昭和28年。下校時は渋谷から玉電の最前部(といっても1輌編成)に乗る。中央に運転席があって、その左右の縦窓が開いていて、そこから風が吹き込んでくる。 むろん車内に冷房はなく、その風だけが救いである。私は窓際に立つ。座席に座れば風が遠くなる。家に近い駅まで行こうか。1ツ手前の三軒茶屋で降りてパチンコ屋に寄るべきか。パチンコ屋も涼しい。いやぁ、夏は大変だった。昭和39年7月末、大船に近い公団住宅に転居した。5階建ての4階の部屋で、夜になって扇風機不要の風が、最高の引越し祝いだった。それまで住んでいた新丸子の民間アパートの生活での愉しみの1ツが、銭湯帰りに近くの多摩川辺まで歩いて川風にあたることだったが、川辺には蚊が多かった。 団地の4階は、窓を開放していても蚊の心配はなかった。 平成6年7月(脳梗塞)、同22年8月(大動脈瘤破裂)と大病の経験は、2回とも夏だった。17年前も昨年も、病室のコンディションということでは快適だった。看護婦さんが、「いま28度ですが、もう1度下げますか?」と気遣ってくれていた。昨年の9月14日の退院日は娘が迎えに来てくれた。家に着いて、娘がクーラーをいれ、扇風機をまわすと涼風が吹いた。その風が、生還であり解放だった。 余談というか、ムダ話であるが、涼風真世さんは、なぜ真夜としなかったのだろうか。その方がずっと涼やかな気がするし、真夏の夜の涼風なんていいじゃないですか。