りがかりの女子大生?が「どこに行きたいですか?」と話しかけてきた。地図のキアラモンテ宮を指さしたら、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りVia vittorio Emanueleを右に曲がり歩きで5分ぐらいと教えてくれた。シチリア人の親切を感じる。

 ヴィットリオ・エマヌエーレ通りは、石積みの歴史を感じさせる建物が4階建てに高さをそろえて並んでいる。ところどころにオープンカフェが設けられているが、車も走る。歩車、飲食、歓談混在の通りである。
 5分ほど歩くと右手の建物が途切れ、広場になった。広場の手前に樹木で半ば隠れた噴水が見える(写真)。地図を確認する。ガラフォの噴水Fontana del Garraffoらしい。
 このあたりが150m四方ぐらいのマリーナ広場Piazza Marinaで、真ん中に100×100mほどの樹木がこんもりしたガリバルディ庭園があり、その向こうがキアラモンテ宮のようだ。
 
 ガリバルディ庭園Giardino Garibaldyの入口扉が半分開いていて、犬を連れた婦人が入っていった。キアラモンテ宮の近道になると思い、庭園に入った。この庭園は 1861~1864年につくられ、1861年に成立したイタリア王国の国民的英雄ジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)の名が付けられたそうだ。
 中ほどに高さ30mぐらい、幅は50mもありそうな巨木が大きく枝を広げている。気根がたれていてガジュマルを連想する。イタリアではbanyanと呼ぶらしく、このbanyanはヨーロッパ最大、イタリア最古の樹木だそうだ・・想像をたくましくすると、ここにもともとbanyanの大木が勇姿を見せていて、イタリア王国成立を記念しbanyanを中心にした庭園が造られ、ガリバルディ庭園と名付けられた、と思える・・。
 日が傾いてきた。庭園は柵で囲まれていて出口が見つからず、入口に戻った。遠回りになったが、神木のようなガジュマルに出会えたから吉であろう。

 マリーナ広場を大回りして、由緒ありそうな建物を発見する(写真)。地図にはガレッティ宮Palazzo Gallettiと記されている。16世紀ごろの建造で19世紀にネオゴシック様式で改造されたらしい。窓周りにアラブノルマン様式もうかがえる。
 港に近いから、有力貴族や大商人がこのあたりに館を次々に建て、改修、改造を加えながらいまも活用しているようだ。
 ガレッティ宮の左隣にはバロック様式の改修が見られる建物が建っていた。

 広場を左に折れた隣がキアラモンテ宮Palazzo Chiaramonteである(写真)。1307年にゴシック様式で建造された。上階窓周りなどはイスラム的=アラブ様式である(写真)。アラブノルマン様式はデザインとして定着しているようだ。
 石積みの1階には、小さな高窓と銃眼と思える縦長のスリットしか開けられていない。14世紀初頭は、シチリア住民の反乱=シチリアの晩祷をきっかけにスペインアラゴン王が介入し、ナポリ王国とシチリア王国に分裂した時期である。要塞の機能も加えられたように見える。
 いまは博物館として公開されているはずだが、扉は閉まっていた。横の通用口から出てきた人に聞くと、今日は全館貸し切り?らしい。
 キアラモンテ宮は外観だけしか見られなかったが、ガレッティ宮も見たから、中吉ぐらいかな。

 17:00ごろ、マリーナ広場から北西に歩く。ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを渡ると右手は海=La Calaで、船が見える。
 海沿いの通りは車の往来が多い。魚市場らしいにおいが漂ってくる。街並みは雑然としている。街灯も少なく、地図もぼんやりしてきた。早足でローマ通りを目指す。教会が現れた(写真)。薄暗い中で目をこらし、教会の銘板を確かめる。サン・ドメニコ教会Chiesa di San Domenicoだった。
 教会の前の通りはローマ通りである。人通りも多く、街灯も増えた。ホテルの方向が分かると一安心になる。北に700mほど歩き、プリンチペ・ディ・グラナッテリ通りVia Principe di Granatelliを左折するとホテル・フェデリコⅡが見えた。

 ホテル手前のミニショップで、ハイネケンとメッシーナビール、あわせて4€を購入する。
 17:30ごろ部屋に戻る。バスタブのガラス扉の漏水対策が完了していたので、安心してシャワーを浴びた。
 ハイネケンを飲みながら地図を広げ、今日の足跡を振り返る。メモを読み直し、注釈を加える。明日の予定を確認する。7:00~朝食、10:00出発なので慌ただしくないが、スーツケースの整理する。

 夕食も自由行動だが、19:00にロビーに集合し、コンダクターHさんに同行した。プリンチペ・ディ・グラナッテリ通りを西に歩き、リベルタ大通りVia della Libertaに続くルッジェーロ・セッティモ通りVia Ruggero Settimoを渡り、少し北のステーファノ通りVia di stefanoを左に折れた。明るく、清潔な通りで安心できる(写真)。
 ステーファノ通りのピッツェリア・ボルボンPizzeria Re Borboneに入った(写真)。ボルボンはスペイン王朝名だが、店内の雰囲気は気さくだった。野菜サラダ、スープ、エビスパゲッティを注文した。どれも味はよく、食べやすかった。
 ビールを頼んだらperoniだった(写真)。イタリアで最も売れているビールだそうだ。日本のラガービールに似ている。赤ワインはまろやかな味だったが、ビールの方がスパゲッティとの相性はいい。40ユーロ/2人だったから、料金は手ごろである。

 20:30ごろホテルに戻る。歩数計は15100、よく歩き、見どころを満喫し、おいしく食べ、楽しく飲んだ。  (2021.4)

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