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2011-08-13 20:59:06 | 日記
「泣くな歳内」。今朝のスポニチ紙は裏面の1ページを割いて、きのう敗れた歳内宏明投手(聖光学院)を讃えた。今年の甲子園ナンバーワン投手は味方の野手の乱れから崩れた。 歳内君は1回戦で16個、きのうは14個の三振を奪っていて(対戦相手の金沢高校には申し訳ないが)できればベスト4ぐらいまで勝ち残って、日大三、智弁和歌山、横浜などに投げさせてみたかった。 味方の野手の乱れは、ほとんどのアウトが三振であるために(内野ゴロのアウトなどが少なく)いわゆる守備のリズムがとれていなかったことにあって、これは高校野球にはよくある現象だ。思い出すのが、あの江川卓投手(作新学院)だ。彼はセンバツで広島商業航行の3塁盗塁の奇策に捕手が悪送球して敗れ、夏の大会では雨中のゲームとなって指が滑ったか、押し出しの四球で銚子商業に夢を断たれる。甲子園は時々悲運の名投手をつくるのだ。 江川君は泣かなかったが、歳内君は大泣きした。聖光学院は被災地福島の代表だから、甲子園でも大声援を集めていたから、なんとしてでも勝ちたかっただろう。 歳内君の涙はこれで終わりの涙だっただろう。日本人好みの言い方をすれば、すばらしい青春のすばらしい涙となるか。  また、海江田大臣の話になるが、彼の委員会での涙について、渡部恒三氏が、他人のことで泣くのはいいが自分のことで泣いちゃダメだと言っていたが、福島出身の恒三さんは歳内君の涙をどう見ただろうか。むろん答えは、「いい涙だなぁ」であるだろうけれど。

くすぐったい

2011-08-13 14:51:53 | 日記
「その点につきましては、いまツメの議論をさせていただいておりまして、結論を得ましたらただちにご報告させていただく所存でございます」。国会の委員会の一場面。質問者への海江田経産大臣の答弁である。このなんともご丁寧な言葉遣いを私はくすぐったい思いで聞くが、若い人なら気持ちが悪いというのではなかろうか。しかし、この種の丁寧語は国会のみならず、世間に広まっているのだ。 先日、私は病院でブロック注射を打ったあと、少し休んでいると、看護婦さんが「ちょっと血圧を測らせていただいてよろしいでしょうか?」ときた。むろん、単に「血圧を測ります」で充分である。  2年ほど前になるか、私はこのブログに「させていただく」という言葉は鳩山由紀夫氏から始まったのではないかと書いた。 鳩山氏が「××の法案を提出させていただいて」と発言しているのを、「提出しております」で充分と思ったからだったが、ま、音羽御殿のお坊ちゃんなら仕方がないかとも考えた。それが流行というより伝染したのである。 娘が、自分の課では「××させていただく」調の言葉遣いはやめようと後輩達に告げたそうで、とてもいいことだと思った。丁寧語の使い場所はほかにいくらでもある。「召し上がってください」を「お食べください」などと言っているネェちゃん、オバチャンがいっぱいいる。

韓国の人

2011-08-13 13:54:38 | 日記
「おまえの家もこっちの方か?」、学校の裏門を出るとA君がうしろから追いかけるように声をかけてきた。昭和21年4月。前年の12月から住んでいた茨城の小さな村から約10キロ離れた中程度の町に転居し、その日が初登校であり、5年生になる1日目だった。A君の家は、町はずれにあった我が家より更にはずれた場所にあって、そこは韓国人で、A君の父親は約10軒、30人ほどの同族を束ねる長だった。当時、第三国人は日本の法律に縛られることなく(治外法権というか)ドブロクを造り、煎餅を作って稼いでいた。A君の家へあそびに行くことはイコール煎餅をご馳走になることで、空腹少年だった私にはありがたかった。彼はやがて、早大に進み柔道部のエースとなる。   いまはどこの町にもある焼肉店だが、昭和50年代までは焼肉は韓国料理店の高級メニューだった。ヤキトリ屋へは自腹で行けるが、韓国店の焼肉は上司の財布で~という差があった。昔はエバラのタレなどの既製調味料もなかったから、美味な焼肉は遠かった。蒲田の韓国店の美人女将の「とう(どう)?ウチの肉、ウチのアチ(味)?」という掛け声を思い出す。あちらの女性は肌がきれいだとはよく言われることだが、その通りで、焼肉の味も倍加した。  10日から2人の孫が長女と3人で韓国へ夏休み旅行に行っている。長女には、韓国旅行で知り合った安さんという親友ガイドがいる。安さんは、3.11のとき電話をくれた人物であり、日本にあそびに来たときは家人も鎌倉のレストランで会っている。 今頃は孫達と食卓を囲みながら「とう?ここの肉、ここのアチ?」と話しかけてくれているのではないか。

朝のテレビ

2011-08-13 13:46:53 | 日記
TBSの『みのもんたの朝ズバッ!』でニュースを読んでいる井上貴博アナが成長した。司会のみのもんた氏が(たいした意見でもないのに)「はっきり言うけど」と胸を反らせても軽くあしらい、マイペースで番組を進めていく。みの氏の古さ(老い)が目立ち、彼自身もそれに気づいているのか、なんとか笑いをとろうと必死だが、冗談も下手になった。  朝のニュースは、寝坊しない限り8時前には観終わってしまう(どのチャンネルを観ても繰り返しになるのえ)。今朝の例で言えば、日韓サッカー、円高、ニューヨーク株急落、男性タレントのファン会で熱中症続発・・・あたりで、一度観れば充分だ。それにしても、炎天下の集会に行くとは・・・。  ダブっているニュースを観ても仕方がないのでNHKを観ると、連続テレビ小説『おひさま』。清潔であり、健康的であり、昔の修身の教科書を思い出させる雰囲気で、すなわち人畜無害というか何の面白みもない。  朝のテレビは時計の役目を兼ねている。 いま何分?と、テレビの前の私に玄関から娘の声がかかる。 娘は腕時計を持っているが、テレビの方が正確だと思うのだろう。そうだ、私にも、コーヒー片手にパンをかじりながらテレビに映り動くデジタル数字を観ていた日々があった。

目覚め

2011-08-13 02:41:25 | 日記
目が覚める少し前に夢をみることが多い。 それが10分なのか15分なのか、あるいはもっと長いのか短いのかはわからない。色は匂エド(イロハニホヘト)の歌の文句を借りれば、「浅き夢みし」である。  前に、よく道に迷う夢をみると書いたが、それも目覚め前の場合が多い。 登場人物は見知らぬ顔がほとんどで、女性の数が勝るのは、家人と娘に助けられ、あるいは看護婦さんに世話になることでなんとか生きていられるからだろうか。  窓の明るさで凡その時刻がわかる。夜は8時過ぎには寝てしまうので、4時に目覚めても睡眠時間は足りているのだが、5時半までは2度寝をするし、それが7時になったり、ときには8時過ぎに及んだりする。若い頃の徹夜麻雀の分を取り返そうとする働きが老躯にあるとは思わないけれど。   家人の妹夫婦がやっている個人医院が続いていて、そこを長年手伝っている家人は家内営業の大事な一因だから、辞めるわけにはいかず、週に5日は7時起床を余儀なくされている。 家人の睡眠は重要どから、たとえば5時半に目覚めたときは、ごく小さな音で(隣室にある)テレビを観る。目的は5時45分からのテレビ東京の株式ニュース(ニューヨークの情況)だが、それがこのところガッカリというより、気持ちが悪くなるような下がり方だ。 私が生まれた1930年代のあの世界恐慌の再来か。1930年代は、日本では「大学は出たけれど」という言葉が流行し、アメリカではカポネの時代だった。 それから80年。 今は、世の中その頃よりは進んでいるから~なんて、ボケた頭で考えているような、どうでもいいような何分間かがあって、6時半になり、次は朝食前の運動のときになる。