どんな事にも時があるらしい。
「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、
植える時、植えたものを抜く時」。
旧約聖書に書かれてある言葉らしい。
定められた時がわからないから、ぼくはおろおろする。
せめて、植える時くらいは、定められた時を守ってみようと思う。
それも、しっかりと定かではないが。
机の上を片付けていたら、アサガオと風船カズラのタネが出てきた。
水に漬けておいたら、アサガオだけ芽が出てきたので、やはり今が時かもしれないぞと、植木鉢に植えた。
ぼくは知らなかったが、先の言葉は『コヘレトの言葉』としてよく知られているようだ。
彼は青年期に愛のうたを詠い、壮年期には知恵の言葉を、そして晩年には、この世のすべてを虚しいと断じたという。
彼もまた、ひととしての定められた時を、変貌しながら生きたのだろうか。
ぼくには、ぼくの時はわからないが、アサガオの時なら少しわかるような気がしている。
やがて双葉が出て花が咲く。夏を過ぎて秋へと、季節とともに花を開いていくだろう。
ただし、どんな色の花が咲くのか、ぼくにもわからない。
だが、わからないということは楽しみでもある。
「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」。
これも、コヘレトの言葉らしい。
どんな事にも時があるとしても、その時を知ることは難しいということだろうか。逆境もまた、定められた時なのかもしれない。
さらに彼の言葉。
「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう」とも。
時とは、動いてもいくものなのだ。
いつか定められた時に、アサガオの花も咲くだろう。
でも私はきっと焦って見失ってる事が
多くあります。
yo-yoさんの様に朝顔にほんの小さな種
さえも見逃さず時期を知るとは素敵な事
だと思います。変貌しながら色んな事
わかっていける人間になりたいものです
> 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
深く納得できる言葉ですね。
これは世の中の事象についての言葉と思いますが、
私たちの体の細胞一つ一つにも時が定められていて、
その時が来たら死滅すると聞いたことがあります。
それがうまく機能しないと、5本の指がきれいに5本にならず、
くっついてしまうそうです。
生物学など存在しない何千年も前に、その”定められた時”すべてについて言及しているとは、
旧約聖書ってやはり侮れないなと思います。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
アサガオの芽が出てきて、日ごとに葉っぱも増えていくようです。
あんな小さなかたいタネが、時と環境を得たら変貌する。
なんとも不思議ですね。
熊子の百葉箱さんのブログも、意想外の日々の変貌がみられて、
とても興味深く毎日拝見させていただいてます。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
目には見えない体の中の細胞も、日々生まれ変わっているんですね。
時の幸運をつかみ取ろうとする5本の指も、やはり
時の定めに支配されているのでしょうか。
ぼくはその指でアサガオのタネを土に返したとき、
なぜか、とても気分が良かったです。
聖書には、一粒の麦の話もあったようですね。