2018.1 メキシコの旅7 2日目 プエブラ/大聖堂 市庁舎 パリアン市場
ソカロ広場の南隣に大聖堂Catedralがそびえている。高さ69m≒13階建てに相当する双塔は、居丈高といった感じで威圧する。
建設は1575年だから、先ほど訪れたサントドミンゴ教会、このあと訪問するポポカテペトル山中腹に点在する修道院と前後して建てられたようだ。しかし、資金難?、設計変更?で、完成は1649年である。
威圧的な外観は、1519年のコルテスによる征服後50数年しか経っていないので、先住民の反旗を抑えつつ、キリスト教改宗を迫るためためであろう。
ファサード中央最上部の半円形の壁には、目が届かないのと風化ではっきりしないが、スペイン王の紋章が刻まれている。一方で先住民にスペイン王の偉大さを見せるためであろうし、移住したスペインの農民にスペイン王の加護を思い出させるためでもあろう。
中央扉の両側に、ペテロとパウロの像が飾られている。ペテロ(-67?)は最初にイエスの弟子になった12使徒の一人で、ローマで布教し、皇帝ネロ(37-68)に逆さ磔にされて殉教した。パウロ(-65?)は、当初キリスト教を迫害したが回心して熱心に伝道に努め、ローマで殉教した。
キリスト教を知らない先住民、読み書きが苦手な農民にキリスト教を広めるため、高名な二人が選ばれたのかも知れない。
外装は黒ずんだ石とレンガが用いられていて、重々しい感じである。堂内も高い天井を支える束ね柱は黒みの大理石で、重厚な雰囲気をつくっているが、タイル貼りのドーム天井は高窓の光を受けて明るく、軽やかに感じる。
聖堂の中央に高位聖職者席=聖歌隊席コロが配置されている。これはスペインの聖堂に共通する構成である。スペイン風の街を目指したので、本国と違和感にない聖堂が計画されたようだ。
当初はゴシック様式で建設が始められたが、建設が延びたあいだに古典的な重厚なデザインも採用されている。
コロの先に柵がありミサ中のため柵が閉められていて、コロ内部や祭壇の金を用いた細やかな細工の壮麗な仕上がりは見ることができなかった。
ソカロ広場の北には市庁舎Palacio Municipalde Pueblaが面している。1階はアーチが連続した開廊、2階はバルコニーが続き、3階屋上にもテラスが設けられていて、通りや広場を見下ろすことができる。
市民が集まる行事のときは2階バルコニーから市長が挨拶し、祭のときは2階バルコニーや3階テラスから通りや広場を見物しするための工夫だろうか。
中央部の壁面は緩やかにカーブでせり出している。外装は黒みの石だが、連続アーチ、バルコニー、テラス、緩やかなせり出しで壮麗さが演出されている。緑豊かなソカロ広場を挟んで、重厚な大聖堂と壮麗な市庁舎が対面している。信仰に厚く陽気なスペイン人の気質が感じられる。
ソカロ広場から東に4~5分歩くと、パリアン市場Mercado El Parianに出る。このあたりの建物は2017年9月メキシコ中部地震で壁がはがれたり傾いたようで、補強のトラスを組んでいた(写真)。
写真の建物は、18世紀に建てられたメキシコの統治者・副王の迎賓館である。赤みのレンガ壁にクリーム色の屋根を載せていたので砂糖菓子の家と呼ばれている。ロココ調の内装が見どころらしいが、地震被害で立ち入り禁止になっていた。
砂糖菓子の家の向かいがパリアン市場である。間口の狭い店が軒を連ねている。ほとんどが土産用の民芸品、民族衣装、菓子などを並べていた。
30分ほどのショッピングタイムになり、ツアー仲間は思い思いの品を土産にしていたが、私はとくに気を引く品はなかったので近くの通りまで足を延ばした。
あちらにもこちらにも砂糖菓子の家のような補強の建物が見られた。復興に手間取っているようで、余震が気になる。観光客の散財が復興の一助になるかな?と思い、近くの店でタラベラ焼きの器を買うことにした。続く