一週間ぶりのブログアップです。
それほど仕事で忙しかったというわけではなく、ブログに記したいテーマもあったのですが、何となくブログを記す時間を見つけられなかっただけです。夕方、夕食の準備を始めなくてはならないと思い始めて「アッ、今日もアップできなかった。まぁ、明日でも良いか」と思いながらズルズルと一週間が過ぎてしまったわけです

この一週間、世の中(?)はすっかり秋の風情が深まっていました。
昼食の準備中、思わず見惚れてしまうくらいの綺麗な黄葉で、ノーメーク普段着サンダル履きで外に出て撮った写真です。

(誰にも会わなくて良かったぁ

一週間中に何冊か読んだ中で一番印象に残った本です。

この間ケルンの日本文化会館の図書館で借りました。
ハワイの日系社会に興味を抱いたのは数年前ハワイを旅行した折、日系人初のアメリカ上下両院議員ダニエル・イノウエ氏に関するドキュメンタリーを視聴したからです。
ダニエル・イノウエ氏だけではなくハワイで他国からの移民よりも高い評価を受けている(私の愛国的感想なのかもしれませんが)ようなハワイの日系人とはどのようなものだろうと思ったのです。
この本は2013年9月に行われたシンポジウム「海を渡った日本語」を基本構想としてまとめられています。
ですから日本からハワイへ渡った移民の歴史というよりは日本語の変遷に焦点があてられています。
ただ第2章でハワイ移住史の概略が記されています。
サトウキビ農園での労働力不足により1885年から日本政府主導でハワイへの移民が開始されるのですが、20世紀に入ってから日本からの移民が急増し1924年の「排日移民法」が発令されるまでほぼ20万人の日本人がハワイへ移住しました。
その後、日本人の主な移住先はブラジルなどの南米に移ります。
ハワイの日系人の中には第二次大戦中、日本軍や日本国民向け終戦に向けたプロパガンダ活動に従事した人もいます。
対日本軍への軍事戦略のひとつとして「日本語習得」があり、軍隊にも日本語学校が設置されました。ドナルド・キーンさんもアメリカ海軍の日本語学校出身者のおひとりです。
アメリカ本土と同じく大戦中はハワイにも「敵国」の日本人を収容する施設がありました。
ただ1940年代初め、日系人の人口はハワイ全州の40%をも占めていたため、その全ての日系人を隔離するとなるとハワイ経済がなりたたなくなり費用も莫大になってしまうので、抑留者は1200名から1500名ほどで、アメリカ政府が日本への忠誠心が強いとみなした人々でした(仏教や神道の聖職者、日本語新聞の編集者、領事代理、日系社会のリーダーなど)
最後に、ハワイへの移住者は広島・山口両県の出身者が圧倒的に多かったのだそうで、そのため
「ハワイの日本語」には中国地方の方言が強く見られ、英語の語句が頻繁に混じるのが特徴だそうです。
(例)ミーのボーイはのお、今ジャッパンに行っとる。
