SCOTT HAMILTON / “Scott Hamilton is a good wind who is blowing us no ill”
新しい時代を築くには何も新しいことをやる人材だけが必要なわけではない、古き良き伝統を引き継ぐ人材がいてこそ新しい時代が築けるのだと思う。
Concordレーベルというと、「ベテランの第一線への復帰」というイメージが強い。
確かにオーナーのカールジェファーソンの想いは、スタジオ入りしたジャズプレーヤーを第一線に引き戻すこと。コマーシャリズムや時の流行を排除し、彼らが昔慣れ親しんだストレートなジャズを「今に」蘇らせることにあった。
ホスト役ともいえるレイブラウンやジェイクハナを筆頭に、彼らの元に集まるベテラン勢はその招きを自ら楽しむかの如く次から次へと好演をConcord Jazz FestivalにそしてConcordレーベルに残していった。
そんな中に、突如「超大型の新人」が現れる。
いよいよConcordレーベルが生んだ、最初のスターの登場だ。
テナーのScott Hamilton。
今ではデビューから30年。彼もいつのまにか大ベテランの一人になってしまっているが。その登場はセンセーショナルであり意外性に富んだデビューであった。
コルトレーンを聴いて育ったテナー奏者は大なり小なりその影響を受けることになる。さらに、新たにFusionが一世を風靡すると若者の多くは演奏する側も聴き手も皆その世界に引き込まれていった。若者だけではなく中堅やベテランのプレーヤーの多くも。
そして、古き30年代、40年代のジャズはその当時活躍したプレーヤーの思い出と共に奏でられる「懐メロ」の世界でしか聴くことのできないものとなっていった。
時代の流れといえばそれまでであるが。
ところが、そこに弱冠22歳の若者がいきなりタイムスリップしたかのように古き良き時代のジャズを引下げて登場した。
彼の経歴を見ると、その原点は彼の父にあったようだ。
画家であり教師であった父が集めた30年代や40年代のレコードが家の中に数多くあった。78回転のベンウェブスターやコールマンホキンス。それらに囲まれて彼は育ったのだった。
クラリネットやピアノで音楽に親しんだ後、17歳でサックスを手にした彼はこのレコードのような演奏を繰り広げるに至ったそうだ。もちろんコルトレーンを聴くこともあったがその影響を受けることも無く。
このアルバムのライナーノーツに、デビューに至った経緯がレナードフェザーによって書かれている。
多くのレコードを通じで巨人たちのプレーの影響を受けたのに加え、もう一人直接影響を受けたのがエリントニアンのポールゴンザルベス。
彼の出身地と同郷であったそうだ。きっとそのプレーぶりを目の辺りにしたこともあるのであろう。風貌に似合わず時に見せる豪快さにはそのようなことも影響しているのかもしれない。
1976年New Yorkに出てきたハミルトンは一時ベニーグッドマンのバンドにも入る。相性が良さそうな感じはするが、セッションプレーが必ずしも得意ではなく、テナーのソロパートの出番が無いこの仕事は彼には合わなかった。
New Yorkのスイング&中間派の溜まり場でもあったエディーコンドンの店 "Condon's”に出演したHamiltonの演奏をたまたま耳にしたのがNew Yorkに仕事で来ていたJake Hanna。
「自分が推薦すれば必ずレコーディングできるところがあるよ」と言って、Concordへの録音を薦めたそうだ。この当時、Hannaが実質的なConcordのA&Rマンをやっていたということの証でもある。
そして、送られてきた航空券で西海岸に渡ったハミルトンが、Concordに吹き込んだリーダーアルバムの第一作がこのアルバムということだ。
一緒にプレーするメンバーはHannaがアレンジしたのだろう。
トランペットのビルベリーもエリントニアン。ポールゴンザルベスとも一緒にプレーした仲というのも何かの因縁。ピアノのナットピアースはこの手のセッションにはうってつけ。
そして、モンティーバドウィッグとハナとのコンビは当時のConcordのハウスリズムセクションのようなもの。
ハミルトンを最高なお膳立てをして迎えた。
演奏された曲は20年代、30年代のスタンダード。彼がレコードで聴いていた先輩たちの名演が残る曲ばかり。
簡単なヘッドアレンジ、なかにはそれすらも無く自然な形でプレーに入る。いつも一緒にプレーしている仲間のような一体感だ。
ハミルトンのテナーも先輩達に囲まれながらも物怖じもせず堂々としたプレーぶりだ。
Concordからは、その後も多くのアルバムが出ることになる。
そして、現在に至る活躍の第一歩となる記念すべき一枚である。
ライナーノーツの最後にフェザーが締めくくる。
「西暦2000年、ちょうどハミルトンが46歳になった時。この仲間たちに囲まれて見出した「自分自身」を生かしながら、まだ何人かとこのようなプレーを続けているだろう」と。
栄枯盛衰の激しい音楽の世界で、このフェザーの予見は見事に的中している。
そのくらいハミルトンのプレーは、デビュー同時から確固たる自己のスタイルを確立していたということだろう。
That’s All
Indiana
Stuffy
Exactly Like You
Ill Wind
Broadway
Blue Room
Sometime I’m Happy
Scott Hamilton (ts)
Bill Berry (tp)
Nat Pierce (p)
Monty Budwig (b)
Jake Hanna (ds)
Recorded 1977
Concord CJ-42
新しい時代を築くには何も新しいことをやる人材だけが必要なわけではない、古き良き伝統を引き継ぐ人材がいてこそ新しい時代が築けるのだと思う。
Concordレーベルというと、「ベテランの第一線への復帰」というイメージが強い。
確かにオーナーのカールジェファーソンの想いは、スタジオ入りしたジャズプレーヤーを第一線に引き戻すこと。コマーシャリズムや時の流行を排除し、彼らが昔慣れ親しんだストレートなジャズを「今に」蘇らせることにあった。
ホスト役ともいえるレイブラウンやジェイクハナを筆頭に、彼らの元に集まるベテラン勢はその招きを自ら楽しむかの如く次から次へと好演をConcord Jazz FestivalにそしてConcordレーベルに残していった。
そんな中に、突如「超大型の新人」が現れる。
いよいよConcordレーベルが生んだ、最初のスターの登場だ。
テナーのScott Hamilton。
今ではデビューから30年。彼もいつのまにか大ベテランの一人になってしまっているが。その登場はセンセーショナルであり意外性に富んだデビューであった。
コルトレーンを聴いて育ったテナー奏者は大なり小なりその影響を受けることになる。さらに、新たにFusionが一世を風靡すると若者の多くは演奏する側も聴き手も皆その世界に引き込まれていった。若者だけではなく中堅やベテランのプレーヤーの多くも。
そして、古き30年代、40年代のジャズはその当時活躍したプレーヤーの思い出と共に奏でられる「懐メロ」の世界でしか聴くことのできないものとなっていった。
時代の流れといえばそれまでであるが。
ところが、そこに弱冠22歳の若者がいきなりタイムスリップしたかのように古き良き時代のジャズを引下げて登場した。
彼の経歴を見ると、その原点は彼の父にあったようだ。
画家であり教師であった父が集めた30年代や40年代のレコードが家の中に数多くあった。78回転のベンウェブスターやコールマンホキンス。それらに囲まれて彼は育ったのだった。
クラリネットやピアノで音楽に親しんだ後、17歳でサックスを手にした彼はこのレコードのような演奏を繰り広げるに至ったそうだ。もちろんコルトレーンを聴くこともあったがその影響を受けることも無く。
このアルバムのライナーノーツに、デビューに至った経緯がレナードフェザーによって書かれている。
多くのレコードを通じで巨人たちのプレーの影響を受けたのに加え、もう一人直接影響を受けたのがエリントニアンのポールゴンザルベス。
彼の出身地と同郷であったそうだ。きっとそのプレーぶりを目の辺りにしたこともあるのであろう。風貌に似合わず時に見せる豪快さにはそのようなことも影響しているのかもしれない。
1976年New Yorkに出てきたハミルトンは一時ベニーグッドマンのバンドにも入る。相性が良さそうな感じはするが、セッションプレーが必ずしも得意ではなく、テナーのソロパートの出番が無いこの仕事は彼には合わなかった。
New Yorkのスイング&中間派の溜まり場でもあったエディーコンドンの店 "Condon's”に出演したHamiltonの演奏をたまたま耳にしたのがNew Yorkに仕事で来ていたJake Hanna。
「自分が推薦すれば必ずレコーディングできるところがあるよ」と言って、Concordへの録音を薦めたそうだ。この当時、Hannaが実質的なConcordのA&Rマンをやっていたということの証でもある。
そして、送られてきた航空券で西海岸に渡ったハミルトンが、Concordに吹き込んだリーダーアルバムの第一作がこのアルバムということだ。
一緒にプレーするメンバーはHannaがアレンジしたのだろう。
トランペットのビルベリーもエリントニアン。ポールゴンザルベスとも一緒にプレーした仲というのも何かの因縁。ピアノのナットピアースはこの手のセッションにはうってつけ。
そして、モンティーバドウィッグとハナとのコンビは当時のConcordのハウスリズムセクションのようなもの。
ハミルトンを最高なお膳立てをして迎えた。
演奏された曲は20年代、30年代のスタンダード。彼がレコードで聴いていた先輩たちの名演が残る曲ばかり。
簡単なヘッドアレンジ、なかにはそれすらも無く自然な形でプレーに入る。いつも一緒にプレーしている仲間のような一体感だ。
ハミルトンのテナーも先輩達に囲まれながらも物怖じもせず堂々としたプレーぶりだ。
Concordからは、その後も多くのアルバムが出ることになる。
そして、現在に至る活躍の第一歩となる記念すべき一枚である。
ライナーノーツの最後にフェザーが締めくくる。
「西暦2000年、ちょうどハミルトンが46歳になった時。この仲間たちに囲まれて見出した「自分自身」を生かしながら、まだ何人かとこのようなプレーを続けているだろう」と。
栄枯盛衰の激しい音楽の世界で、このフェザーの予見は見事に的中している。
そのくらいハミルトンのプレーは、デビュー同時から確固たる自己のスタイルを確立していたということだろう。
That’s All
Indiana
Stuffy
Exactly Like You
Ill Wind
Broadway
Blue Room
Sometime I’m Happy
Scott Hamilton (ts)
Bill Berry (tp)
Nat Pierce (p)
Monty Budwig (b)
Jake Hanna (ds)
Recorded 1977
Concord CJ-42