A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

絶頂期のペッパーアダムスのライブでKenny Wheelerを相手に選んだ理由は・・・・

2015-01-24 | PEPPER ADAMS

Pepper Adams Live at Fat Tuesday’s

1981年春ペッパーアダムスはヨーロッパを旅していた。
一年前に作ったアルバム、”The Masters”での演奏が再びグラミー賞のベストソリストにノミネートされ、ソリストとしての活動に自信を深めていた。そして、そのプレーを披露し、評価してもらえる場所はアメリカだけでなくヨーロッパにも多かった。

4月にニューヨークを発ち、オランダでの演奏を終え5月2日にはノルウェー入りをした。1ケ月間様々なグループ、メンバー達と演奏をしたが、そこで一緒に行動を共にしたのがカナダ出身のケニーホイーラーであった。その時、すでにECMでのアルバムも多く、ヨーロッパではすでに名が売れたトランぺッターであった。

それからしばらくして、アダムスがインタビューを受けることに。
良くある「今後どんなことをやりたいですか?」という問いに、多くの人は漠然と「元気にいつまでもプレーしたいと」と答えるのが一般的だが、たまに具体的な計画や一緒にやりたいミュージシャンの名前が挙がる事がある。
その時のアダムスの答えもそうであった。「ノルウェーで一緒にプレーした、ケニーホイーラーと是非もう一度一緒にやってみたい」というものであった。

1983年、この年もアダムスは積極的に活動していた。1982年末に発表されたダウンビートの読者投票ではバリトンサックス部門で1953年以降30年間首位を続けていたジェリ―マリガンを抑えて初めて首位となったこともあり、活動の幅はさらに広がっていた。

ブルーノート、ボトムラインといった有名クラブへの出演が続き、古巣のビレッジバンガードへはエルビンジョーンズのグループに参加して出演していた。
そして、6月にはハンクジョーンズと共にスウェーデンに渡りストックホルムジャズフェスティバルに参加する。そこでは久々にモニカゼタールンドとも共演し、チェットベイカー、レッドミッチェル、シェリーマンというメンバーでも舞台を賑わせた。

帰国後は、エルビンジョーンズ、リチャードデイビス、フランクフォスターというあのHeavy Soundsのアルバムに参加したメンバー達の再会セッションへの参加もあった。
かと思えば、バリーハリスとはレッドロドニー、クリフォードジョーダンを加えたセッションも。
どれをとってみても、聴きに行きたくなるライブの連続だった。

そのような忙しい日々をおくっていた最中、アダムスの希望を実現する「場」が設けられた。アメリカではまだ無名であったケニーホイーラーを招いたセッションを受け入れるクラブやレーベルは稀であったが、ジャズクラブのFat Tuesday’s、そしてUptownというレーベルが手を上げてくれた。そこでレコーディングセッションがセットされた。

リズムセクションはノルウェーからメンバーを呼ぶのではなく、地元ニューヨークのミュージシャンが起用された。ピアノには一緒にストックホルムに行ったばかりのハンクジョーンズ。アダムスはジョーンズ兄弟とは同郷の仲間、サドジョーンズ、エルビンとは良くプレーしていたが、ハンクジョーンズとのプレーはあまり機会が多く無かった。そして、ベースにはクリントヒューストン、ドラムにはルイスヘイズ。



ライブに先立ち、リハーサルが行われたが、メンバー達はあっと言う間に打ち解けた雰囲気となった。
レコーディングはファッツチューズデイズでのライブで予定されたが、そこでまた問題が生じる。
選曲にあたってペッパーアダムスがスタンダード曲を頑として受け入れなかった。唯一Alone Togetherだけが選ばれたが残りはオリジナルとなった。



クラブ出演は6月16日からの5日間、録音はプレーもこなれた19日と20日の最後の2日間で行うことに。結果的に、この両日のセットリストを見てもいわゆるスタンダード曲は無く、ステージではOleoやAu Privaveが演奏されたがこれらはリズムセクションのみの演奏。アダムスとホイラーは参加していない。

この結果にはどうもプロデューサー側は不本意であったようだが、逆にこれがアダムスのリーダーアルバムに対する美学だったのかもしれない。前作のルーロウルズのアルバムでも起きたプロデューサーとの軋轢であった。他のミュージシャンのパートナーとして参加した時は、どんな曲でも、そしてどんなスタイルでもこなしたアダムスであったが、自分のリーダーアルバムに関しては妥協を許さない拘りだった。プロデューサーやレーベルにとっては扱いにくく、これがリーダーアルバムの少ない原因かもしれない。

もう一つは録音の問題。ライブでもあるが確かに決して良い音とは言えない。ベースのヒューストンもコメントしている、これは奇妙なサウンドと。自分達が行った演奏の音ではないが、自分達の手を離れてからの問題だと言っている。プロデューサー側も自分達はルディーバンゲルダーの音が好きなのだが、この結果には満足はしておらず、これはレコーディングを担当したJim Andersonの問題だと言っている。
なかなか良いメンバー、いい演奏でも結果が、曲と音を合わせて3拍子が揃うのは難しいものだ。

色々あったものの、演奏は素晴らしく、水と油に感じるアダムスとホイラーのサウンドもうまく噛み合っている。アダムスとトランペットの組み合わせというとブルーノートのドナルドバードとのコンビでファンキーな演奏が思い浮かぶが、サドジョーンズとかチェットベイカーなど良く共演するトランペットの好みは必ずしも派手なタイプではない。ドナルドバードとの演奏もクラブではアルバムとは別の雰囲気を感じさせる。

ハンクジョーンズはアダムスのバリトンを称して、大部分のプレーヤーは安全域の中で演奏するがそれがプレーの可能性をつぶしている。ところが、アダムスはハーモニーでも、メロディーでもすべての点で、常にその「安全域」を超えて可能性にチャレンジしている。それが良い演奏になっているのだとコメントしている。
レーシングドライバーが、危険なカーブでもスピードを落とさずに突っ込むからこそ、ドライビングテクニックが発揮できるのと同じ事を言わんとしているのだろう。

このアルバムにおけるアダムスの演奏は、また翌年のグラミー賞のベストソリストにノミネートされることになる。これも、アダムス絶頂期のアルバムの一枚といえよう。

しかし、折角の絶頂期に残されたアルバムは少ない。活動歴を見ると、始めに述べたように連日数多くの魅力あるセッションに参加している。特に、この時期のエルビンジョーンズとのプレーは是非聴いてみたいものだ。アルバムとしては残っていないが、多くのプライベート録音は残されているようなので、どこかで陽の目を見ているかもしれない。

絶頂を迎えたアダムスが亡くなるのはこのレコーディングから3年後の1986年9月。その間のリーダーアルバムも後一枚を残すのみとなった。

1. Conjuration                     Pepper Adams 7:47
2. Alone Together      Dietz / Howard Dietz / Arthur Schwartz 8:17
3. Diabolique II                   Pepper Adams 7:58
4. Claudette's Way *             Pepper Adams 7:35
5. Dylan's Delight *                 Pepper Adams 6:46
6. Dr. Deep                   Pepper Adams 7:33
7. Old Ballad                     K.Wheeler 7:10
8. Quittin' Time *                   T. Jones 6:52
9. Dobbin                    Pepper Adams 5:45
10. Tis *                      T. Jones 2:34

*はCD盤に収録

Pepper Adams (bs)
Kenny Wheeler (tp)
Hank Jones (p)
Clint Houston (b)
Louis Hayes (ds)

Produced by Robert Sunenblic & Mark Feldman
Recording Engineer ; Jim Anderson
Recorded live at Fat Tuesday’s , New York on August 19 & 20, 1983

CONJURATION / FATTUESDAY'S SESSION
pepper Adams
RESERVOIR

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