毎年5月のゴールデンウィーク後から3-4週間、一時帰国しています。
両親が健在だった頃は実家での滞在期間が長かったのですが、ふた親ともいなくなった後は、
期間の3分の2は夫とレンタカーで旅行し、夫がひと足早く帰独後はひとりでふるさとや東京に滞在して、弟や親戚の方々、学校時代の友人との語らいの時間にあてています。
震災後、「奇跡の一本松」として知られる陸前高田市は故郷の大船渡市の隣町です。
今年も様子を見に行ってきました。

一本松の奥が広い松林で震災前は7万本の松が立っていたのですが、現在は「嵩上げ」工事が行われていました。
いつも夏には海水浴の子供達の歓声に包まれていましたが、現在は荒涼としてなんとも寂しい限りです。
宮沢賢治が愛した「種山が原」は相変わらず長閑な雰囲気でした。

東京では以前、ケルンに住んでいらしていつも書籍の購入をお願いしているKさん(いつもありがとう)と夕食、そして大学時代の友人グループ2組とはランチで語らいました。
食事の時に写真を撮る習慣がまだ身についていないのでいつも忘れてしまいます
。
前菜とデザートのお写真をかろうじて(?)撮りましたので、この2枚を掲載して今回の旅行記は終了です。

両親が健在だった頃は実家での滞在期間が長かったのですが、ふた親ともいなくなった後は、
期間の3分の2は夫とレンタカーで旅行し、夫がひと足早く帰独後はひとりでふるさとや東京に滞在して、弟や親戚の方々、学校時代の友人との語らいの時間にあてています。
震災後、「奇跡の一本松」として知られる陸前高田市は故郷の大船渡市の隣町です。
今年も様子を見に行ってきました。

一本松の奥が広い松林で震災前は7万本の松が立っていたのですが、現在は「嵩上げ」工事が行われていました。
いつも夏には海水浴の子供達の歓声に包まれていましたが、現在は荒涼としてなんとも寂しい限りです。
宮沢賢治が愛した「種山が原」は相変わらず長閑な雰囲気でした。

東京では以前、ケルンに住んでいらしていつも書籍の購入をお願いしているKさん(いつもありがとう)と夕食、そして大学時代の友人グループ2組とはランチで語らいました。
食事の時に写真を撮る習慣がまだ身についていないのでいつも忘れてしまいます

前菜とデザートのお写真をかろうじて(?)撮りましたので、この2枚を掲載して今回の旅行記は終了です。

