風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

いまや東京は外国だった

2019年10月24日 | 「新エッセイ集2019」
所用があり、久しぶりに東京へ出かけてきた。
かつての街の記憶やイメージと、現在の東京の印象には大きな隔たりがあった。
移動はほとんど地下鉄だったが、まるで蜘蛛の巣のように入り組んでいて、おまけに人も多くて、ぶつからないように歩くだけでも大変だった。
行き交う人々も半分以上は外国人で、自分はどこへ行こうとしているのか、いまどこにいるのかさえ判らなくなりそうだった。立ち止まることもできず、人の流れをかいくぐったり押されたりしながら、ひたすら目的の駅名や記号を追いながら歩いた。

駅名だけは馴染みがあったが、駅や街の様子はすっかり変貌していた。
地上に出ると、そこは高層ビルばかりで現代の迷路のようだった。角をひとつ間違えると、とたんに迷子になった。道を尋ねると、相手は外国人だったりして言葉も通じなかった。
いつのまにか東京は外国になっていて、ぼく自身も外国人になっているのだった。
豊洲のホテルでは、受付嬢も日本語が片言で、チェックインの入力操作もうまくいかず、結局は手書きで記名させられてしまった。宿泊客も外国人の方が多かった。ホテルのシャトルバスの運転手も、運転はうまかったが細かい日本語は通じにくかった。

なんとなく新しい東京に拒絶された思いになったので、大阪に帰る最終日、乗換え駅の上野で外に出てアメ横を歩いてみた。おしゃれな東京とは違って、ここには雑駁で人間臭い別の東京があった。客も店員も外国人が多くて、呼び込みも何語かわからない外国語が飛び交っていた。
店頭には生魚が並べられ異臭を放っている。その隣りの店では、派手なTシャツやジャンパーがぶら下がっている。東南アジアのどこかの市場を歩いているみたいで、旅行者の気分になればそれなりに楽しかった。

上野の街は古いのか新しいのか、よくわからないところだった。ついでに古い浅草も見てみたくなり、そこから古い地下鉄に乗って浅草に向かった。
仲見世通りは人でいっぱいで、自分の意志ではなく人に押されて歩いているみたいだった。ここでも多くは外国人で、自分ももはや外国人みたいなものだから、思いきり観光気分に浸ってみるしかなかった。
古いものと新しいものが混在している、そんな中に巻き込まれる戸惑いが楽しかった。焼きたての人形焼きをPayPayで払って食べた。

浅草寺の境内からスカイツリーの先端が見えた。それを目印に、ひと込みを離れて隅田川まで歩く。言問橋の近くでスカイツリーの全貌が現れた。
やっと周りが静かになった。
ゆったりと流れる川と、そこから指さすように空へ延びる塔を眺めているうち、新しさもあり懐かしさもある東京の景色が、静かに蘇ってきた。
まもなくここを離れて、ふたたび西のどこかへ帰らなければならない。ちょっぴり旅愁の風を感じた。
東京の地下鉄の、蜘蛛の巣を抜け出したら、数日間はなれていたネットの蜘蛛の巣が、急に恋しくなった。





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2 コメント

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Unknown (ash-ryu)
2019-10-25 12:47:52
東京の外れ在住ですが、ここ数年東京は本当に外国人だらけです。
平日の新大久保など80%以上は外国人で、また看板なども韓国語、中国語、タイ語、あとよくわからん言語がいっぱいで、ここは日本ではなくアジアの架空の都市か‥などと錯覚してしまいそうになります。

それでも湯島あたりは、まだまだ古くて情緒のある建物などが残されていて、風情あるなぁ~と見とれていたら隣はラブホテルだった、とか、そういうのが今の東京なんだと思います。
私は新興住宅地育ちなので、東京のような古いものと新しいもの、由緒正しいものと俗っぽいものがごちゃごちゃな東京や大阪は大好きです。

また今度、ぜひいらしてください。
いい季節に、ちょっと人の少ない古い街をぶらっと歩くのはとても楽しいですよ。
お待ちしてます。
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Unknown (yo88yo)
2019-10-25 17:08:46
@ash-ryu ash-ryuさん
コメントありがとうございます。

東京には10年ほど住んだことがあります。
西武沿線の、
学生の頃下宿していたところも訪ねてみましたが、
当時は周りは畑地だったところも、
アパートやマンションになっていて、
古い住宅は探すこともできませんでした。
記憶の中の地図は、もう役に立ちませんでした。

東京には息子と孫が住んでいるので、
また上京の機会はあると思います。
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