yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.5 京都・神護寺の覚朝大僧正は空海の彫った不動明王像とともに成田に下り新勝寺を開く

2018年05月22日 | よしなしごと

2018.5 成田山新勝寺を行く ②総門 空海 神護寺 
 総門は2007年建立である。故T君を始めゼネコンOの精鋭、宮大工、大勢の職人がつくりあげた、高さ15mの楼門である(写真)。
 表参道は左に右にカーブしていて、境内あたりでは西から東に緩やかに弧を描いている。その弧に面して総門が建ち上がっているので、表参道からは総門が見えず、突然と姿を現したように感じる。

 遠くに山門を眺めながら敷砂利を一歩一歩踏みしめる、あるいははるか高みの山門を見上げながら一段一段石段を上る場合は、徐々に緊張が高まり、山門にたどり着いたときには気持ちが集中し、素直に神仏に吸い込まれていく気がする。
 その一方、成田山新勝寺総門のように、表参道からは見えず突然に現れると、雷が突然落ちたときのような驚きに包まれる。
 その現れ方が突然であればあるほど、総門が巨大で気高ければ気高いほど驚きは大きく、一瞬にして緊張が高まり、気持ちが一点に集中する気がする・・京都・仁和寺仁王門などでも実感した・・。シートで覆われた工事中の骨組みからはとても想像できない巨大さ、荘重さを感じた。故T君を思い出しながら一礼し、総門を抜ける。


 成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山で、本尊は不動明王である。成田山のパンフレットによれば、嵯峨天皇(786-842)の勅願で弘法大師空海(774-835)が敬刻し開眼した不動明王像で、京都・高尾山神護寺に奉安されたそうだ
 ・・2018年4月、成田山を訪ねる2週間ほど前に京都・神護寺を訪ねた。弘法大師空海が入山したことは神護寺のパンフレットにも記されているが、空海が彫った不動明王のことは触れられていなかった。だから、神護寺-空海-成田山のつながりはまったく気づかなかった。知識が浅いとこういうことはよく起こる・・。

 話を戻して、939年、平将門が反乱を起こす。朱雀天皇(923-952)の密勅を受けた寛朝大僧正(916-998)は、神護寺の不動明王とともに成田に下り、平和祈願の護摩を修めたところ、940年、兵乱が平定された。この功績で、成田山新勝寺が開基された。
 覚朝大僧正が成田に下ったことは、神護寺ホームページに記されている。もともとここに高雄山寺があり、802年、最澄が法華会を行い、812年、空海が入山して寺を整備し、神護国祚真言寺=略して神護寺と名を改めた。
 空海によって開かれた真言宗の寺で、後年の覚朝大僧正が開いた成田山も真言宗になる。空海-真言宗-神護寺-覚朝大僧正-成田山のつながりも、成田山で理解できた。
 断片的であっても知識はやがて線でつながり、意味をなしてくることも少なくない。2018年は、寛朝大僧正による成田山開基1080年に当たるそうだ。成田山の僧侶は、神護寺に足を向けて寝られないね。
続く

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