須賀敦子さんがマルグリット・ユルスナールという小説家に巡り会う経緯を記した文章があります。
ちょっと長いのですが引用します。
『だれの周囲にも、たぶん、名は以前から耳にしていてもじっさいには読む機会に巡りあうことなく、歳月が過ぎるといった作家や作品はたくさんあるだろう。そのあいだにも、その人の名や作品についての文章を読んだり、それらが話に出たりするたびにじっさいの作品を読んでみたい衝動はうごめいても、そこに至らないまま時間はすぎる。じぶんと本のあいだがどうしても埋まらないのだ。マルグリット・ユルスナールという作家は私にとってまさにそういう人物のひとりだった』
私にとっても須賀敦子さんはそういう存在であり、彼女の作品の中でもこの作品は購入後、読書を始めるまで何故か長い時間が経ってしまいました。
マルグリット・ユルスナールはフランスの女流作家で1980年女性初のアカデミー・フランセーズの会員となっています。
「ユルスナールの靴」ではユルスナールが歴史小説「ハドリアヌス帝の回想」を完成させるまでの過程を通して彼女の一生が描かれています。それと並行して須賀敦子さん自身の回想も綴られています。
「須賀敦子の靴」と題するあとがきを詩人、随筆家、翻訳家、フランス文学者でこの「ハドリアヌス帝の回想」を訳した多田智満子さんが記しているのですが、これまで読んだ「あとがき」の中で一番の秀作だと思います。特に須賀敦子さんとユルスナールを評する以下の文章が好きです。
『須賀敦子はユルスナールの気品ある文体、抑制の利いた表現、さらには「ヨーロッパ文化の粋であるような彼女の思考回路」をすんなりと理解できる特権的な教養の持ち主』
ところでタイトルにある「靴」に関する記述は冒頭にあります。
『きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。・・・・・
行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのはあるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴を持たなかったせいなのだ』
この靴はじぶんの進むべき道が定まらなかった頃の須賀敦子とユルスナールの魂の模索を象徴しています。
ちなみにユルスナール3歳の頃の写真で彼女の靴に言及している文章もあります。
以下の写真です。
引用文が多くてとても長くなってしまいましたこと恐縮です。
「本に読まれて」は未読ですが、他はもう何度か読んでいます。「コルシア書店の仲間たち」の松山巌さんの「あとがき」も好きです。昨年一時帰国時に購入した「須賀敦子の本棚」(文藝別冊)では各界の知識人が須賀さんのことについて色々語っていてとても良い編集です。