評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
大相撲の八百長問題はどうなるのか?
大相撲に八百長があることは「大人の常識」だったと思うので、今更「ほら、やっぱり!」と言おうとは思わないが、八百長が大問題になっている。
相撲協会は、大阪場所を中止し、新公益法人認定の申請スケジュールも白紙化して、先ずは、八百長問題の徹底解明に努めるとして、現在、関取全員に対するヒアリングを進めている。トラブルシューティングとして、ここまではこれ以外にやりようのない対応だったと思うが、さて、これからどうなるのか。
インタビューに応じた、横綱白鵬が、記者の質問に対してなかなか興味深い答えを返した。
以下のやりとりは、ネットのスポニチ「Sponichi・Annex」の記事からの抜粋だ。(http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/02/09/kiji/K20110209000214530.html)
==========================
―八百長や無気力相撲が取り沙汰されている。
「無気力相撲と八百長を一緒にしてはいけない。体調不良の日もある。(関与した)力士自身の問題でもある。何とも言えない」
―自身の八百長関与や他に見聞きしたことは。
「ないということしか言えないじゃないですか」
==========================
先ず、白鵬は、「無気力相撲」は存在すると考えているようだ。八百長との区別の基準については語っていないが、金銭の授受や取り組み前の約束が立証されなければ、「八百長」にはならない、とでも考えることにしたのだろう。
次の発言は、もっと味わい深い。少し考えてみると、「ないということしか言えない」のは、記者に対してだけではなく、調査委員会や協会幹部に対しても同様だ。つまり、協会が現在やっている調査は意味があるものとは思えない。警察に把握された物証があるわけでなければ、「本人たちは、やっていないという」という説明で、いつでも調査の幕引きが可能だ。当面、どこまで表沙汰になる可能性があるのか、世間の批判がどの程度か、を見極めるために時間が必要だが、どの段階で調査が完了したかは、調査委員会(つまり協会)が決めるしかない。「徹底的な調査」という言葉に、実質的な内容は無い。今回の徹底調査は、それ自体が八百長だと言わないまでも、取り組みの終わりも、勝ち負けも、決まり手も自分で宣言するような「独り相撲」にすぎない。
経済的な損得を考えると、協会としても、文科省としても、あるいはNHKや、相撲で商売をしている多くの人達にとっても、相撲協会は新しい公益法人にする以外に現実的な道はないように思われる。公益法人認定を得られず、国技館を失い、NHKの放映権料無くなる、ということでは、たぶん、大相撲はやっていけない。
第三者の立場から見ると、現在の大相撲のしくみでは八百長があることの方が合理的だし、大相撲自体はプロレスのようなショー的な興業なのだから、株式会社でやればいいではないか、と思うわけだが、相撲が観光資源になっていることもあるし、近年、優勝者に総理大臣杯を渡す以外に活躍の場がない首相ばかりであることなども踏まえると、「ほとぼりが冷めたら、元の鞘に収まる」と考えるのが、妥当な「予想」だろう。
一つ計算外のファクターがあるとすると、どうして、今の時点で警察は相撲の八百長をリークしたのか、その意図が掴みきれない。警察が情報を出したにせよ、文科省が情報を出したにせよ、本来、公務員がその守秘義務を全うしていれば、今回の問題は、世間に知れ渡ること自体がおかしい問題だ。
たぶん、警察が情報を出したのだと推測するが、この意図として、たとえば相撲に絡む反社会的勢力を一掃しようとしている、といった別の大きな構図があれば、大相撲の存続形態にも影響するかも知れない。ただ、その場合でも、相撲を丸ごと取りつぶすようなことはしないのではないか。
大相撲は、どうせ元のように再開するのだろう、と割り切るとして、敢えて、改善点を提案すると、審判部をもっと強化する必要があるだろう。部屋の親方が同時に審判部を務める現行制度では、白鵬の言うように「無気力相撲」があっても、公平で厳しい処分ができまい。競馬でいうと、調教師が持ち回りでレースを審査する裁決委員をやっているようなものだ。
弟子を持たずに、相撲技術の指導や啓蒙、さらに競技の公正の維持にあたる親方がいてもいいのではないか。外資系企業では、しばしば、コンプライアンス部門のトップは会社のナンバー2か3であることが多く、しかも、社長から独立したレポートラインに属している。
今度こそ、理事長は外部からスタッフ付きで人を迎えて、元力士の最高ポストは審判部門担当の副理事長(部屋は持たない)、というくらいでいいのではないか。加えて、理事会は外部理事を多数とする。
また、親方株は、全て協会に返納し、いったんリセットすべきだろうし、現役力士の報酬制度もすっかり作り替える必要があるだろう。
スポーツの体裁で興業を行おうとするなら、この程度の改革は行う必要がある。
ところで、以下は私の個人的な印象だが、白鵬は「相手が無気力相撲を取ってくれた経験」を持っていると思う。以前にも書いたことがあるが、そう思う理由は、彼が横綱昇進を実質的に決めた(2回連続の優勝を決定した)千代大海戦の相撲が不自然だったからだ。(白鵬は土俵上で千代大海を吊り上げたが、吊り落としにせずに、千代大海を土俵上に降ろした。しかし、千代大海は簡単に寄り切られて、その後に薄ら笑いを浮かべていた。おそらく「おいおい、この相撲で吊り落としは勘弁してくれよ。白鵬は力が入りすぎだよ」とでも思っていたのではないか)
また、かつて「週刊現代」にも、白鵬サイドが星を買った疑惑が、当時の白鵬の部屋の親方のテープ音声付き(ネットにアップされていた)で報じられていたことがある。
しかし、事前の八百長合意や金銭の授受については、協会のためにも、自分のためにもしらばっくれることにするのだろう。そうだとすれば、立場があるとしても、悲しい職業だ。
但し、白鵬は相当に強いと思う。付け加えると、朝青龍も強かったはずだ。時々八百長があるとしても、また、八百長が可能な環境ならばなおのこと、彼らは余程強くなければ、大関、横綱になれなかっただろう。彼らは、歴史的に見ても優秀な相撲取りであることは間違いないと思う。
このように考えると、今後大相撲が始まったとして、これまでと相撲の見方が変わるわけではない。これは、注射か、ガチンコか、と推理を働かせながら、個々の力士の本当の力を推測するというのは、なかなか高級な楽しみ方かも知れない(NHKの解説者にも、この辺りの機微を解説して欲しいものだ)。「無気力でない、充実した八百長相撲」もきっと見られるだろう。
今後は、時に八百長があっても怒るのは野暮だろう。その代わり、相撲協会も「過去には一切無い」というような見え透いた嘘をついて、開き直ったりしないことが大事だ。当事者も、バレたら、潔く認めようではないか。相撲の場合、ファンは馬券を買っているわけではない。作られた盛り上がりも、時に漂うインチキ臭さも、全て丸ごと大相撲の世界を楽しめばいい。
ところで、中学、高校、大学、それに社会人など、アマチュアの世界には相撲を純粋なスポーツとして楽しむ人がいる。彼らのために、大相撲とは別に、八百長なしの純粋な競技としての日本選手権、ひいては世界選手権を催し、これには、大相撲の力士も参加可能という形にしてはどうだろうか(本当は、興業としての大相撲と切り離して、競技相撲の方を伝統的な国技として継承したいところだか)。
純粋なスポーツとしての相撲も最高レベルの競技を見ることができるようにしてくれると嬉しい。
相撲協会は、大阪場所を中止し、新公益法人認定の申請スケジュールも白紙化して、先ずは、八百長問題の徹底解明に努めるとして、現在、関取全員に対するヒアリングを進めている。トラブルシューティングとして、ここまではこれ以外にやりようのない対応だったと思うが、さて、これからどうなるのか。
インタビューに応じた、横綱白鵬が、記者の質問に対してなかなか興味深い答えを返した。
以下のやりとりは、ネットのスポニチ「Sponichi・Annex」の記事からの抜粋だ。(http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/02/09/kiji/K20110209000214530.html)
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―八百長や無気力相撲が取り沙汰されている。
「無気力相撲と八百長を一緒にしてはいけない。体調不良の日もある。(関与した)力士自身の問題でもある。何とも言えない」
―自身の八百長関与や他に見聞きしたことは。
「ないということしか言えないじゃないですか」
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先ず、白鵬は、「無気力相撲」は存在すると考えているようだ。八百長との区別の基準については語っていないが、金銭の授受や取り組み前の約束が立証されなければ、「八百長」にはならない、とでも考えることにしたのだろう。
次の発言は、もっと味わい深い。少し考えてみると、「ないということしか言えない」のは、記者に対してだけではなく、調査委員会や協会幹部に対しても同様だ。つまり、協会が現在やっている調査は意味があるものとは思えない。警察に把握された物証があるわけでなければ、「本人たちは、やっていないという」という説明で、いつでも調査の幕引きが可能だ。当面、どこまで表沙汰になる可能性があるのか、世間の批判がどの程度か、を見極めるために時間が必要だが、どの段階で調査が完了したかは、調査委員会(つまり協会)が決めるしかない。「徹底的な調査」という言葉に、実質的な内容は無い。今回の徹底調査は、それ自体が八百長だと言わないまでも、取り組みの終わりも、勝ち負けも、決まり手も自分で宣言するような「独り相撲」にすぎない。
経済的な損得を考えると、協会としても、文科省としても、あるいはNHKや、相撲で商売をしている多くの人達にとっても、相撲協会は新しい公益法人にする以外に現実的な道はないように思われる。公益法人認定を得られず、国技館を失い、NHKの放映権料無くなる、ということでは、たぶん、大相撲はやっていけない。
第三者の立場から見ると、現在の大相撲のしくみでは八百長があることの方が合理的だし、大相撲自体はプロレスのようなショー的な興業なのだから、株式会社でやればいいではないか、と思うわけだが、相撲が観光資源になっていることもあるし、近年、優勝者に総理大臣杯を渡す以外に活躍の場がない首相ばかりであることなども踏まえると、「ほとぼりが冷めたら、元の鞘に収まる」と考えるのが、妥当な「予想」だろう。
一つ計算外のファクターがあるとすると、どうして、今の時点で警察は相撲の八百長をリークしたのか、その意図が掴みきれない。警察が情報を出したにせよ、文科省が情報を出したにせよ、本来、公務員がその守秘義務を全うしていれば、今回の問題は、世間に知れ渡ること自体がおかしい問題だ。
たぶん、警察が情報を出したのだと推測するが、この意図として、たとえば相撲に絡む反社会的勢力を一掃しようとしている、といった別の大きな構図があれば、大相撲の存続形態にも影響するかも知れない。ただ、その場合でも、相撲を丸ごと取りつぶすようなことはしないのではないか。
大相撲は、どうせ元のように再開するのだろう、と割り切るとして、敢えて、改善点を提案すると、審判部をもっと強化する必要があるだろう。部屋の親方が同時に審判部を務める現行制度では、白鵬の言うように「無気力相撲」があっても、公平で厳しい処分ができまい。競馬でいうと、調教師が持ち回りでレースを審査する裁決委員をやっているようなものだ。
弟子を持たずに、相撲技術の指導や啓蒙、さらに競技の公正の維持にあたる親方がいてもいいのではないか。外資系企業では、しばしば、コンプライアンス部門のトップは会社のナンバー2か3であることが多く、しかも、社長から独立したレポートラインに属している。
今度こそ、理事長は外部からスタッフ付きで人を迎えて、元力士の最高ポストは審判部門担当の副理事長(部屋は持たない)、というくらいでいいのではないか。加えて、理事会は外部理事を多数とする。
また、親方株は、全て協会に返納し、いったんリセットすべきだろうし、現役力士の報酬制度もすっかり作り替える必要があるだろう。
スポーツの体裁で興業を行おうとするなら、この程度の改革は行う必要がある。
ところで、以下は私の個人的な印象だが、白鵬は「相手が無気力相撲を取ってくれた経験」を持っていると思う。以前にも書いたことがあるが、そう思う理由は、彼が横綱昇進を実質的に決めた(2回連続の優勝を決定した)千代大海戦の相撲が不自然だったからだ。(白鵬は土俵上で千代大海を吊り上げたが、吊り落としにせずに、千代大海を土俵上に降ろした。しかし、千代大海は簡単に寄り切られて、その後に薄ら笑いを浮かべていた。おそらく「おいおい、この相撲で吊り落としは勘弁してくれよ。白鵬は力が入りすぎだよ」とでも思っていたのではないか)
また、かつて「週刊現代」にも、白鵬サイドが星を買った疑惑が、当時の白鵬の部屋の親方のテープ音声付き(ネットにアップされていた)で報じられていたことがある。
しかし、事前の八百長合意や金銭の授受については、協会のためにも、自分のためにもしらばっくれることにするのだろう。そうだとすれば、立場があるとしても、悲しい職業だ。
但し、白鵬は相当に強いと思う。付け加えると、朝青龍も強かったはずだ。時々八百長があるとしても、また、八百長が可能な環境ならばなおのこと、彼らは余程強くなければ、大関、横綱になれなかっただろう。彼らは、歴史的に見ても優秀な相撲取りであることは間違いないと思う。
このように考えると、今後大相撲が始まったとして、これまでと相撲の見方が変わるわけではない。これは、注射か、ガチンコか、と推理を働かせながら、個々の力士の本当の力を推測するというのは、なかなか高級な楽しみ方かも知れない(NHKの解説者にも、この辺りの機微を解説して欲しいものだ)。「無気力でない、充実した八百長相撲」もきっと見られるだろう。
今後は、時に八百長があっても怒るのは野暮だろう。その代わり、相撲協会も「過去には一切無い」というような見え透いた嘘をついて、開き直ったりしないことが大事だ。当事者も、バレたら、潔く認めようではないか。相撲の場合、ファンは馬券を買っているわけではない。作られた盛り上がりも、時に漂うインチキ臭さも、全て丸ごと大相撲の世界を楽しめばいい。
ところで、中学、高校、大学、それに社会人など、アマチュアの世界には相撲を純粋なスポーツとして楽しむ人がいる。彼らのために、大相撲とは別に、八百長なしの純粋な競技としての日本選手権、ひいては世界選手権を催し、これには、大相撲の力士も参加可能という形にしてはどうだろうか(本当は、興業としての大相撲と切り離して、競技相撲の方を伝統的な国技として継承したいところだか)。
純粋なスポーツとしての相撲も最高レベルの競技を見ることができるようにしてくれると嬉しい。
コメント ( 25 ) | Trackback ( 0 )
« 「百姓!」と... | 震災雑感 » |
>その意図が掴みきれない。
これ不思議ですよね。
そもそも本件以外の目的で私的な通信の内容を公表してしまうのって
問題があるんじゃいかなあ、と。これに触れた報道なり識者コメントが
なかったかどうかはちゃんと調べてないのでわかりませんが、当たり前
のように納得してしまっているのは変だよな、と思います。
尖閣ビデオ問題にも似て、そのおかげで問題を知ることができて、結果
は良かったと言えるのでしょうが。
今回の調査で、メールで分かったこと以外に一件も新たな八百長が明ら
かにならないのは不自然すぎて収まらないだろうし、難しいところだろ
うな、と思います。
やはり警察権力によってでしか真実は明らかにならないのかな、と。
もう競馬のように勝ち力士投票券を売り出して、公益ギャンブルにした
方が、八百長を監視するインセンティブも働くし、収入も増えるしで、
良いような気もします。なんて。
今後の対応については勝ち越しや負け越しが決まった後の勝敗が相対的に金銭的価値が低い、というシステムの改善くらいあっても良いと思います。
それでも八百長や無気力相撲をゼロにすることは出来ませんが、そこそこに有効な対策なのでガチっぽさの演出には一役買うでしょう。
ガチっぽささえあれば八百長や無気力相撲があっても今まで消費されてきたのと同じように消費されるでしょう。
八百長ありきにしてしまうとプロレスの二の舞になると思うのでそっちには舵をきって欲しくないかな。
警察のリークについては「警察の損にならない」という行動原理に基づいて、大した意図もなく流した話の一つがスクープになった、というショボイ話なんだとなんとなく思ってます。賢い奴ってそうはいませんから。
何でもやる。おそらく、文部科学省と警察の天下りを
受け入れて再開すると予想します。
ところで、八百長についてはあっても当事者が認められないのが当然でしょう。それはプロレスであっても当事者たるレスラーは八百長を認めてはいけない。八百長を指摘されたら、嘘つくが黙るか。どっちにしろ謎のままにしとくんですよ。
見てる人間も「八百長だ!」なんて指摘する方が野暮ってもの。それがプロレス観戦のマナーです。
白鵬の「ないとしか言えない」発言もプロレス的に見ると、面白い。
先日NHKの番組で放送された初代若乃花(理事長だったときかな?)の録音テープは、これまた「動かぬ証拠」で、こんな録音があったのかと驚きました。
ご覧になった方も多いでしょうが、場所の相撲を振り返って若乃花が「こんな相撲をとっていたら文部省に協会の財産は全部とりあげられるぞ。これから心を鬼にしてやりなおせ」という趣旨で力士あるいは親方衆を激しく叱責していたのですから!
本当に協会は「八百長は過去になかった。新しい問題だ」などと言わないで欲しい。放駒理事長、元大関魁傑といえば何度も大関を陥落した「ガチンコ力士」だったはずだから、今更あんなことを平気で言うと、その実績も名も廃ります。そして八百長力士を「自己申告で暴こう」という、そもそも無理筋の口先のごまかしはやめて、むしろガチンコ力士の認定(リーク?)でもしてはどうでしょうか。「この力士は八百長したことがない筈です」と非公式にでもドンドン示していけないものかなあ・・・。かつてポストも現代も八百長告発の中で、ガチンコ力士も存在することを伝えていたので、ガチンコ力士に対する敬意もあったと思います。
100%ガチンコであることの困難や、貴乃花のような「ややもすれば殺伐とするほどの孤独」も、理解できるようになるのではないしょうか。何しろ100%純粋な格闘技というのは、何かしら殺伐とはしてしまうでしょう。
春日錦も八百長仲間の暴露もいいけど、八百長に染まらなかった力士のこともあわせて明らかにすれば、彼の存在意義もあろうというものです。
しかし何よりも、力士が八百長に染まらずに済むように、山崎さんのおっしゃるような改革をしっかり進めてほしいと思います。
分かりやすく機微を踏まえて問題を整理した山崎さんに拍手です。
朝青龍は強いけれど勝負が終わって差し出される分厚い水引の袋を奪うように掴み取る姿は醜くて…嫌いでした。
八百長は当たり前だと皆が思っているのに今更、警察が絡んで外から圧力をかけて、膿を出さなきゃならないくらい酷い状況なのでしょう。
入院をしている患者さんは今回の相撲放送中止にがっかりしています。
おのおの自ら、在るべき姿を決めて次回からの場所の再開願います。
心待ちにしている人々が居ることを思い出して欲しい。
この状況ってガチンコを貫いてきた力士にとってどんな感じなんでしょうね。(自分の世代的には大乃国や貴乃花、最近聞くところによると放駒現理事長あたり?)
スポーツジャーナリストの二宮清純氏が「過去に遡って膿を出さなければいけない」といった発言をされたようですが、まさにここをどうするのかが週刊ポストの八百長スクープをリアルタイムで愛読してきた立場的には興味あるところです。
個人的には、国民栄誉賞を受けた大横綱の関与まで言及できるのか・・・とか。いま思えば日本はバブルの最中(だったのかな?)で、本場所といえば常に「満員御礼」で、お相撲さんにしては小兵ながらも鍛え上げられた肉体と精悍な顔立ち、挫折を乗り越えた物語に魅せられて国民的なヒーローだったような記憶があります。これもポストの受け売りですが、きっと本当に強かったんだろうと想像します。圧倒的な強さで、巡業中に「若い芽」を摘み、ガチンコで挑んでも勝てないと体に覚えさせていたとか・・・。
それより以前がどうだったかはわかりませんが、おそらく人情相撲のレベルとは明らかに違う八百長ビジネスモデルを確立してしまったのはこの頃ではないでしょうか。
八百長を取り沙汰される力士の中に「千代~」が多いように思うのは私だけでしょうか?まさか師匠の教え通りに・・・なんてことはないのでしょうが。
きっと無理でしょうが、後ろめたい歴史を持つ親方は退場いただいて、身綺麗な親方のもとで現役力士は再出発させてあげたいと思いますね。
落とし所を何処にするのか?相撲協会の苦難は続くと思います。
さて、山崎さんもお好きな将棋の米長邦雄永世棋聖がこんな名言を残しています。
「自分にとっては消化試合が相手にとって重要な対局であれば、全力を尽くして相手を負かす」
今頃言っても仕方のない事ですが、相撲界にもこのような勝負哲学を語れる人間が居たら、八百長の蔓延はなかったように思います。
将棋界は一度4段になるとなかなか落ちにくいですから。
十両から落ちたら月給100万円が十数万円になっちゃうんじゃ考えちゃいますよね。
それにプロ棋士の場合A級、B1は総当たりですが、C2、C1は人数が多くて星の貸し借りが難しいです。
やはり一度プロになったらある程度生活が保障されるような仕組みでないと同じメンバーでの個人対個人の戦いは、勝負以外の要素が出てきます。
相撲界も年齢制限のような人数を絞って養える制度が必要なのかもしれません。
ガチンコ力士は、平手を何発も浴びて大変だという話がありましたが、将棋界の場合は将来性のある棋士だとあまりくそ粘りしないとか逆に嫌われると研究されて勝ちにくくなるとかあるそうなので、勝負も人間のやることであり、そういう部分も含めて興味はありますね。
それがなくなったのはプロレスがスポーツではなく、ショーであるということが認識されたからであろう。
ショー的要素から言えば、
プロレス>>ボクシング>相撲
という順序だろう。
ボクシングでも亀田兄弟の活躍など、誰もガチンコだとは思っていないはず。
白鳳は休場でみることはできなかったのですが、まちがいなく、栃東が一番強い、と思いました。あとは稀勢の里・豊真将あたりかな。外国人力士(欧州系)と千代大海は見事なほどプロレスでした。琴欧州は真面目そうでしたが、立ち会いの恐怖心に勝てない様子がありありでしたね。
朝青竜は格下に対しての威圧感が異常で、相手の力士は一度も目を合わせられないんですよ。あれは八百長ではないけれど、相撲でもなかろう、という印象でした。
相撲に八百長があってもいい。そこは認めるが、公共放送や、税金をつぎ込んでまで維持する意味があるのか?彼らは努力や能力からしたら分不相応な待遇を受けているでしょ。その方が社会的に問題です。
ブログの記事と関係ない事なのですが、私は対面販売で株やら投信やら外債を証券会社から買っています。解約して全部引き払ってしまいたいのですが、お金を引き出したい事を担当の営業の方に伝えたところ、営業成績に響いて賞が取れないから待って下さい。と言われました。このまま全部引き上げると逆恨みされないか心配です。それとも、心を鬼にして口座を解約したほうがいいでしょうか?最初は、上手いこと言ってきたり親切親身になってくれていましたが、損失が出ると知らんぷりです。買ってほしい時は、しつこく電話してきます。こんな人に資産を預けた自分は、なんてバカなんだろうと思います。
勝ち星の取引が成立するのは、時と場合により、勝ち星の実質的な価値が異なるからです。ルール改定が期待されます。
ハッキリ言って元若ノ鵬は金さえもらえれば何でも好き放題いうタイプだと今までの行動から思われるので、発言自体は全然信用出来ませんし、若ノ鵬自身の個人的な力士の好き嫌いでの告発かもしれません(大麻所持の解雇で図々しく裁判ですし)が、一応、幕内力士だったのでイメージダウンは避けられないでしょうね。
この問題は証拠が無ければ検挙出来ない分、逆にやってないことを証明するのが「悪魔の証明」で難しいので根が深いです。
抜本的相撲改革案。
政府に以下の条件を伝えて飲んでもらい、日本相撲協会を一度解散。全国大会(年齢制限無し)を開催。 勿論、シードとか元力士とか関係無し。 上位30位くらいまでがプロになれる権利が貰える。大会を重ねてメンバーがそろったら新大相撲設立。大会ではドーピング検査等、オリンピック競技並みの厳しい審査基準で行われる。
こうして選び抜かれた力士にはほとんどの国民が、八百長で得た地位とは言わないはず。そうして旧制度のしがらみの切れた状態での再度の公益法人化。資産は取り潰し前の状態に戻す。組織形態は「ガバナンスの整備に関する独立委員会」改革の答申通りでとりあえずスタートとする。
自分は将棋よくやる(アマ4段です)んですが、相手を喜ばせる為にわざと手を抜くことが半分くらいあります。
山崎さんも将棋指されていらっしゃると言う事で分かると思いますが、アマでも基本的技術として投了図から巻き戻したり最初から最後まで再現したり出来ますよね。
プロ棋士同士でプライベートで会える訳ですから、一端ガチでやって、負けた棋譜をもらった方がお金を対価に受け取れば証拠も残らず八百長出来る様な気がします。しかもこの八百長は一端ガチであるだけに、相撲より遥かに不自然さもないでしょう。
ちょっと個人的には気になりますね。
いらっしゃいませ。
参加人数が限られていて、同じメンバーが繰り返し戦うゲームの構造から見ると、プロの将棋に八百長があっても不思議ではありません。経済的インセンティブの観点からは可能性は十分考えられます。
たとえば、相手にとって重大で、自分にとって影響の小さい勝負で、相手に親近感を持っている場合に、「この指し方で勝たれるなら、それも仕方がない」というくらいの気分の「消極的片八百長」のような指し方をしたプロ棋士が、過去に絶対にいなかったかと言われると、「絶対にいるはずがない!」と言い切る自信は私にはありません(棋士も生身の「人間だもの」)。
プロ将棋に八百長はない、という通説には、元横綱・曙が反証した「格闘技では相撲取りが一番強い」といわれていたかつての神話と同様の誤りである可能性があるでしょう。
ただ、将棋は頭脳と心で戦うゲームなので、一度片八百長のような心の使い方をしてしまうと、それが、その後に大きな悪影響を及ぼすような感じがします。
「自分にとって軽く見えても、相手にとって深刻であるような勝負こそ、全力で勝たなければならない」という米長セオリーは、この辺の事情を踏まえた棋士仲間への戒めだったのかも知れない、とも思う今日この頃です。
以上、最近、森内さんの活躍がとても嬉しい、アマ四段(余談?)くらいのヤマザキの意見です。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。hbrere