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1997スリランカ④シンハラ王朝最後の都キャンディの仏歯寺で仏陀の歯に礼拝する

2017年06月28日 | 旅行

1997「初めてのスリランカ見聞記」 ④ダンブッラからキャンディ、そしてヌワラエリアへ

ダンブッラ Dambulla
 シギリヤから南に20kmほど、ポロンナルワからだと西に直線で40kmほどのところがダンブッラである。紀元前1世紀のころ、シンハラ王朝はアヌラーダプラを都としていたが、一時、タミル人の攻撃のためダンブッラに避難し、反撃の機会をうかがったことがある。タミル人を撃退し、アヌラーダプラに戻った王は、感謝のしるしにダンブッラに寺を寄進した。以来、仏教が盛んになり、自然の岩窟を利用して数多くの仏像が彫られた。
 もっとも大きい仏像は、長さ14mの涅槃像で、鮮やかに彩色されている。目はしっかりと見開いていて、涅槃の感じはないが、実際には石窟の中が暗く外の暑さに対し中は冷気が漂っているので、それなりに神秘的である。ちなみにダンブッラとは、湧き水の岩の意味だそうで、あちらこちらで水滴が落ちていて、それが冷気をつくっているようだ。石窟の壁や天井も極彩色で仕上げられていて、仏陀の生涯やスリランカの歴史が隙間なく描かれている。こうした石窟が岩壁に並んでいるが、写真禁止だったが、インターネット上には公開されている。
 ダンブッラを見学したあと、スパイスガーデンに立ち寄る。途中から激しい雨にあうが、スコールのようにじきにあがる。その後、バテッィク工場に寄り、キュンディに向かう。

キャンディ Kandy
 キャンディはコロンボから直線で東におよそ85km、アヌラーダプラからは南におよそ120kmの、標高300mほどの盆地に立地する。スリランカの山岳地帯であるヌワラエリアの北側に位置し、気候的にはドライゾーン側であるが、山岳地域なので、アヌラーダプラやポロンナルワよりも緑が豊かで、比べて涼しい感じである。
 かつてアヌラーダプラに都を構えたシンハラ王朝は、インド・タミル人の侵攻でポロンナルワに首都を移し、1474年にはキャンデイに遷都した。山岳地域が自然の要塞になったことが大きな理由であろう。しかし、16世紀に入ってヨーロッパ諸国の進出が相次いだ。そしてついに1815年、イギリスによってシンハラ王朝は2000年の歴史に幕をおろすことになる。この間、まずポルトガルが進出した。ポルトガルはシンハラ王朝から分離したコッテ王国を滅ぼし、シンハラ王朝と交易を行うが利権による対立が起こり、続いて進出したオランダとシンハラ王朝が連合してポルトガルを撃退する。オランダはキリスト教の布教と同時に仏教も保護したが、やがてシンハラ王朝と利権で対立し、イギリスと手を組んだシンハラ王朝に撃退される。そのイギリスは、王朝内の内紛に乗じてシンハラ王朝を滅ぼしたのである。以降、1948年の独立までイギリスによる統治が続くことになった。

仏歯寺 Dalada Maligawa
 19世紀に造られたキャンディ湖の畔にたたずむシンハラ王朝を象徴する寺院。仏陀の歯を祀っていることから仏歯寺の名がある。仏歯には雨をもたらす力があり、またシンハラ王朝の正当な継承者を表すとの言い伝えがあり、王朝が首都を移すたびに仏歯も移動し、その都度、仏歯を納める仏歯寺が建てられてきた。仏歯が最後に落ち着いたところがここキャンディになる。
 当初は2階建ての寺院が建てられ、その後増築され、さらに八角堂が建て増された。そのためか、大きい寺院の中に入れ子のような形で仏歯を収めた寺院が建てられているような構成である。主な柱は石柱だが、2階には木柱も併用されている。2階床を支える水平架構は石梁が圧倒するが、部分的に木梁で構成されているところもある。1階の裳階モコシ風の庇は石梁の架構の上に木造で架構されている。2階の屋根は木造架構のようである。つまり、石の構造と木の構造が併用されたつくり方である。アヌラーダプラやポロンナルワの遺跡ではレンガ造が主体であり、キャンディでもレンガ造は多いが、仏歯寺では石造+木造が圧倒する。しかも、石組みには精密な細工がなされ、鮮やかな彩色が施されている。石のもつ安定感と木造の繊細さを基調に巧みな造形がなされていて、シンハラ王朝の栄華が技術力や造形性を際だたせたであろうことが想像できる。 参拝は自由で、靴を入口で預け中に入ると、仏歯を治めた部屋が開扉されるから前の方に並べと案内された。大勢の人が並んでいるのに申し訳ないと思いながら、前に進むと、金色の布地に載せられた金色の容器が僧侶によって捧げられているのを見ることが出来た。釈迦の歯(の収められた箱)に頭を下げ、みんなと一緒に合掌する。

ペーラデニヤ大学 University of Peradeniya
 キャンディの南西7-8kmにペーラデニヤ大学がある。スリランカ最古で、レベルもスリランカ1だそうだ。案内人のS君が教授に会わせるというので、研究棟に向かったがあいにく不在であった。
ペーラデニヤ植物園 Peradeniya Botanical Garden
 植物園は総面積5.6平方キロというすべてを見切れない広さである。しかし、日本では目にすることのできない熱帯の植物が色とりどりに咲き誇っていて、広さを忘れ、次から次へと足が進む。突然、視界が広がりこんもりとした丘のような樹木が表れる。テレビのコマーシャルで紹介されているあのー木なんの木・・である。コマーシャルの木はハワイで撮影したと聞いたが、同種で、名前はジャワ・ビンロー、木の広さは1600㎡もあるそうだ。突然、雨が降り出した。遠くから見ているとジャワ・ビンローはこんもりとしているので雨宿りにいいかと思い走り込んだが、枝振りはさほどうっそうとしておらず、雨宿りはとても無理であったが、木の聖霊に包まれているような気分にはなる。

象の孤児院 Elephant's Orphanage
 キャンディから西に30kmほど進むと、ジャングルではぐれた子象やけがをした象を引き取り、保護している施設?がある。施設というより像園といった方がふさわしい。川も流れていて、像の水浴びも見られるし、時間を決めて、像に曲芸を仕込んでいる様子を公開してくれる。象に乗って園内を一回りできるというので乗せてもらった。象の毛は針金のような固さなのでそのままでは乗れないし、像が歩くと左右、前後に大きく揺れるので、箱状の座席がつけられていて、ここにしがみつくようにして座る。視点が高いし、象の足がゆっくりなので、王様になったような気分を味わえる。

ヌワラエリア Nueara Eliya
 ヌワラエリアはキャンディから南に40kmほど、コロンボからは直線で東におよそ100kmの山岳地帯のただ中にある。植民地時代に避暑地として整備されたため、イギリス風のホテルが建ち並び、スリランカとは趣の違った景観が展開する。この山岳地帯を境にモンスーンの向きが変わり、南側がウェットゾーン、北側がドライゾーンに分かれる。標高が高いためほどよい湿度があり、それが紅茶に適していたようで、イギリスは紅茶プランテーションを成功させた。そのため、周辺の山はほとんど紅茶畑として開墾されていて、見渡す限り段々畑が続く。かつてはインドの奴隷階級を大勢茶摘みに労働者として連れてきたらしい。植民地政策の負の遺産が紅茶のほろ苦さかも知れない。
 紅茶は品質で10段階に分類される。もっとも高級な茶は、BOPつまりBroken Orange Pecoeだそうだ。OP、FBOPはそれぞれ葉の長いピコー、若葉を含むピコーのことで、やはり高級茶である。スリランカ人が日常飲むのはダストと呼ばれるもっとも品質が劣った紅茶といわれたが、訪ねたお宅でいただく紅茶は味が濃く、実においしかった。スリランカ、あるいはイギリスの水はかなりの硬水で紅茶に適しているが、日本の水は軟水なのでどんなに高級な紅茶を使ってもあの味はでないとか。気になる方はスリランカでお試しを。
 我々はGrand Hotelグランドホテルを宿とした。イギリス植民地時代の建物であり、家具調度品を含め、当時の面影をうかがうことができる。サービスも食事もイギリス風だが、天井の高い部屋はかなり冷える。ヌワラエリアでは防寒対策が必要である。

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