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習慣

2011-06-01 21:21:42 | 日記
朝食時に1カップの豆乳を34年間続けていて、それ以前は不定期的に悩まされた尿路結石がピタリとやんだ。 昼食時に1カップのトマトジュース、というのも17年間続いている。この2ツは旅行にも持って行くし、入院中も家から届けてもらっていた。先月19日の血液検査の数値も良好。 豆乳とトマトジュースの力は大きいと思っている。 若い頃はトイレで新聞を読んでいた。50歳に近くなって川柳を考えるようになた。自分の作品が新聞や雑誌に載ったり、テレビやラジオで読まれたりするのもおもしろかったし、賞金も頂戴した。まだ脳が若かったから、トイレの5分間で5・7・5ができた。ラジオのニッポン放送に、トキクラトキジさんというユーモラスな担当者がいて、あるとき、倦怠期川柳を募っていて、私の「早寝する サイン決めてた 日もあった」を誉めてくれたりした。川柳の感覚も、5,6年前にダメになった。いまちょっと考えてみても、「梅雨空や 瓦礫の中を 跳ぶ蛙」か。これではダメだ。 最近のトイレの友は漢字パズル雑誌で、1冊500円で1カ月は愉しめるから、私の1回のトイレ代は17円になる。 4月に入っても寒かったので、正午前後に入浴したら、それが習慣になって、今日も昼風呂。 これは夏になっても変わらない気がする。 習慣はうまく回転しているうちは変えないのは当然だが、それを変えたくなる場合があるのも、これまた当然であり、私の例ではトイレの5分間がそれにあたる。その習慣の変化のもとは、多くの場合、年齢による気がするが、どうだろうか。

間に合った

2011-06-01 21:10:46 | 日記
ボーナス予想のうまい男がいた。ポイントは「間に合わない」だ、と言う。つまり、工場の現場でも購買や営業でも「間に合わない」という言葉が多く聞かれ、従って、残業だ徹夜だと騒いでいるシーズンの後は、ボーナスが期待できるというわけだ。「じゃあ、“間に合った”はダメなのか?」と訊くと、「鮨屋でもラーメン屋でも、出前が間に合わないぐらいでないとダメなのでは?」と笑ったが、彼の予想的中率は100に近かった。 これは昔話だが、今だって通用する話ではないかと思う。 昨年の入院中、あるいはその後の通院を含めて、病院のどの部屋へ行っても、「あのとき(私の倒れた日)、よく間に合いましたね」と言われるのがフシギだった。医師や担当の看護婦さん達が私の九死に一生~をご存知なのは当然だが、たとえば心電図室の若い女性技士から「本当に、間に合ってよかったですね」と言われ、「ありがとうございました」と応えながら、なぜだと思い、もしかして自分は奇跡の生還者として病院内の有名人になっているのか?と馬鹿なことを考えたが、それも家人の一言「そんなことは全部カルテでわかるのよ」で、吹き飛んだ。しかし、それでも私が間に合った男であることに変わりはない 2日前になるか、北海道石勝線で起きたトンネル内の火災事故で死者が出なかったのも奇跡といっていいのではないか。犠牲者がなかったので大ニュースにはなっていないが、あれが、よく(避難が)間に合ったものだと、丸焦げになってトンネルを出て来た車両を見れば誰もが思うだろうし、特に、その場におられた240にの乗客の方々はほっとしたどころか、偶然の幸(よくぞ間に合った)と胸をなでおろしておられると想像する。