映画「猿の惑星:新世紀(ライジング)」の日本公開は9月に入ってからのようですが、ドイツでは数日前から公開されています。ドイツ版では新世紀ではなく革命(レボリューション)になっています。
我が家にある何か「猿」関連の置物を捜したところテラスに雨ざらしになっている以前エジプトで購入してきた古代エジプトの「ヒヒの神」の置物がありました。
ドイツ公開に先立ち新聞に映画の紹介記事が掲載されていました。さすがドイツだなあと思ったのはドイツの哲学者ニーチェの著作「ツァラトゥストラはこう言った」からの下記の文章が引用されていたことです。
「・・・かつてあなたがたは猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿よりも以上に猿である」
34年前、ドイツに来るときに岩手の実家にあった「岩波文庫100冊の本」からドイツに関連する「ベルツの日記」とか「ファウスト」そしてこのニーチェの本などを持ってきました。この34年間で実際に読み通したのは「ベルツの日記」ぐらいです。
「岩波文庫100冊の本」は亡くなった母が家に置いておけば私や二人の弟がいつかは興味を示してくれるかもしれないとかすかな希望を抱いて購入したようですが、「アマインダナァ、これが」、誰も手にとらずホコリに埋もれていたのを何冊かスーツケースに入れたのでした。哲学者の著書というと難解な気がしますが文章はいたって平易、ただそこから哲学的な思惟を読み取るのは私にはとても無理です。
アフリカのサバンナでバウバップの木陰で平和そうに(そう見えるだけなのかもしれませんが)佇む動物たちを見ると、世界各地で争いを続ける人間のどこが賢いのかなあと思ってしまいます。ツァラトゥストラの言葉にうなずいてしまいます。
最後に猿の惑星の主人公(主猿公?)シーザー君が沈思黙考している姿をご紹介します。
その時ニーチェの本を引っ張り出してきました。
序説を読んだだけで進んでいませんけど(笑)
引用された箇所はその序説の中にあります。
シュトラウスの「ツァラトゥストラ・・・」は「2001年宇宙の旅」のテーマ曲になっていますが、人類の進化とニーチェの哲学とを結びつけるあたりはキューブリックらしいと思いました。
シーザーくんの沈思黙考する表情は、ニーチェの言う「超人」ではなく、まさに「超猿」?
昨今の政治家の愚かな表情をみていると、シーザーくんの方がずっと真摯に人生(猿生?)に向き合っているような気がします。