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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.1メキシコの旅2 日付変更線→時差-15時間、機内で日本酒+和食を、2000万人の大都市メキシコシティ

2018年02月14日 | 旅行

2018.1 メキシコの旅2 1日目 時差15時間+日付変更線 12時間のフライト+機内食 メキシコシティの印象
時差15時間+日付変更線 
 私の席は左窓側の通路側C席、カミさんは斜め前の窓側A席で、着席して間もなくキャビンアテンダントが挨拶に来る。続いて、おしぼり、飲み物ウエルカムドリンクが配られる。私は躊躇せずシャンパンをいただいた。席が独立しているので、立ち上がってのぞき込まないとカミさんと話が通じない。のぞき込みながら、旅たちを祝って乾杯する。
 ほぼ定刻通り16:40に離陸する。事前の調べではメキシコとの時差は-15時間だった。
 日本の時間は東経135°を基準にしている。ヨーロッパ、たとえばロンドン東経・西経0°に行くときは、135/15=9時間の時差で、東から西に行くからロンドン時間=日本時間-9時間になる。
 メキシコは西経105°に近いから、まず東経135°から東経・西経180°まで45°を飛び、東経・西経180°から西経105°まで75°を飛ぶことになる。45°+75°=120°だから8時間のズレのはずだが、東経・西経180°を基準に日付変更線が設定されていて、東から西に越えるときは1日分戻り、逆に西から東に越えるときは1日が2日分になる・・16世紀のマゼラン一行の世界一周で1日分のズレが分かったそうだ・・。つまり、東経・西経180°≒日付変更線では日本時間+3時間が時差だが、日付変更線を越えたところから24時間戻って逆算されていくため、時差が15時間になる。計算では確かにそうだが、理解が追いつかない。

 2017年7月に国際交流・宮あじ会のメンバーとスリランカを訪ねた。旅の途中で腕時計がバッテリー切れ?で止まってしまった。私の歩数計には時計が付いているので、しばらく歩数計の時間を見ながら行動したが不都合が多い。それを聞いた同行のメンバーが腕時計を二つ持ってきていて、一つを貸してくれ、大いに助かった。帰国後、バッテリーを必要としない、自動巻腕時計かソーラー腕時計を調べた。C社のソーラー腕時計を値段も手ごろで、コンパス、温度計、高度計、アラーム、ストップウォッチ、世界時計機能が付いていたので購入した。時計盤の都市名に秒針を合わせると、アナログの針が目的地の時刻になり、通常は日時・曜日を示す小窓に日本時間がデジタルで表示される。夏時間、冬時間の調整もできる。海外旅行には便利な時計である。
 メキシコシティはシカゴと同じゾーンなので、さっそく秒針をCHIに合わせた。頭を悩ませずとも、瞬時に日本時間17:00=メキシコシティ2:00になった。飛行時間はおよそ12時間なので到着はメキシコシティ14:00ごろになる。時差ぼけを防ぐにはメキシコシティにあわせて過ごし、寝不足はうたた寝でこなせばいい。

12時間のフライト+機内食

 水平飛行になってしばらくすると、ワゴンサービスが始まった。シャンパンと水をもらう。機内は0.8気圧≒富士山5合目ぐらいに調整されている。気圧が低いと酔いが早いので、水分の補給が欠かせない。じきに、キャビンアテンダントがアミューズamuseを用意してくれた。チーズスティック、ホタテ貝、ポテト・菜の花のマリネでシャンパンに合う。
 夕食は和食を頼んだ。前菜、鰆のお造り、海老・茄子・湯葉の小鉢、主菜はきんき味噌焼き+鶏もも塩焼き、ご飯・味噌汁、食後にデザートである。割烹料理屋の会席には及ばないが、なかなかの美味である。JAL、ANAともに機内食は口に合う。
 ドリンクリストに、日本酒の鶴齢、山形正宗雄町があった。まず辛口の雄町をもらう。和食に合う。次に鶴齢をもらう。さっぱりした端麗でこれも旨い。まだ鶏ももが残っていたので、プレミアムモルツを飲み、食事を終える。日本時間では19:00ごろだが、デザートを食べ終わったころから酔いで眠くなった。一眠りする。

 機内はかなり乾燥しているから、喉がからからで目が覚めた。1時間ほど寝たようだ。水を補給し、映画を見たり、本を読んだり、自作見学ガイドをめくったり、うたた寝したりして過ごす。
 メキシコ時間11時過ぎに、機内が明るくなる。ほどなく、おしぼり、飲み物が出て、食事になる。日本時間は夜中の3時ごろだから身体は寝ている感じだ。また和食を頼む。野菜酢和え、鰤煮付け、炊き込みご飯、味噌汁が出た。ビールを飲み、食後にコーヒーを飲む。到着まで2時間を切った。

 立ち上がって窓をのぞくと平原が見えた。アメリカ南部?メキシコ北部だろうか。
 13:40、眼下に大都会が広がるなか、メキシコシティ国際空港に着陸する。晴れているが、作業員を見ると、半袖の人もいれば厚めのジャンパーを着ている人もいる。暑いのか?寒いのか?分かりかねる・・あとで、日射しが強く動いていると汗ばむが、標高が高く風は冷たいので日影で動かないと寒気を感じるのを実感した・・。

メキシコシティの印象
 イミグレーションゲートはかなりの混雑だった。同じ時間帯にいくつか着陸したようで、いろいろな格好の人が順を待っている。ノースリーブもいれば、ダウンを着ている人もいる。顔つきも様々だ。メキシコシティ国際空港は中南米最大の規模を誇るハブ空港だそうだ。北米、中南米、ヨーロッパ、アジアからメキシコを目指して飛んできたのであろう。

 イミグレーションの列はゆっくり進む。およそ1時間かかった。スペインで覚えた挨拶はブエノス・ディアスしか思い出せなかったので係官にブエノス・ディアスと言ったら通じたようだが、返事は分からなかった。ブエノス・ディアスはおはようの挨拶だから、昼の挨拶を教えてくれたのかも知れない。アディオス≒さようならも思い出せず、簡単な挨拶言葉のオラと言ってイミグレーションを終えた・・あとでこんにちわ≒ブエノス・タルディス、今晩わ≒ブエノス・ノーチェスを思い出した・・。
 15:00、スーツケースを受け取る。出迎えの日本人現地ガイドの案内でバスに乗り込む。お金のことや水のこと、トイレはスペイン語でバーニョなど簡単な言葉、車優先でしかもかなり荒っぽい、信号もあてにならないからよくよく注意、などを話してくれた。
 道路は整然とした格子状のようで、2~3階の四角い箱状の建物が並んでいる。住宅のようだ。それぞれ好みの色彩が塗られているが、ちぐはぐ感はない。やがて高層のマンションが現れた(写真)。原色の彩りが違和感なく用いられている。マンションが民族衣装を着飾って、いまにも踊り出しそうに見える。メキシコ人はなかなかの色彩感覚があり、陽気に感じられる。

 道路は、かなり混みあっている。都心に近づくほど渋滞で、のろのろになった。
 もともとメキシコシティあたりはテスココ湖と呼ばれる広大な湖だったそうだ。15世紀、アステカ王国はテスココ湖の島にテノチティトランTenochtitlanと呼ばれる都を築いた。最盛期には30万人も住んだそうだからかなり大きな島だったか、あるいはいくつかの島に橋を架けて住んだのか、いずれにしても高度な技術を持っていたと思われる。

 1519年、スペイン人エルナン・コルテス(1485-1547)がアステカ王国を征服し、テノチティトランを破壊、その廃墟の上にメキシコシティを建設した。テスココ湖は埋められ、あるいは干拓されてしまった。テスココ湖の片鱗は、国際空港のさらに東に小さな湖として残されているらしい。
 国際空港は都心の東、ホテルは西に位置し、空港~ホテルは直線で12kmぐらいである。にもかかわらず、何度も渋滞があり、ガレリヤ・プラザホテル到着は15:45になった。
 ホテル自体も大きいし、周辺は高層の建物が建ち並んでいる。部屋は5階で、窓の外にも高層建築が立ちはだかり、遠くには建設中の高層建築が見える。過密なためか、建物は上へ上へと伸びているようだ。部屋からの眺めはいまいちだが、メキシコの活気がうかがえる。続く

コメント
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