風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

蜜の季節があった

2024年03月04日 | 「2024 風のファミリー」

 

梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな愛らしい色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。
懐かしい香りがする。香りは花の言葉かもしれない。春まだきの梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を呼び寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に見えないものは言葉にするのが難しい。たぶん言葉になる前のままで、漂っているのだろう。

メジロが花の蜜を吸っている。小さな体が縦になったり横になったり、逆立ちしたりして、花から花へととりついている。花の間に見え隠れする緑色の羽が、点滅する至福の色にみえる。
周りは山ばかり、木ばかり草ばかり、そんなところで育った。私は虫であり、鳥であり風であった。夢中で花の蜜を吸った。ツツジやツバキの蜜を、むしり取った花の、とがった尻の部分から吸った。甘かったかどうかは憶えていない。単純なゲームのようなものだった。まだ幼虫であった子供たちの、日常の習性のようなものだった。わずかでも甘みのあるものは、口にしてみる習性があった。木の実はもちろん、葛のかずらや草の根もかじってみる。

それが蜜の味といえるかどうかわからない。土や苔や黴の味がした。そのあとに、かすかな甘みと苦みが沁みだしてくるのを舌でさぐった。それは冬から春へと変わろうとする、何かが動き始めようとする、気配だけの曖昧な季節だっただろうか。陽射しがすこし明るくなり、夕暮れがすこし長くなると、今まで閉じ込められていた冬への鬱憤を晴らすように、小さな虫の私らは野山に駆け出していった。だが、私らを待っているものは何もなかった。木も草もまだ枯れたままだった。冬の寂しさが残っていた。それでもかまわなかった。私らはもっと寂しかったのだ。

メジロの、白く縁取りされた黒い目と、透きとおった声。蜜を吸う私らも、春を待つ小鳥だったかもしれない。花は見るものではなく、口にするものだった。花を美しいと思ったことはなかった。すこし甘いとか、すこし酸っぱいとか、花はそのような存在だった。蜜を吸うことで心が満たされたかどうかはわからない。花から花へと飛びうつる小鳥みたいに、いつか自在に飛べるようになる。黄色い嘴の先でそんな夢を見ながら、小さな羽をふるわせていたのかもしれない。




「2024 風のファミリー」




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