風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

朝の顔

2018年05月28日 | 「新エッセイ集2018」

 

アサガオの芽が順調に伸びている。
とくに面倒をみるわけでもないので、アサガオはアサガオで勝手に生長しているのだろう。
それでも一枚ずつ葉っぱを増やして、少しずつしっかりとした形になっていくのを見ていると、小さな幸せを育てているような気分になる。

結婚したばかりの、友人の新居に泊まったことがある。
ぼくは23歳だった。別府の結核療養所で、1年半の療養生活を終えたばかりだった。
ふたたび東京で学生生活を始めるかどうか迷っていた。体力も気力も自信がなかった。夢もおおかた砕け散っていた。

その朝、目を覚ますと、窓ガラスに何かの葉っぱの影が揺れていた。影というのは、生き物のように動くものなんだなあと思いながら、寝床に入ったままぼんやり見ていた。
ゆれ動く影絵の中に、朝の気配があった。
不安定な影ではあるけれど、手の届くところに何かある、確かな朝だった。自分はただじっとしている、まわりだけが動いている。そんな朝の中に、いつまでも浸って居たかった。
昼も来なくていい。夜も来なくていい。あすもあさっても来なくていいと思った。いま、その瞬間にある確かさだけが在ればよかった。

台所のほうから、新婚のふたりの話し声が聞こえてきた。
ご飯が足りないと言ってるようだった。どうして、と彼のとがめる声がした。お米の量を間違えたのよ、と彼女の低い声。
そんな会話から、まだ新しい生活になれていない、ふたりだけで共有する戸惑いの気配が伝わってきた。
これが、ぼくの知らない生活というものなんだなあと思った。
部屋を隔てて確かな生活があるようだった。何気ないものから、生活の朝は始まるようだった。

ぼくたちの、その朝の食事がどうなったかは憶えていない。
ただ、窓ガラスの葉っぱの影が気になって、ぼくは起きるとまっ先に窓を開けてみた。
なにかが立ち止まって話しかけてくるような気配がした。そこには、アサガオの花が咲いていた。

 


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2 コメント

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Unknown (熊子の百葉箱)
2018-05-28 12:31:41
いつもその光景が鮮明に
現れるかの様に丁寧な言葉が
響き世界に引き込まれます
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ありがとう (yo-yo)
2018-05-28 17:14:38
熊子の百葉箱さん
いつも、ありがとうございます。

ぼくの言葉の力というよりも、
熊子さんの豊かな想像力に助けられていると思います。
先が見通せない不安な日々の中にいたから、
葉っぱの影の動きにも心が動かされたのかもしれません。
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