1994「美し国の住まいづくり再発見」 三重県建設労働組合住まいづくり講演会
1994年に、H君の依頼で、講演を受けた。H君は三重県の阿児出身で、お父さんが大工をしており、跡を継いでいる。その一方、社会的な活動にも積極的で、その当時、三重大学G教授の下で研鑽を積んだり、三重県建設労働組合の青年部で活躍していた。今回の講演は、その労働組合で開かれた。その当時はまだ液晶プロジェクターによるスライドを用いた講演というわけにはいかず、通常のスライドを持参して講演を行った、と記憶している。そのときの参考資料として以下のレジメを配布した。
少々長いが、改めて読んでも古色していない。私が成長していないのか?。全文を再掲する。
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1 21世紀に何を伝えるか
19世紀末以来、日本はそれまでの木造建築と決別して、欧米を模範に建築技術を進展させてきた。20世紀末の今日、多くの日本人建築家が世界で活躍し、欧米の建築家が日本で作品を作る。国際化である。建築において欧米と肩を並べた。
肩を並べることが目標でそれを手にいれたが、しかし、では次に何処に向かうか。すでに日本の大都市も地方都市も、その光景はほとんど変わらない。東京も大阪も、ソウルも北京も、台北も香港も、大都市はどこもかしこも変わらなくなりつつある。それは私たちが求めてきたものであろうか。
古来より日本は異文化を取り入れ、それを消化し洗練させて独自の文化を築いてきた。縄文から弥生へ、弥生から奈良・平安へ、平安から鎌倉・室町へ、室町から安土桃山・江戸へと、異文化はつねに日本の独自の文化の大きな跳躍を作りだした。そのどの時代も、縄文とか弥生とか、奈良や鎌倉や江戸などなど、その時代の独自の精神が感じられる。明治以来の欧米先進文明も大きな跳躍をうながした。明治・大正も、世界に向かう熱気のようなものがあった。そして、いま私たちは十分に国際化し、世界のトップのただなかにいる。次に何処に向かうか。
確かに国際化し、世界のトップに立つデザインや技術、芸術、例えば安藤忠雄や大江健三郎は世界を魅了し、世界中に新たな文化を発信する。これを仮に世界派と名付けよう。しかしそれは世界をリードできる特定少数の文化発信に限られていて、地球上のすべてが同じ文化になり、どこもかしこも同じデザインの町並みになることとイコールではない。もし世界が同じになれば、異文化の接点で生じる華麗な文化発展、文化創出はもう望めないだろう。
少数の世界派が無国籍に(そもそもの人類の始まりに国籍はなかった)世界をリードするなら、その対極には大地派あるいは地域派と呼ばれるその地域に住む人に共有された、その土地に固有なデザインや技術、芸術がある。ある時代にはその時代の精神が彷彿とする時代背景があるように、地域派、大地派はその地域に固有な風土を背景に文化を形成する。
大地派、地域派の建築は、その地域に住む大勢の人によって作られるため、地域の人の共有の財産、文化資源としての価値を持つ。それはまた、その場所に固有の風土との関係で形づくられるため、その地域の原風景として記憶される。故にその土地に固有であり、ほかの地域から見れば独自な文化として位置づく。
文化の独自性、地域のアイデンティティとは、目立つことでもないし、古い文化にしがみつくことでもない。その土地の風土のもとで創造され、地域の人に共有される価値を持つことである。そのとき地域派、大地派の文化は独自な輝きを持ち、異文化と対等な交流が始まる。21世紀に私たちが伝えられることは、国際派の文化と同時に、大地派の文化、すなわちアジア派の文化、日本海派の文化、環太平洋派の文化や各地の地域派の文化と、地域に独自な文化との交流による文化の発展、文化の洗練ではないだろうか。
繰り返すが、私たちの地域の存在意義はその独白な文化により決まり、私たち地域の社会的な位置づけは、アジア社会、あるいは国際社会といってもよいが、他の地域文化との相対的な関係によって決まる。より大地に根ざし、より地域の独自を文化として表現するとき、私たちの地域は他の地域へ先進的な文化を発信することができる。
2 風土が住文化を規定する
生態学の知見によれば、環境は主体である生物に様々な作用を及ぼし、生物を制限しようとする環境作用をもつ。一方、生物は生物にとって好ましい環境に作り変えようと環境にさまざまな働きかけをする。これを環境形成作用という。とりわけ知恵のある人間は環境にさまざまな働きかけを行おうとする。働きかけを行えば行うほど、その土地の特殊な環境条件に熟知することになり、土地との結びつきは深まってくる。(都市における人工環境は、その土地の環境に働きかけるのではなく、その土地とは無関係に機械的な力によって環境を制御しようとする。故に、人工環境が進むほどその土地との結びっきは弱くなる。)
さて、風土とは、広辞苑によれば「土地の状態、即ち気候・地味など」とある。字義通りに理解すれば、その土地の気象の状態(風)と、その土地の地形や地質の状態(土)を総合した自然的状態となる。これに生態学の知見を重ねれば、当然ながら人はその土地の自然的状態を受け入れつつ、人々が暮らしやすいように環境に働きかけを行う。ある土地の風土のもとで環境作用と環境形成作用が歴史的に繰り返されていくと、そこには独自の生活様式が形成されてくる。
地理学者木内信蔵は、平凡社大百科辞典の中で「風土とは気候と土地を意味するが、人間の活動の基礎となる自然環境としての意味を持ち、人々の生活・産業そして文化と密接に関係する。また、人々の活動によって風土は手を加えられ、変化させられていく」と指摘する。つまり、風土とは、独立した自然の状態ではなく(これを通常は風景として呼び分けられる)、人間の営みとの関係でとらえられる自然の状態と考えればよい。
和辻哲郎はさらに厳密な考察を加えている。風土・人間学的考察をひもとくと「風土は現象としてはある土地の気候・気象・地質・地味・地形・景観などの総称」であるが、「我々は風土において我々自身を見(その土地の風土を通して自分たち人間のありようを理解し)、その自己了解において我々白身の自由なる形式に向かった(人々にとってもっとも好ましい環境とは何か、それを獲得するためのもっとも適切な方法は何かを求めた)。 ・・・我々は祖先以来の永い間の了解の堆積を我々のものにしているのである。家屋の様式は家の作る仕方を固定したものである(つまり、風土の総体の事象に対応して人間に好ましい環境を求めた結果、生活の仕方、モノや家の作り方が規定され、独自の文化・様式が形成された)」と指摘する。まさに、風土が人間の存在の仕方とその精神の有り様とそして独自の文化を決定づける、と明快に論じている。
文化人類学の知見によれば、民族や国民、あるいは村落など、どんな集団でも独自の文化を成員の間で共有することが指摘されている。それを特徴づけるものを文化の型としており、民族らしさ、国民らしさの地域らしさを形作るものと考えられている。この知見を踏まえると、ある地域の風土がその地域の文化を決定づけているのであるから、ある地域のらしさとはその地域の風土に決定づけられることになる。つまり、地域の様式、あるいは民族の様式は、その地域、その民族の文化、そしてその地域の風土に密接に関係する。
ルース・ベネディクト著「菊と刀」の訳者、長谷川松治は文化人類学について、訳者後記で「形の概念は・・・外面的にはいかに異なっていても同一の動機ないしは心的な態度によって貫かれている一群の行動あるいは習慣に顕著に焙きつけられている共通の特徴である。いわば内面的意味によってまとめられた習慣の束である」と指摘する。これを演繹すると、形としての表現はその地域の文化の基づいいていて、その地域のらしさを表出するための手段として用いられているといえよう。 つまり、ある形態を表現することは、あるらしさをもつ集団に自分も帰属することの証でもある。例えばオーストラリアにおけるクリスマスの行事が真夏であるにもかかわらずその出自である真冬の北欧と同様のスタイルで行われることや、寒冷地である中国北部出身の一族の家は移住先の亜熱帯である台湾においても寒冷地の作り方を継承するなど、風土によって決定づけられた文化は、次の段階で地域らしさ、民族らしさを表現する手段として応用される。それは次代を担う若者への、地域に伝承された文化を紹介する端的な方法であり、それは原風景の記憶をも明快に示す役割を持つ。
3 アジア的風土とアジア的発想
アジアではヒンドゥー教や仏教を背景として、人と生物とが同時に自然の輪廻の中に存在しそれぞれが自律しながら共存しあう世界が構築されると考えてきた。これは、ヨーロッパや中近東のイスラム教やキリスト教を背景とする「自分」と「他者」を対立的にとらえ、自然や生物を自分のために利用し、もし敵対するのであれば倒すか、服従させよう、とする世界観とは大きく異なっている。
アジア的発想では、自分も他者も互いに自然の輪廻の中に共存しあう存在として認識される。この発想では「対する他者」の発想は生まれず、「自分」を守ることと「他者」を守ることが同時に追求されてきた。つねに、身の回りの生物や自然を守りながら自分の住まいの安全を図ろうとする考えである。もし、自分を守るためにやむを得ず他者である生物や自然を痛めるときは、その痛みを分かちあおうとする。痛みの分かちあいを具象したものが、山の神や田の神であり、水の神や地の神であり、木霊や神木であり、稲荷や竃神であり、蛇神や兎神であり、雷神や風神であり・・・、実に大勢の神々なのではないだろうか。自分を守るためには様々な自然や生物を痛めねばならず、そのたびごとに新しい神々との暮らしが営まれてきた。
大勢の神々との暮らしは、科学技術の発展した今日の都会の生活でも、インテリジェントビルでの地鎮祭や上棟式、ハイテクキッチンの火伏札、新車の交通安全札、若者たちのお籤や神前結婚などその取り合わせの妙が気にならないほど枚挙に暇がなく、いかに私たちの生活の根底に息づいているかを物語る。自然とのかかわりが深い農村や山村、漁村の生活では、大勢の神々は測りきれない。このようにアジア的風土に根ざしたアジア的発想はまだまだ健在である。
4 環境共生型の住まいづくり
すでに先人は、このアジア的発想による住まいづくりを実践してきている。人と生物と自然と環境が共存する発想、最近はやりの言葉で言えば、環境共生の住まいづくりは、風土の条件が厳しいほど、また日常の生活に密着しているほど、先人の知恵と工夫が濃密に反映されている。
まず伝統住居に用いられる素材を見てみよう。実に素材のほとんどが自然の循環におさまっていることが分かる。いかに先人が生活と環境の調和を求めていたかが理解できる。
次に、風土条件から屋敷地と守り、快適な生活を求めた手法を紹介したい。手法を適用される空間単位で類別すると、屋敷単位、住居群単位、集落単位に大別できる。また、それぞれの手法の担い手であり、空間を維持管理する社会単位をみると、それぞれ家族、組班組織、集落社会が該当する。一人では難しいことに大勢の力を結集している様子がうかがえる。