宮古島に初めて訪れたのは20年前でした。
あの当時は宮古島の周辺の島としては伊良部島しか知りませんでした。
でも宮古島は現在北から池間島、西に伊良部島と下地島、南に来間島と橋で繋がっています。
北部に位置するパワースポット大神島へは高速艇で15分で行けますが定期便は一日4往復しかありません。
伊良部島と下地島は地図上では陸続きのように見えますが細い海水路が間にあります。
下地島の空港は以前はパイロット養成専門の飛行場でしたが、現在はLCC専用の空港になっています。
宮古島の魅力は美しいビーチです。新婚カップルの撮影地としても人気があります。
今回は宮古島に到着して2日後に伊良部島北部で自衛隊のヘリコプターが行方不明になったこともあり、
特に島の北部で捜索する自衛隊員を見かけました。
島全体が珊瑚礁に囲まれ強い潮流もあるので捜索は難航しているようです。
夫が今回も是非訪れたかった所は「うえのドイツ文化村」です。
ここは明治時代に宮古島の住人がドイツの難破船を救助したゆかりの地に立つテーマパークです。
2000年7月に行われたG7沖縄サミット時にはシュレーダー元首相もこの地を訪れました。
テーマパークに立つ城はライン河沿いに聳えるマルクスブルク城がモデルになっています。
城の中は記念館になっていてドイツの暮らしや難破船救助の記録が展示されています。
Mundlosという名の昔のドイツのミシンは夫の出身地Magdeburugのメーカーです。
夫の実家は創業者のMundlosさん一家と親交があったそうです。
難破したドイツの商船Robertson号です。
当時中国の港から台湾との間を南下してオーストラリアまで航行する予定だったそうですが、
暴風のため宮古島で座礁してしまいました。
島民に救助され1ヶ月間手厚く世話をされた後本国へ戻ることが出来ました。
この美談に当時のヴィルヘルム皇帝が感謝状を島民に大使を通じて授与したということです。
船が難破したあたりに立つ杭は珊瑚礁の間の船が通れる場所を示しています。
船はこの杭の100m程のところで座礁したということです。
この辺りは岩だらけで岩の穴がハート型になっていることから「ハート岩」と名付けられた岩もあります。
島で一番美しいビーチと言われる与那覇前浜にあるホテルに滞在しています。
対岸の来間島からの写真です。
部屋のバルコニーからは来間島にかかる橋と島の展望台が見えます。
ホテルの庭のデイゴの木の花も咲き始めました。
美智子上皇さまが1972年5月15日の沖縄復帰を詠まれた御歌を思い出します。
この夜半と子らの眠りも運びつつデイゴ咲きつぐ島帰り来ぬ
昨晩は綺麗な夕陽でした。