さだまさし  男は大きな河になれ~モルダウより~

2018-10-16 10:43:57 | さだまさし
さだまさし  男は大きな河になれ~モルダウより~


せつないことが あったなら
大きく叫んで 雲を呼べ
それでも雲で覆えぬほどの
男は大きな宇宙(そら)になれ

嬉しい時は腹から笑え
笑えば嬉しい花が咲く
心を花で埋(うず)めて見せろ
女は優しい風になれ

苦しい時こそ意地を張れ
目をそらさずに雨を見ろ
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ

寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
そこで捨てたなら負けになる
男は大きな夢になれ

喜びは人と分かちあえ
悲しみは人に預けるな
許せる限り受け止めてやれ
女は大きな海になれ

寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ
男は大きな河になれ



モルダウ川(Vltava)は、ボヘミアを南から北に流れ、ラベ川(エルベ川)に合流するチェコの重要な河川の一つです。

約12分間にわたって演奏される交響詩「モルダウ(スメタナ)」では、モルダウ川の源流からプラハ市内へと続く、上流から下流への川の情景が非常に鮮明に描写されています。

上流~チェコの山奥深いモルダウ川の水源~

まずチェコの山奥深いモルダウ川の水源から雪が溶けて水が集まっていく様子が描かれ、森を抜け、勇壮な狩人が横切りる。

そして角笛が響き渡り、村の結婚式の傍を行き過ぎ、月明かりの静寂の中、水辺を妖精が舞い踊る。

下流~突然の急流、プラハ市内へ~

やがて、徐々に水量が増えていき、突然の急流に水しぶきが上がる。

いよいよプラハ市内に入り、勇壮な古城を讃えるかのごとく華やかな演奏が続き、そしてモルダウ川はプラハ市内を抜け悠然と流れ続けていく・・・


この交響詩「モルダウ」に、さださんが歌詞をつけて歌ったのがこの曲「男は大きな河になれ~モルダウより~」です。

この曲は、1987年7月4日公開された、西友・学習研究社・キネマ東京製作、東宝配給の映画「次郎物語(下村湖人原作)」の主題歌として作られました。

出演:

加藤剛  (次郎の父)

高橋恵子 (次郎の母)

泉ピン子 (次郎の育ての親・お浜)

伊勢将人 (次郎)・・・



ちなみに、中学校の合唱祭・合唱コンクールなどで歌われている合唱曲として、「モルダウ」、「モルダウの流れ」があります。


【合唱】モルダウ



なつかしき河よ モルダウの
清き流れは わが心
うつくしき河よ モルダウの
青き水面は 今もなお
流れにやさしく 陽は注ぎ
さざなみはいつも 歌うたい
岩にあたり しぶきあげて 渦をまく

豊かな流れよ モルダウの
広き水面は 今もなお
春には岸辺に 花開き
秋には黄金(こがね)の 実を結ぶ
愛の河よ しぶきあげて 流れゆく

豊かな流れよ モルダウの
広き岸辺に 狩をする

今日も響く 角笛高く
人は駆ける 獲物求めて
銃(つつ)の音は 森にこだまし
岸辺に湧く 喜びの歌
ラララララ ラララララララ

月の出とともに 村人は
今日の恵みを 祝い踊る
なつかしき河よ モルダウの 岸辺には
豊かな幸(さち)が 満ちあふれ
人の心は いつまでも
この河の 流れと共にゆく
わがふるさとの この河モルダウよ
わがふるさとの この河モルダウよ



モルダウの流れ



ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
ボヘミアの川よ モルダウよ
わが故郷を 流れ行く

ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
やさしき流れ モルダウよ
光り満ち
わが心にも 常に響き
永久(とわ)の平和を なれは歌(うと)う
たたえよ 故郷の流れ モルダウ




同じ原曲に基づく日本語の合唱曲は主にこの二つで、一つは富山県出身の作曲家、岩河 三郎によるもの。

歌いだしの歌詞は「懐かしき河よ モルダウの 清き流れは わが心」

二つ目は、平井多美子作詞による「モルダウの流れ」。

歌い出しの歌詞は、「ボヘミアの川よ モルダウよ  過ぎし日のごと 今もなお」

どちらの曲を実際の学校の授業や合唱祭・コンクールなどで歌ったかによって、思い入れは全く違ったものになります。

岩河 三郎の歌詞は、水しぶきや渦の描写、季節の事物、人々の営み・喜びを音と視覚・時間的経過を交えて豊かに表現するなど人間味にあふれ、さすがに数々の合唱曲を作詞作曲してきたベテランの風格が感じられますよね。

平井多美子『モルダウの流れ』は比較的堅い表現で歌詞も短めで、繰り返しが多いです。

音楽の授業でも使いやすいように無難な表現が用いられているようにも感じられます。

特に、平井版では学校教育で呪文のように唱えられる「平和」という例のキーワードが唐突に(やや強引に)歌詞にねじ込まれており、当初から教育現場で教材として使われることを強く意識した作品だと思われます。

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