風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

みんな何処へ行ってしまったのか

2016年10月12日 | 「新詩集2016」


  あしたの天気

いつも見ている山が近くなった
そんな日は雨が降ると
祖父の天気予報
湿った大気がレンズみたいになるらしい
山が近いという大人の言葉が分からなかった
山はいつも変わらなかったから

秋の夕やけ鎌をとげ
またもや祖父の声がする
あしたは稲刈り
顔を真っ赤にして鎌を研いでいた
家を出た父は商人になった
体も声もでかいが田植えも稲刈りもしたことがない

雨ふる山も夕やけも
祖父も父ももう居ない
稲刈りする百姓も居なくなったが
声だけが残されて
あしたの天気を教えてくれる

*

  山の水が澄みわたるので

納戸の隅とか仏壇とかに
小さな暗やみがいっぱいあったけれど
おばあさんがいつも居た
土間の流しにも暗やみがあった

汽車が駅に着いたときだけ
前の道をひと声が通りすぎる
勝手口からおばあさんの大きな声が
ときどき村人の足をとめた

夏は山の水が澄みわたるので
ひともさかなも沢をのぼる
わんどの暗い淀みに
ザリガニのむき身を放り込むと
水の底がぐるるんと濁る

おばあさんが焼くナマズの風が
草の畦道を帰ってゆくようだ
山の水が澄みわたり
遠い川も近くなる
ときどき大きなさかなが現れて
夢の泥をまきあげる
深くて暗い
夜の底がみえる

*

  秋の山

赤い土をこねて
祖父は小さな山をつくった
がりりと土壁を引っかく
鎌の刃先の
あの放物線が消せない

秋へ秋へと
ゆらゆらと山を登っていく
黄蝶のような麦わらのシャッポ
蔓に蔓を接ぎ木して
みどり葉の空をかさねてゆく
あかい実がしたたる秋
それが祖父の葡萄山だった

指をコンパスにして
いっきに放物線の山を越えてみる
その日も
したたる果汁のいたみが
赤くて消せなかった

*

  そこにはもう誰もいない

ごっちゃに集まるお盆の夜は
ご詠歌と鉦のひびき
父の声は祖父にそっくり
伯父の声は父にそっくりだった
いまは彼らに似た声の
誰かが鉦をたたいているのだろうか
大阪の実家は融通念仏宗
家をでた父は九州の山奥で法華宗に
四国出身の祖父は真言宗から法華宗に
お墓参りの念仏も
南無阿彌陀仏か南無妙法蓮華経かでややこしい
念珠の形までうるさかった人たちも
いまはもう墓の中で眠っている

騒がしさの中に静けさがある
見える声と見えない声がまじる
出かける人たちや帰ってくる人たち
生きてる人たちが遠くへ行き
死んだ人たちが遠くから帰ってくる
生きてる人と死んだ人が
見えないどこかで交錯する
行ったり来たりするうち
近しい人たちも半分になって
いつしか人生の半分を失ったみたいだ

周りがだんだん静かになって
記憶の声だけが騒がしい
みんな声が大きかったのだろう
流浪の末裔が流浪している
ふと父の声に振りかえる
だがそこには誰もいない





コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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寂しさが胸に染みる詩ですね(*´-`) (雀(から))
2016-10-14 07:36:11
😢本当に私も年をとりました…年々、見知った人が居なくなります🙏
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ありがとうございます (yo-yo)
2016-10-15 07:44:05
雀さん
読んでいただき、コメントまでいただきました。
ありがとうございます。励みになります。
これからも、よろしくお願いします。

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