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リーダーシップ

2011-06-04 22:19:58 | 日記
「あなたにはリーダーシップが又区ない。一国のリーダーたる力量も資格も無い」、昨日の国会では、菅首相への罵倒が相次いだが、それも蛙の面に~というか、首相は、ノラリクラリと言を左右し、結局は、不毛の討論に終わった。 テレビをご覧になった(特に被災地の)方々は、非生産的、非建設的、前進ゼロといった4文字を思われたであろう。 リーダーシップとは何だろう? 人心をまとめて、それを引っ張っていく能力だろうか。 水曜日の党首討論のとき、谷垣自民党総裁が「あなたが、やたら怒鳴ったり叱ったりするから、舌から正しい情報が上がって来ない」と話したが、それは事実だろう(首相もそのことには反論せず)。 小・中学生だった頃、A組はまとまりがよいが、B組がバラバラといった評判がたつことがあった。学級がまとまるのはメンバー構成にもよるが、やはり担任教師のチカラであるだろうし、そのココロは、生徒に慕われることである。首相であれ教師であれ、その人が来ると(あるいは話しかけられるとか、一通の文おもらうか、でも同じ)下の者の士気が上がる、それがリーダーシップというものであるはずで、まずは、その人の人間的魅力が基本のはずだ。菅首相にそれはないし、彼にイチャモンをつけている鳩山氏もダメだ。 金持ちの坊ちゃんなら、ペテン師などという言葉を使ってほしくない。 つまらない話になってしまったが、最期にひとつ、リーダーにはユーモアがほしいといっておきたいし、リーダーシップの要件を箇条書きにしたとき、ユーモアを解することを上位に記してほしいと思う。 菅→鳩山→麻生→福田→安倍→小泉と遡ってみて、どうだろう。やはり、ユーモアのあった小泉にリーダーシップがあった気はしませんか? 何度も書くが、ユーモア(余裕)がないと、すべてがギスギスとささくれだったしまう。

麻雀と性格

2011-06-04 10:29:34 | 日記
人間が考えたゲームの中で最も優れているものは麻雀だと私は思っている。たとえば4万人が1万台の雀卓を囲んだとして、半荘を打ったとすると(計算上、連荘はゼロ)、8万局の勝負になるが、その8万の勝負に1ツとして同じものはないというのが麻雀のすごさであり、価値である。更におもしろいのが、麻雀には性格がでることであるが、すべては紹介できないので、わかりやすい例だけを挙げる。  まず、よくいるのが、安い手なのにテンパイすると、親のリーチにでも突っ張っていく型で、この種の人間は我儘勝手の気質で、チヤホヤ(お世辞)にヨワいから扱いやすい。 自分の手しか見えず、他の3人のをあまり見ない型は、勝負事には向いていないが、他の才能を持っていることが多い。  アソビゴコロが足りないので、人間の幅が狭い。  1局ごとのカチマケに一喜一憂する型は、自分の器量(スケール)を隠したがる性格だが、隠そうとすればするほど表に出る。  つまり、明るい方を見せようとすると却って暗い方が見えてしまうし、異性にはモテない。 あまり口をきかず静かに打つ型は、自己評価の高い人間で、すなわち、誇り高いから友人が少ない。 自分と反対の性格をもつ異性を好む。 何を考えているのかよくわからないが、時折大胆な勝負手(危険牌)を打つ型は、一級の雀士。麻雀では説明しにくいので、別の例で言うと、中日ドラゴンズの落合監督に、ソレを見る。私自身の性格は、臆病で小心であり、それゆでに麻雀では勝者だった。 そして、その性格がバレぬように苦労していた。繰り返す、麻雀ほどすばらしいゲームはない。

嫉妬

2011-06-04 10:22:40 | 日記
NHK大河ドラマ『江』で、若い側室と戯れる秀吉を茶々が平手打ちするシーンがあって、そのことを、これも側室の京極竜子が、茶々のジェラシーだと見抜く。もちろん、それは視聴者にもわかるように脚本は仕立てられている。父(浅井長政)、2番目の父(柴田勝家)、そして母(お市の方)を殺した憎き秀吉になぜ?となるところが、微妙な女ゴコロというわけだ。 人はなぜヤキモチを妬くのかについて、私は、学生時代に雑学を教わったA師の解説「嫉妬とは、自分もそうなりたいという心のあらわれ」を正しいと思っている。たとえば、社員Pは上司に気に入られていて、何かにつけて誉められたり、いい仕事を与えられたりしているのを見て、実力ではPより上だと自負するQが、なぜオレより仕事のできないPを上司が認めるのかと怒る(つまり嫉妬する)とき、QはPと同じ立場にいたいと思うようになるという説であり、女にモテる亭主にヤキモチをやく女房は、自分も男にモテる身でありたいと思うのと同じことで、このことは御自分の周囲を考えてみていただければ、すぐにわかってもらえるはずだ。 後期高齢者になると、嫉妬心は失せるが、羨望は残る。私も、腰痛のない人を嫉妬するほどの若さは無いが、羨望はある。