![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/08/a90cd9204fe04c6c30e1c37bd7c24fed.jpg)
日本語は、恋をすることでみがかれた、恋をするために生まれた言葉、だと聞いた。恋をする熱い想いは、吐息のような言葉を生み出すのだろうか。
たまゆらに 昨日の夕 見しものを
今日の朝に 恋ふべきものか
(作者不詳『万葉集』より)
たまゆらとは、漢字で玉響と書く。珠と珠が触れ合って、一瞬かすかな音をたてるような、そんな短い時間のことをいうということを、だいぶ以前に放送された『恋する日本語』というNHKのテレビ番組ではじめて知った。
たまゆらに生まれる恋。それはひとめ惚れのことではなかろうか。それとも、恋とはそういうものなのだろうか。
ひとの心の中にある珠、それは魂かもしれない。魂と魂がたまゆらに触れ合う。その響きを止めることができなくなったとき、揺れつづけている魂を恋といえるのかもしれない。
番組の中で出てきた、いくつかの気になる古い日本語があった。
・恋水(こいみず)=恋のために流す涙のこと。
変水(おちみず)という言葉の書きまちがえから生まれた言葉らしい。変水とは、むかし月にあって飲むと若返ると信じられていた水のことだという。月の水なんて、どうやって取りに行くんだろう。それとも月から水が落ちてきたんだろうか。
恋水と変水とはすこし違うが、若返ることと恋とは関係があるかもしれない。ただし文字面からみると、変には心がないけれど、恋には心がなければならない。
・転た(うたた)、転寝(うたたね)=寝るつもりでなく横になっているうちに眠ってしまうこと。
うたたねに 恋しき人をみてしより
ゆめてふ物は たのみそめてき
うたたねも恋しい人の夢が見れたりするんだもの、捨てたもんじゃないわ。美しい小野小町もそう歌ったという(『古今和歌集』)。
小町のように、すてきな夢などなかなか見ることはできないけれど、うたた寝は気持がいいものだ。
眠るつもりもなく、つい眠ってしまう。日曜日の午後など、うとうと微睡んでいるうち顔に夕日を浴びて目が覚め、ああ今日も無為に過ごしてしまったなどと後悔したりする。同じ夕方でも、次のケースとは大きな隔たりがある。
・夕轟(ゆうとどろき)=恋心などのために、夕暮れどきに胸がさわぐこと。
・時雨心地(しぐれごこち)=時雨の降ろうとする空模様のこと。転じて涙が出そうになる気持ち。
・揺蕩う(たゆたう)=決しかねて心があれこれと迷うこと。
・涵養(かんよう)=水がしみこむように、少しずつ養い育てること。
恋には迷う心がつきものなのだろうか。迷ったり苦しんだり、歓喜したり錯覚したりしながら、花木に水をやるように時間をかけて少しずつ育っていくものらしい。
恋する日本語、それは今ではほとんど使われない古い日本語でもあるようだ。しかし、その古い日本語を味わう心がなければ、恋を成就させることは難しいのかもしれない。
ひところ、指で操作するケータイから生まれる指恋(ゆびこい)とか、遠距離恋愛の遠恋(えんれん)などという、新しい恋する日本語も出てはきたけれども。
やはり昔ながらの言葉に、ゆかしさを感じます。ここに挙げられた言葉ではないものーー
パサパサした言語で日常を過ごしているな、
みずみずしさは、どこへ行ってしまったやら。
とは言え、若い人のスマホ用語にもついていけず。
言霊のさきわう国に住みながら、寄る年波に、こんなはずではなかったと思ったりしています。
いつも、ありがとうございます。
みずみずしさという言葉のとおり、
情感のこもった言葉には
水の滴りのようなものを感じますね。
医者はよく
水分を十分にとってくださいと言います。
体も心も乾いてはいけないようですね。