
羽田からフランクフルトへのルフトハンザ便の機内で映画「風に立つライオン」を視聴しました。

モデルとなった柴田先生のことを知ったのはさだまさしさんのカセットテープに挟まれていた「ステージ・トーク」のテキストですから、多分25年以上前だと思います。

さだまさしさんについては「精霊流し」のシンガーソングライター(この表現もかなり古いですね)という程度にしか以前は知りませんでした。
10年前に亡くなった母が新聞に掲載されたさだまさしさんのインタビュー記事をドイツに送ってくれたことがありました。
「人間は生まれた時、始めて吸う空気がふるさとの空気であり、それは肺の奥深いところにいつまでも残っているから、ふるさとの空気に対しては特別の思い入れを持つ」というような内容だったと思います(かなりうろ覚えですが)。
母にとっては「ふるさとを捨て去ったような娘」に対してある種のイマシメの思いを込めていたのかもしれません。
ステージ・トークのテキストの中で微笑んでしまったのは柴田先生が医者になった理由を問う次の会話です。
「先生、なして医者になったと」
「まさしさん、よかですたい、そげん事は」
「まさしさん、実はですね、いうとみんな笑うけん、いやですたい、僕は」
「先生、笑わんて」
「実はですね、まさしさん、他へ行って言うたらいけんですよ」
「言わん、言わん、そがん事いわんですよ。口が固かとで有名ですからね。
フォーク界の蛤男っていうのは私のことですから」
といってシュヴァイツァーに憧れて医者になったということを聞きだすのです。
「風に立つライオン」の歌詞の中で印象に残っているのは次の部分です。
「やはり僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね」
原発再稼働や安保法制の議論を見ていると本当にそう感じてしまいます。