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自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

続トンビ教

2014-02-13 21:09:58 | Weblog
婆様は続けて話をする。「実はのう、トンビが持ってきてくれる毛皮を深津の市へ持っていき、米や塩と物々交換をしとるんじゃがチイトバー、わしが損しとるように思うんじゃ」


数匹で皮を運ぶトンビ

雉の残した翅

事故で死んだ狐の皮をトンビが運ぶ


腹一杯飲んだり、食ったりしたのでもう聞く耳を持たなくなった3人は、うつろ眼でそのまま横になった。



翌朝、小鳥の声で目を覚ました3人は昨日の事を思い出し、どうするか相談をしたが習わぬ経は出てこない。思いついたのは何処かで聞いた事のある「ナンマイダ」と『大神様』だけ。祝詞なんかは聞いても居ない。朝飯の支度が出来たと婆様が呼びに来た。逃げ出したい3人はもったいないほど、おもてなしを受けたので覚悟を決めた。朝飯が済んでお遺骨の前に座った3人は「大神様、ナンマイダ」と声をあげた。「おおかみさま、ナンマイダ。おおかみさま1まいだ。なんまいだ。2まいだ。ナンマイダ。3マイダ」と何回もお辞儀をしながら柏手(かしわで)を打った。
婆様は覚えにくそうで、何回も何回も声を出していた。
3人は陽が高くなったので感謝して暇乞(いとまごい)をし、大倉を越え三谷、山野、時安、三和から上下方面へ足を向けて旅立った。


3人が後ろを振り向けば
びっくりの家だった


空からはトンビがピーヒョロ、ピーヒヨロロと舞いながら見送りをした。



婆様はありがたい「トンビ教」と聞いたので、爺さんの前で何回も何回も唱えておぼえた。翌日、婆様はトンビが運んでくれた雉の羽や兎の毛皮、狐と狸の毛皮を背負い深津へ旅立った。


深津の海辺
この近くで市が立つ


深津の市は月の晦日で大賑わい。婆様はいつものように塩の店を出している前で狐の毛皮と塩の交換交渉をした。この店の親爺、けっこうずる賢しく、ほかの毛皮は無いかという。ありがたい「トンビ教」を覚えた婆様は「おおかみさまなんまいだ」と言うと狐の毛皮を狼と勘違いした親爺は珍しくそれは「なんみゃーある」(何枚ある)と聞いてきた。実はこの親爺、この婆様が数を数えられない事を知っていた。「ナンマイダ、イチマイダ、ナンマイダ、2枚だ、何枚だ3枚だ」これを聞いたとたん、親爺はびっくりして狐の皮1枚で今まで交換していた塩の10倍も盛ってくれた。婆様はぼっけい量(おおくの量)に驚いた。次に米を並べている店の前で兎の毛皮を出して米と交換の話をした。ここでも婆様が数を数えられない事を知っており、兎の皮との交換は「けーだけよー」(これだけよ)という。さっきトンビ教を唱えたらぎょうさん(沢山)塩をくれたから、ここでも唱えてみた。「大神様、ナンマイダ、イチマイダ、ナンマイダ、2枚だ、何枚だ、3枚だ」これを聞いた百姓のおばさんはびっくり仰天、「婆様が数を数える」それに神様もつれている様子、ちらりと見えた風呂敷包からは狸の毛皮もみえておったまげた。「すまんことをした。もうタヌキのように人を化かすようなことはせんけー」と頭を下げ、今までごまかしていたことを詫び、沢山のお米と交換をしてくれた。そこは、人の良い婆様「ありがたゃー」といい雉の羽を子供の髪にさしてやった。
いつもの5倍を超える荷物になったのにまだ狸の毛皮が余っている。持って帰るわけにはいかん。「どーするかのー」考えた挙句、魚を売っている店でトンビのお土産用に池で魚をとる網と交換した。
荷物は重いが、「オオカミサマ、ナンマイダ、イチマイダ」と「トンビ教」を唱えながら、来た道をルンルン気分でかえっていったとさ。

言葉の解説
婀娜の湖・・吉備の国が備前、美作、備中、備後に4分割された備後に婀娜の(湖)海があったとされ今の神辺辺りとされる。後に穴→安那と変わっていく
屯倉・・(みやけ)日本書記、ヤマト政権の直轄地経営の倉庫などを表した語である
荘園・・奈良時代に律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる
三宝神社・・近代になって山から遷宮され、神辺町下御領田村地区に祀られ、現在は
三宝荒神社と呼ばれる火の神様である。
鰐淵寺・・出雲大社近くにある天台宗の寺院で目に効能のあるお寺と評判
府中出口・・現在の府中市にある古い町並が残る場所。ここから山の中の道に入る
深津・・現在の福山市蔵王山の南の町