2018.1 メキシコの旅3 1日目 メキシコの歴史 独立記念塔 レフォルマ通り・緑道 コロナビール ディナー
2018年1月25日(木)、日本時間は夜中の2時で身体は眠たがっているが、メキシコ時間は17:00でまだ日は高い。18:30の夕食まで時間があるので散策に出た。「歩き方」の地図にはすぐそばに独立記念塔が記されている。
「歩き方」によればメキシコの歴史は、
紀元前のオルメカ文明、宗教都市、マヤ文明、アステカ文明などの古代文明期
スペインによる植民地時代
18世紀、スペインからの独立
軍人から大統領についたサンタアナの無策によりテキサス戦争に負けるサンタアナ時代
アメリカによってテキサス、カリフォルニアが併合された国境紛争期
広大な領土をアメリカに割譲したサンタアナの失政に自由主義的改革運動が起き、内戦の結果、ベニート・ファレスが大統領に選ばれた近代改革期
ナポレオン3世の圧力でマクシミリアン(1832-1867、スペイン語マクシミリアーノ)が皇帝に就くがフアレス政府が抵抗し、マクシミリアンを処刑、近代化を促進させたベニート・フアレス時代
ポルフィリオ・ディアス政権は外国資本の誘致による経済開発を進めた結果、外国資本の支配を受けることになったディアス政権期
ポルフィリオ・ディアスの独裁的な支配に対しフランシスコ・マデロが革命を起こすが、土地改革がなされなかったためビクトリアーノ・ウエルタ将軍が国を掌握しようとし、対してパンチョ・ビージャなどが各地で闘争を起こし、制憲会議の結果、現在の憲法が制定されたメキシコ革命期
そして現代 になるそうだ。
独立記念塔Monumento a la Independenciaは、1810年から始まった独立戦争100周年を記念して1910年に建設された塔である。ガレリア・プラザホテルのドアマンに「歩き方」の図を見せて道順を聞いた。
ホテル正面入口は幅10mほどのハンブルク通りCalle Hamburgoに面している。ホテルを右に進み、ヴァルソビアVarsoviaと呼ばれる幅10mほどの通りを右に折れ、200mほど歩くとレフォルマ通りPaseo de la Reformaにぶつかる。reformaは改革の意味だそうだから、近代改革を記念して名付けられたようだ。
この通りの中央は幅20mほどの緑道になっていて、緑に覆われている。メキシコは政治的に混迷が続いたが、幅20mの緑道は高く評価できよう。
緑道に渡ろうと思ったが、車がけっこうなスピードで途切れない。歩行者用信号は見当たらない。いかにして緑道に渡るか?。ガイドの言葉を思い出しながら、郷に入っては郷に従え、地元の若者が渡ろうとしていたのを見習い、車の途切れた瞬間を縫って小走りに渡った。
緑道を北に歩くと、ロータリー交叉点の中央に記念塔が見える。高さは48mで、頂部には金の天使像が光輝いている。天使はスペイン語でEl Angelアンヘルになるので、この記念塔もアンヘルと愛称されるそうだ。
天使はギリシャ神話の勝利の女神ニーケー(=ニケ)がモデルで、右手に勝利のシンボルである月桂樹、左手に自由のシンボルであるちぎれた鎖を高々とかざしている。
記念塔はロータリー交差点の真ん中に立っていて、回りを4縦列?5縦列?の車が次々と走っているのに、塔の下ではけっっこな人々が写真を撮ったり、歓談したりしている。しばらく眺めていると、車が途切れた瞬間を走り抜けていた。徐行してくれる車もいる。
郷に入っては郷に従い、車の途切れるのを待ち、手を上げながら、走り抜けた。日本時間では寝ているせいかふらふらしながら、塔の下にたどり着いた。
見上げると、1段目の台座の正面に手を差し上げた人とライオン、四隅に動作の異なる女神?が座っている。四隅の像は法、正義、戦争、平和を表しているそうだ。これらの像は黒石で表現されている。2段目の台座には1810、1821が刻印されている。これが独立戦争の始まりと独立を勝ち取った年を示す。台座の上には独立戦争を起こし、独立革命の父と慕われるイダルゴ神父の像、独立戦争の英雄たちと女神?の像が配置されている。これらは白石でつくられている。黒が混乱、白が未来を象徴するかのようである。
土曜にかぎり、塔のなかのらせん階段で天使の足下まで上れるそうだ。塔から街を眺めると、未来が展望できそうである。
レフォルマ通りは緑道の並木が続いている。マクシミリアーノが皇帝に就いて間もなく、この通りをパリのシャンゼリゼ通りをモデルに整備したそうだ。いまや高層、超高層ビルが建ち並び、その後の発展を見せている。・・翌日、レフォルマ通りに並ぶしゃれた洋館やストリートアートを見た。美術館、博物館も多いそうで、市民の憩いの場になっているらしい。マクシミリアーノは死んで市民にレフォルマ通りを残したということなる。
ホテルに戻る。ホテルの斜め向かいにサークルKがあった。サークルKはアメリカ発祥のコンビニエンスストアで、メキシコにも多いらしい。成田で両替したペソは50、100、200ペソの紙幣だけで、枕チップ用の10ペソが手元にない。寝しなのビールを買い、小銭をもらうことにした。
中は日本のコンビニと似ているが、けっこう狭い。奥に飲み物が並んだガラス戸棚が見えた。ビールがどれか分からない。ビールらしい缶を見つけ、通りがかったスタッフにビヤ?と訪ねたら、△□○・・と答え、別のケースの缶を指さした。
cervezaと書かれていた。ビールをスペイン語ではcervezaというのを思い出した。negromodeloという名前のビールで、5%である・・色は茶色みが濃く、苦みがきいておいしかった・・。15ペソぐらいだったから、120円ぐらい、安い。
ホテルに戻る。明日の準備をし、ブログを書き出し、ディナーの時間が近づいたのでロビー階に降りた。
18:30、初めてグループが一堂に会し、初めてのメキシコ料理をいただく。飲み物は、coronaextraビールと白ワインを頼んだ。コロナビールはメキシコビールの定番だそうで、4.5%、色は透明度が高く、どちらかというとピルスナーに近い飲みやすさだった。白ワインはさっぱりした口あたりである。
前菜は葉物のサラダで、水道水を気にして食べない人もいたが、完食した。主菜はタラのトマトソースで、どこでも味わえる料理だった。デザートのアップルパイも万国共通の味だった。今日はさほどメキシコ料理らしさは感じなかった。
19:30、チェックインのとき、ウェルカムドリンク券をもらっていたので、バーに寄った。時間が早いせいか、客は数人しかいない。スタッフも準備に忙しそうで、セルヴェッサと声をかけたがどことなく無愛想だった。やたらと賑やかな音楽が流れていたので、早々に部屋に戻った。
シャワーを浴び・・バスタブのない部屋・・、サークルKの缶ビールを開け、ブログの続きを書く。メキシコ時間21時=日本は真夜中を過ぎ朝に近づいているころベッドに入った。続く