今朝のテレビで伝統的な京町家が取り上げられていた。平安時代にさかのぼる京町家である。現代に暮らすにはどんな工夫があるのだろうか。1994年の夏、中京区百足屋町で住み方調査をさせて頂いた。フルページはすでにホームページにアップしている。以下は梗概である。
1998「京町家における現代的な住み方」梗概 日本民俗建築学会
1 はじめに
全国の町家のひな形といわれる京町家は、当初から現在のような形式が完成していたわけではないが平安京をその始まりと考えてよいであろう。当時の町割では、およそ120×120mを一町とし、その32分の1にあたる15×30mが1戸主単位とされた。すなわち間口が狭く奥行きの長い、いわゆるうなぎの寝床の成立である。
以来、この町割に規定されながら生活の知恵が集積されて、通り庭と坪庭をもつ町家の原型が形成された。近年、都市発展に伴い町家が次々と高層ビルに建て替えられているが、一方で、その時代の生活様式にあわせた工夫をこらして住み続けている方も決して少なくない。
そこで本研究では、伝統と現代の調和する京町家計画の観点から、京都市中京区の町家4住戸を対象とした間取りと住み方調査を資料に、世代交替や新しい住要求に対応した住み方の工夫を明らかにすることを目的にした。
2 京町家の間取りと住み方
事例2は3世代4人が暮らす住まいで、道路側のミセに続いて、トオリニワに沿った7部屋が並び、屋敷奥に蔵を2棟もつ平面構成である。7部屋は、トオリニワ側にウチゲンカン、ダイドコ、4帖、イマの4部屋、その奥にロクジョウノヘヤ、ブツマ、オザシキの3部屋が並ぶ。ウチゲンカンの隣に階段があり、上がると通り庭側に洋室が3部屋、奥側にハチジョウノマ、ナカノマ、ニカイザシキの3部屋、計6部屋が並ぶ。
京町家に関する既往研究1、2、3)によれば、京町家の間取りは道路側から奥の庭に抜けるトオリニワの土間に沿ってミセまたはオモテ・ダイドコロ・ザシキを並べた3部屋構成が基本形であり、発展した住まいでは奥行き方向に部屋が増え、間口方向が2列、3列と平面が拡大するとある。
この考えをあてはめれば、事例2は現在は貸店舗としているミセが奥行き方向に4間、住まいの部分が奥行き方向に3間で間口方向が2間のかなり発展した住まいに相当する。
しかし、現在の住み方はウチゲンカンで応対・接客、ダイドコで食事・団らん、イマで就寝と、3部屋構成の住み方に共通する。すなわち、大きな住まいに発展しても間取りと住み方の基本は継承されると考えられる。
3 住み方の変遷
事例2には2階に就寝室があり、庭にキッチンが増築されている。これは新しい住要求に応えた生活の知恵と考えられる。そこで、60年前、30年前の住み方を調べた。
60年前は2世代5人家族で、世帯主夫婦Aがイマで就寝、若夫婦Bが2階ハチジョウノマで就寝し、世帯主夫婦の娘である若主人の妹B'が2階洋室を私室としていた。当時の食事・団らんは、ダイドコで、炊事はトオリニワで行われ、行事・寄り合いが奥のブツマ・オザシキを利用した。これから、1階の住み方は世帯主夫婦を中心とした家族の生活空間として機能していることがうかがえる。
30年前になると、世代が交替し、若夫婦が世帯主夫婦Bに、息子が結婚して若夫婦Cになり、子どもが2人D生まれて3世代6人家族に変化する。60年前の若夫婦Bは2階ハチジョウノマから1階イマに移り、次世代の若夫婦Cと子どもたちDがそれぞれ2階ハチジョウノマと2つの洋室を使う。しかし、食事・団らんはダイドコ、炊事はトオリニワ、行事・寄り合いは奥のブツマ・オザシキと住み方は大きく変化していない。つまり、1階は世帯主夫婦を中心とした家族の生活空間、2階は若夫婦とその子どもたちの私的な空間として機能する構成である。
その後、再び世代交替があり、Cがイマに、その息子Dが結婚してハチジョウノマに移った。やがて若夫婦に子どもが生まれ、あわせてトオリニワの改装、室内トイレの増設、庭にダイニングキッチンの増築が行われた。これは、老夫婦の住みやすさと若夫婦家族の自立の反映である。
しかし、1階の世帯主夫婦を中心とする住み方の基本は変わらずに継承されている。つまり、京町家の間取りと住み方の継承は、その一方で、家族の変化や新しい住要求に柔軟に応えられる空間的ゆとりを内包していることによると考えられる。
4 おわりに
京町家は、うなぎの寝床と呼ばれる道路側からはまったくゆとりの見えない建て詰まった建ち方であるが、しかし、家族構成の変動や新しい住要求に応えられる空間的なゆとりが内包されていていることを事例調査から求めた。
この空間的なゆとりの内包こそが伝統的な間取りと住み方を担保してきたのである。つまり、間取りの基本とともに空間的なゆとりがそれぞれの時代背景、それぞれの家族の要求に応じた住み方に柔軟に対処し得る構成であったことによって、これまでの1000余年にわたる伝統とつねに革新し続ける現代を共存させているのである。