風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

坂の上には雲がある

2010年05月14日 | 「特選詩集」
Haniwa


むかしむかし と始めると
日本昔話になってしまいそうだが
古い話を始めないと
新しい物語も 始まらないのかもしれない
いつのまにか それだけ古いものを
背中にいっぱい背負ってしまった


はあはあと 息を切らしながら坂を上る
新しいものなど なかなか見えてはこない
見えてはこないから
ふたたび むかしむかしと始めると
この辺りには 小さな山があった
いつしか山は削られ まちになった
山は古いかたちが残ったので
新しいまちは 坂が多い
ぼくは古い山の中腹の
新しいまちの 坂の途中に住んでいる
上ろうか下ろうかと まいにち迷っている
坂を上ると未来がある
坂を下ると過去がある
けもののような思考をする


坂の上には駅とスーパーがあり
一日はいつも そこから始まろうとする
だが始まりそうで何も始まらない
坂の上には何かがあり そして何もない
坂の下には 古い神社と集落と田んぼがある
新しい年だから 古い神社を訪ねる
坂の下の新しいもの
境内では老木が燃えている
炎は懐かしく 立ちのぼる煙が神にみえる
古代人になって 火の文字を読んでみる
村の記録があぶり出される
茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)とは難しい文字だ
ちぬのあがたとは 古い大阪のことで
大阪湾のことを 茅淳(ちぬ)の海と呼んだという
チヌという魚がたくさん泳いでいたのだろう
ぼくもかつて 夜の海でチヌを追った
だが黒鯛のようなその魚は つれない恋人のようだった
歓喜するデートは 数えるほどしかなく 
いつしか チヌの海は遠くなった


むかしむかし の話はつづく
茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)の
陶邑(すえむら)とは 陶器(須恵器)を焼く村のことだった
毎朝ぼくは 石段を上ってウォーキングをする
その脇の斜面に 古代の窯跡がある
かつて 須恵器を焼く煙が立ちのぼっていたという
近くには 陶器山という山があり 陶器川という川がある
ぼくは石段を上って 縄文のドングリをひろい
薪をあつめて 弥生人のふりをしてみる
新しい一日は いつも古い一日から始まる


少年の日 父とふたり
近くの山で 赤土を掘った
金木犀の庭をつぶして 父は土をこね
小さなかまどを作った
その頃の父は強くて恐ろしくて まだ弥生人だった
かまどの薪をうまく燃せないぼくは
泣きながら穴倉をとび出した
あれが父との たったいちどの共同作業だったかもしれない
いまでは かまどの家も父も 古い一日となった


元日というものが 新しい一日だとしたら
どんな新しいことが始まるのだろう
日にちを重ねても重ねても
ふたたび新しいものを求めてしまう
手水で手を清め 口をすすぐ
二拝二柏手一拝して もごもごと願いごとをする
古くて新しい坂道を上って
やっと家に辿りつくと そのままダウン
暮れの疲れに 夢の節々を責められて眠る


急(せ)いて急(せ)きまへん とは
せっかちな大阪人の口ぐせだ
急きまへんと言いながら急かしているのだ
なぜそんなに急かすのかわからない
急げばミスが起きる まちがいは直さねばならない
直せば直すほど 急いだことが無駄になる
ああ 古い夢は早くすてたい


夢から覚めても まだ元日だった
年賀状というものを思い出してポストを覗いた
葉書の束は年々薄くなる
古い活字と 古い挨拶
松竹梅も筆文字も古い 思い浮かぶ顔も古いまま
新年とは ほんとに新しい年なのか
この寒さだけが新しい
ぱらぱらと降る雪と 耳を切るこがらしだけが新しい
寒さに震えている体が新しい
むかしむかし 
寒いといって ひとは泣いただろうか
寒いといって 抱き合っただろうか
食べ物は凍っただろうか
いまは 坂のあるまちに住んでいる
せっせと坂道を上ると 体はあたたまる
それが唯一 坂の効用だ
坂の上には雲がある
雲は煙に似ている


(2010)


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