<世界の旅・イタリアを行く> 2020.1 シチリアの旅 10 プレトリア広場・プレトリア宮殿・プレトリア噴水→ベッリーニ広場/サンタ・カテリーナ教会
シチリアの旅3日目、12:00ごろバスでホテルに戻る。午後は夕食まで自由行動である。多くのツアーコンダクターは自由行動のあいだの過ごし方の相談に乗ってくれ、案内してくれることも少なくない。コンダクターのHさんがおすすめの食事処を案内するというので付いていった。
ホテルから一本北のプリンチペ・ディ・ベルモン通りVia Principe di Belmonteを西に歩く。このあたりにもカフェ、レストラン、オープンカフェが並び、食事+談笑が始まっていた。ここはスイーツがおすすめとか、ここはリーズナブルとか話しながらリベルタ通りVia della Libertaを渡る。
12:30ごろ、南に少し歩いたジェネラーレ・マリオッコ通りVia generale Maglioccoのcaffeteria Tondoのピザがおすすめというのでここに入った(写真)。
明るい広々とした雰囲気の店である。メニューには素材が列記してあったが、日本ではパスタもピザもめったに食べないからイメージが浮かばない。ピスタチオピザ 13€と茄子のパスタ8€、ビール2.5€を頼んだ。
ビールの左が私の頼んだbirra moretti、同行者は右のacqua pazzaを飲んだ(写真)。morettiはビールらしい苦みもあり、ピスタチオピザにピッタリのビールだった。
13:45ごろ食事を終える。
200mほど南に歩き、マッシモ劇場Teatro Massimoの14:30~15:00の劇場内ガイドコースツアーに参加した(前述、シチリアの旅4 マッシモ劇場)。
15:00過ぎ、マッシモ劇場からマクエダ通りVia Maquedaを南に550mほど歩くと、クアットロ・カンティQuattoro Canti(シチリアの旅8参照)に出る。
クアットロ・カンティの東、1 階の冬の象徴である老女像の建物の奥が、マクエダ通りに面したプレトリア広場 Piazza Pretoria である(写真)。
写真右手の建物が、パレルモの行政をになったプレトリア宮殿Palazzo Pretoriaで、プレトリア広場とともにパレルモの中心をなしていた。
プレトリア宮殿はシチリアがアラゴン王国支配下だった1463年に着工、1478年に完成する。神聖ローマ皇帝カール5世=スペイン王・シチリア王カルロス1世(1500-1558)時代の1553年に増築され、スペイン語フェリペ3世=イタリア語フィリッポ3世(1578-1621)の1615~1617年に改築され、1861年に成立したイタリア王国時代の1873~1875年に改修された(写真、web転載)。増築、改築、改修のたびにその時代の様式が取り入れられたようで、ルネサンス様式を残しながら、新古典様式の外観を見せている。
屋上中央の像は、パレルモの守護聖女聖ロザリオらしい。
プレトリア広場はマクエダ通りから7段高くなっていて、その中央に直径115m、高さ12mの見上げるようなプレトリア噴水 Fontana Pretoriaが設置されている(写真)。
噴水には裸体の人物像30体以上を始め、古代ギリシャ神や仮想を含めた動物の頭が彫刻されていて、プレトリア宮殿+広場+噴水は観光名所になっている。
噴水自体は1555年にフィレンツェの貴族?の庭園を飾るためルネサンス様式で作られたが、負債のため?売りに出され、1573年にパレルモ市が買い取って、644のパーツに分解して運搬し、1574年に到着した。当初彫像は48体あったらしいがいくつかは破損し、到着後の修復を終え、1581年・・フィリッポ2世(1527-1598)時代・・に完成したそうだ。
フィレンツェを訪ねたとき、シニョリーア広場のミケランジェロ(1475-1564)作ダビデ像(写真左、1504複製)やバンディネッリ(1488-1560)作ヘラクレスとカクス像(写真右、1533)などの教科書、美術書にも登場するダイナミックな彫刻を見た。
プレトリア噴水は同時代のルネサンス様式で等身大の裸体が30体以上彫刻されているが、力強い動きよりも豊満な肉体が強調されているようだ。最初の発注者だった貴族?の好みかも知れない。
プレトリア広場南東隅の細道を抜け、ベッリーニ広場Piazza Bellini に出る。
広場の北側に建っているのがサンタ・カテリーナ・ダレッサンドリア教会Chiesa di Santa Caterina d'Alessandriaである(写真)。ルネサンス様式の正面ファサードはベッリーニ広場に面して南面している。教会堂は身廊を東西軸に配置し、西を正面、東奥を祭壇とするのが通例だが、サンタ・カテリーナ・ダレッサンドリア教会は南北軸の長方形バシリカ式平面で、南正面、東祭壇の配置を取っている。
1566年着工、1596年完成だから、1463年着工、1553年増築のプレトリア宮殿+プレトリア広場の配置が優先したためであろう。ベッリーニ広場からは階段を上らないと参拝できない地形の制約も一因かも知れない。
16:00ごろ、教会堂に入場3€して、壁面を埋め尽くす浮き彫り彫刻、祭壇のきらびやかな装飾細工、天井一面のフレスコ画に息をのむ(写真)。外観の簡潔なルネサンス様式が一転して、堂内は余すところなくバロック様式で装飾されているのである。
カルロス1世(1516-1556)に始まり、フィリッポ2世(1527-1598)、フィリッポ3世(1578-1621)に続くころ、スペインは黄金世紀と呼ばれるほど栄えた。その繁栄がパレルモに影響したようだ。あまりにも装飾過剰だと息をのまされるが、焦点が定まらない。祭壇の聖カテリーナに十字を切り、ベッリーニ広場に戻る。 (2021.4)