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自転車

2011-06-21 00:48:25 | 日記
初めて自転車に(補助輪なしで)乗れるようになった日の嬉しさは、誰にでも共通するのではないだろうか。 その喜びを満面の笑みで表している私(たぶん6歳時)の写真が残っている。少し時が経って、戦争が激化し、時々英霊の出迎えということが始まった。 それは戦地で亡くなった軍人のなきがらが入った白木の箱を駅まで迎えに行き、遺族に向かって頭を下げる、小さな儀式だった。これまたお叱りを受けそうだが、私はその出迎えが愉しかった。 子供用自転車でも、少々上等なもので、後部座席に、近所のA子ちゃんを乗せることができたからだった。男世帯だった中学3年の秋から高校1年の終わりまで、私の受け持ちは、買い物だった。家に帰って祖父からメモを受け取り、自転車で商店街に向かう。 男世帯だから、煮たり焼いたりが面倒で、佃煮、さつま揚げ、塩辛、納豆、豆腐、コロッケ、玉子、海苔が常連だったが、当時はレシートなんてものがなかったからナンボかの小遣い銭が稼げた。店のオバチャンとも馴染みになり、ガンモドキ1枚をオマケにしてくれたりした。轟夕起子さんの歌に「おつかいは自転車に乗って 颯爽と~」というのがあるが、その頃の自転車はパンクしたり、チェーンが外れたりの故障も多く、颯爽とはいかなかった。 自転車に乗った女性が走ってくる。スカートの全部を片手でおさえる。目は前方の空間を凝視していて、唇はかたく閉ざされている。つまりは、怒ったような表情であり、くだけて言えば、「じろじろ見ないで!」というポーズである。 誇り高くもあるが、彼女の容姿が必ずしも男達の目をひかぬ場合もある。 昭和の頃に、そういう風景があった。

6月19日

2011-06-21 00:39:52 | 日記
毎朝バナナを半分食べる。病院食のマネではなく、丸一本は食後には重い。 その分、果物をもう一種加えて、今朝はスイカだったが、なかなかの美味。こぼした種を拾いながら、「よく寝たわね」と家人が言う。昨夜から私は13時間、家人は11時間寝床の中にいた。その間ずっと眠り続けたわけではないが、ま、よく寝たという表現は正しいだろう。 NHK杯将棋で、久々に森ケイジ九段を見たが、ちょっと老けた感じがした(かつて、山口瞳氏は、「棋士と力士は、20代でも老けて見えることが多いが、そこから先は変わらない」と書かれていたが・・・)。  将棋も終盤に見落としがあった。 競馬はバーデンバーデンカップで、9歳馬のシンボリグランから穴狙いの14点をバラ買い。この馬はスタートさえうまくいけばという条件がつき、その不安がモロに出て、アウト。 土曜日がよくて、日曜日がよくないという波が、昨年来ちょっとしたクセになってきている気がする。  被災地で老老介護の状態にあった夫婦が無理心中したという報道があって、痛ましい限りだ。アナウンサーは、「将来を悲観して~」と局の作文を読んでいたが、将来どころか、その夫婦が絶望したのは今であり、もっと言えば、もはやこれまでではなかったか。老老介護だけだって・・・と思うと、やりきれない。 23日にMRIの撮影があり、その後1週間、血液サラサラ薬の服用をやめ、30日にブロック注射を受けるというのが腰痛対策プランで、そのことは昨年の夏に一度計画されていたのだが、あの大動脈瘤騒動で、10カ月遅れになった。さて、12日後の私の腰はナンボかでもラクになっているのだろうか?

パッとしない

2011-06-21 00:29:59 | 日記
キンチョールの缶を手にもった松本人志さんがバスのシートで「パッとせんなぁ」と呟くテレビコマーシャルがあるが、確かに最近のニッポンはパッとしない。 大震災の前、私もこのブログに書いたし、多くの人達が、なにはともあれ景気回復が最重要課題だと口にしていたのに、民主党政権は手を打たなかった。そこへあの地震と津波と原発事故が続き、景気の話どころではなくなり、ならば復旧復興事業が賑わうかと思うと、これも冴えない。その冴えない時期に、これまたなんとも陰気な与謝野大臣がボソボソ声で増税を言い出すのだから、(私も増税不可避とは思うが)、世の中、湿るのは当然だ。 欲しいのは明るいリーダーだが、毎日のテレビで観るポスト菅候補達の顔も、みんなパッとしない。政治のみならず、社会ニュースも梅雨模様だ。 61歳の男が87歳の老女に暴行しようとして~なんていうのは、そんな哀れなことがなぜ起きるのかが全くわからない。つまり(世の中がパッとしないので)、もしかすると、その87歳のお婆ちゃんは20年も若く見える容姿だったのではないかと想像する余裕がない。 ブルジョアであり前首相でもある鳩山由紀夫氏が「ペテン師」なんて言葉を使うのも、センスが悪い。あの場面、単に「彼は、みなさんが考えているよりずっと早く身を引くと思いますよ」と言えば、その後の菅首相の対応にも影響を与えられたし、鳩山氏地震も恰好がついた。 九官鳥、言った言わない聞いてない・・・から、かなり時間が経つが、とにかくパッとしない政治は、明日もまた、かくてありなんの状態だ。私の仕事は、株で儲けて少しでも家計に役立つことなのだが、株式市場もまた、トンネルの先が見えない。 ま、愚痴ばかり並べていても仕方が無い。せめて競馬で。今日(18日)は阪神のストークSで、配当は12倍であるが、久々の2点買いで的中。パッとしているギャンブル勘は明日も続くか。

もう一度

2011-06-21 00:18:48 | 日記
遊女Aと一夜を共にした男が、何日か経って再びAを訪ねることを「裏を返す」(3度目からは「馴染み」)と言ったが、今では死語かおyくわからぬが、リピーターとでも言うのだろうか。  たとえば湯河原のA旅館に初めて行って、景色もよく、食事も美味、女将や仲居さん達も90点の好感度となると、湯河原へ行くならA旅館と決め込むのが私で、一方、家人は去年A旅館だったから今年はBホテルで・・・と考えるタイプで、いうまでもなく、家族旅行の目的地の決定権は私にはないから、BよりAがよかったという例は多いが、これは仕方が無い。私がちょっと気にいった店を変えないのは酒呑みだからだと思う。酒呑みはハシゴするが、そのハシゴの1店1店がすべて馴染みであることがほとんどだ。 娘が14日からタイに行っている。娘は年に2回あるまとまった休暇の片方をハワイ行きに使い、もう片方は韓国、アメリカ、ヨーロッパなどいわばそのときの気分で選んで愉しんでいて、これもうまい方法だ。  再び生まれ来ることがあるとしたら、やはり現在の妻(夫)と結婚したいと考えている夫(妻)の数は55%だそうで、これにはもうご立派なことと頭を下げるしかない。 人生は重き荷を背負いて山道を登るがごとしと言ったのは、たしか徳川家康だったかと思うが、私達夫婦の場合は、重き荷が私であって、それを背負って山道を登ったのが家人であり、そんな家人に、来世もまたなどと言えるわけがないし、家人も来世は肩を軽くして生きたいだろう。そしてもうひとつ、お叱りを承知でいえば、また同じ相手と結婚を繰り返すよりは・・・いや、この辺でやめておこう。但し、そのことをココロから願う人はまちがいなく存在する。叔父の妻だったC子さんは、結婚1年半で夫を失い、以後、2人の間に生まれた一人娘を育て上げ、現在(生存であれば)90歳になるが、叔父とC子さんはいわゆるベタ惚れの仲だったから、そういう夫婦には来世でもう一度~はあるはずだ。 その点、ウチはもう50年。

かな遣い

2011-06-21 00:09:31 | 日記
「ぶたふくわい」を何と読むか?もちろん豚福猥ではない。即答できた方は、私と同年代かそれ以上の年齢だろう。これは、旧かな遣いで書いた「舞踏会」で、私達世代は、新かな遣い(舞踏会は「ぶとうかい」となる)の両方を小学校で習った。新旧を対比する例として、よく「てふてふ、ちょうちょう(蝶々)」が挙げられるが、たとえば百人一首の取り札にある「こともほすてふ」なんていうのは味わいがあるなぁと思ってしまう。 新かな時代になって多くの子供達が錯覚したのが音通りに読めばいいということであって、「お母さんわ、学校でわ、夏休みにわ・・・」が多用された。 むろん私も浅学だから、新かながよくわかっているわけではない。なぜ地震が「ぢしん」でなく「じしん」と書くのかがわからない。 地図の場合は「ち」なのだから、同じ漢字の読みが(かなに変わると)異なるのは、ナンデヤネンと首をかしげてしまう。 ま、そんなことはどうでもよく、私が思うのは、旧かなを遣った女性名の持つ情緒である。女優の貫地谷しほり さんは、しおりでないところに価値がある。 娘の知人(芸術家であるが、本名)に「ゆふ」さんがいる。  小学校の頃、近所に「かほり」ちゃんがいたが、たしか布施明さんが唄ったのも『シクラメンのかほり』ではなかったか。 ただの懐古趣味ではないと思うし、それは貫地谷さんがまだ若いことでも証明されるだろう。 「しほり」さんも「ゆふ」さんも、そのかな遣いに情緒があるという美の感覚から出た名前だと想像するし、拍手する。旧かな遣いには女の優しさは当然だが、ちょっとした色気があるような気がする。