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2006年の盛夏、比叡山を参拝する、根本中道の本尊は目線がそろう「仏凡一如」のつくり

2016年03月11日 | 旅行

2006 京都・滋賀を行く2 延暦寺 /2006.8記

 2006年8月、京都・滋賀の2日目、京都駅から滋賀県の膳所駅まで電車で行き、膳所でレンタカーを借りて、比叡山延暦寺の参拝に出かけた。
 最澄は、788年、比叡山寺を建立し、804年に中国・唐へ留学、いまの浙江省天台山脈に建てられていた天台宗総本山の国清寺で修業し、帰国した翌年に比叡山寺で天台宗を開こうとしたが旧勢力の反対にあい、延暦寺として独立が認められたのは823年、没後の翌年である。
 比叡山の大講堂では、大勢の若者が僧侶の話を聞き終わり、礼儀正しく挨拶をしているところだった。大講堂から聞かれる若者の礼儀正しさ、その後境内で出会った少年少女のはつらつさは、早くからの信仰心が身を引き締めているように思えた。

 延暦寺の総本山である根本中堂は国宝で、1640年の再建、間口11間、奥行き6間、入母屋造りである(写真禁止)。
 回廊が巡らされていて、入口で下足を脱ぎ、左手の回廊を進む。板葺きの床が心地いい。根本中堂にはすでに大勢の参拝客がいて、僧侶の話を聞いていた。天台宗の基本や信仰することの意味などを話していたようだ。
 内陣をのぞくと中陣、下陣よりも低い。説明では、本尊や法灯が参拝者の目の高さになり、仏も人もひとつという「仏凡一如」を形に表した形式で、その後回った西塔、横川も同じ形式なっていて、これを天台様式といっている。
 根本中堂の本尊は薬師如来で、最澄が788年に薬師如来をまつたことに由来するが、最澄が彫った薬師如来も安置されていて、その前には開創以来1200年間灯されてきた不滅の法灯がゆらいでいる。
 参拝の中陣や下陣は板張りだが、内陣は土間のままで、座して合掌していると、ほの暗い内陣からあがってくる冷気を感じる。こうした荘厳さが密教に欠かせないのかも知れない。

 このあと、延暦寺の総門=文殊楼、法華総持院東塔を見てから、車で西塔、横川を参拝したあと、比叡山ドライブウェイのロテル・ド・比叡で一休みし、琵琶湖の眺めを堪能した。

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