以前より予告していました「ライン下り」ネタをようやくアップします。
ライン下りというと通常は船の話ですが
ここでは川沿いを“ぶらり”する事と解釈してください。
2回に分けての掲載、前編は神田川編(和泉橋~柳橋)
神田川は江戸の頃より上水を取水して水道水として利用されていました。
今でも水道橋の地名として名を留めている
そんなわけで江戸の名残を随所に感じられる“ぶらり”となる予感が・・・
【和泉橋】
秋葉原駅近くにあり昭和通りが川を跨ぐようにして架かっている
橋名の由来は橋の北詰に藤堂和泉守の屋敷があったことにちなんでいる。
また「神田和泉町」の地名が橋近くにある
右端にあるのは和泉橋防災船着き場
普段は利用できませんが地震などの災害時に活躍されることでしょうね
このような防災船着き場が都内にも40箇所以上あるそうです
【美倉橋】
橋名の由来は近くに三つの米倉があったことから 三倉橋と呼ばれ転じて美倉橋となったという。
平成時代には似つかわしくない物があった
倉ですね、しかも三つあります(写真では二つしか見えませんが)
三倉橋を表現しているようです
今の用途はトレイなんですが芸が細かいというか下らないというか
【左衛門橋】
この地に下屋敷を構えていた庄内藩藩主・酒井左衛門尉がいて
ここら辺の川沿いを左衛門河岸と呼んでいた
江戸時代にはこの橋は架かっておらず
明治になって橋が出来てた時に名前を取ったのが由来です
地理的に面白く千代田区、中央区、台東区の境となっている
【浅草橋】
JR、地下鉄の駅名にもなっているので立派な橋だと思いきや簡素で至って普通
しかし江戸時代ははるかに立派な橋なんだろうと思われる
江戸城の見附として浅草橋御門が設置され見附橋として浅草橋も架けられた
浅草見附跡の石碑がありました
明暦の大火(1657年)で浅草橋御門が閉められていて逃げ場を失った多数の人が犠牲になった悲劇なエピソードもあります
屋形船が浮かんでいて風情がありますね
まだ一度も乗った事ありません、船に揺られながら天麩羅、味わってみたいです
【柳橋】
とうとう神田川編のゴール地点
今回の橋で唯一ライトアップしています
橋名の由来は柳の木を植えた堤防があった(そのまんまですね)
柳の木はちゃんとあります。
欄干に「かんざし」のオブジェがありました。
明治の頃からこの辺りは日本屈指の花柳界であった事が偲ばれます。
橋の袂には船宿があります、日本的で情緒があります
この先は隅田川に合流します
隅田川編で両国橋からスタートします、特に橋好きの方はお楽しみに
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ライン下りというと通常は船の話ですが
ここでは川沿いを“ぶらり”する事と解釈してください。
2回に分けての掲載、前編は神田川編(和泉橋~柳橋)
神田川は江戸の頃より上水を取水して水道水として利用されていました。
今でも水道橋の地名として名を留めている
そんなわけで江戸の名残を随所に感じられる“ぶらり”となる予感が・・・
【和泉橋】
秋葉原駅近くにあり昭和通りが川を跨ぐようにして架かっている
橋名の由来は橋の北詰に藤堂和泉守の屋敷があったことにちなんでいる。
また「神田和泉町」の地名が橋近くにある
右端にあるのは和泉橋防災船着き場
普段は利用できませんが地震などの災害時に活躍されることでしょうね
このような防災船着き場が都内にも40箇所以上あるそうです
【美倉橋】
橋名の由来は近くに三つの米倉があったことから 三倉橋と呼ばれ転じて美倉橋となったという。
平成時代には似つかわしくない物があった
倉ですね、しかも三つあります(写真では二つしか見えませんが)
三倉橋を表現しているようです
今の用途はトレイなんですが芸が細かいというか下らないというか
【左衛門橋】
この地に下屋敷を構えていた庄内藩藩主・酒井左衛門尉がいて
ここら辺の川沿いを左衛門河岸と呼んでいた
江戸時代にはこの橋は架かっておらず
明治になって橋が出来てた時に名前を取ったのが由来です
地理的に面白く千代田区、中央区、台東区の境となっている
【浅草橋】
JR、地下鉄の駅名にもなっているので立派な橋だと思いきや簡素で至って普通
しかし江戸時代ははるかに立派な橋なんだろうと思われる
江戸城の見附として浅草橋御門が設置され見附橋として浅草橋も架けられた
浅草見附跡の石碑がありました
明暦の大火(1657年)で浅草橋御門が閉められていて逃げ場を失った多数の人が犠牲になった悲劇なエピソードもあります
屋形船が浮かんでいて風情がありますね
まだ一度も乗った事ありません、船に揺られながら天麩羅、味わってみたいです
【柳橋】
とうとう神田川編のゴール地点
今回の橋で唯一ライトアップしています
橋名の由来は柳の木を植えた堤防があった(そのまんまですね)
柳の木はちゃんとあります。
欄干に「かんざし」のオブジェがありました。
明治の頃からこの辺りは日本屈指の花柳界であった事が偲ばれます。
橋の袂には船宿があります、日本的で情緒があります
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隅田川編で両国橋からスタートします、特に橋好きの方はお楽しみに
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