現在鶏は10羽である。それでヒナを買うことにした12日には
来る。そこで鶏小屋の掃除を、つまり鶏糞を出すのだけれどもみ殻
が沢山入っているから、サラサラだ。飼い餌をあたえていなくて、
屑米と各家から出る残飯、それと草。そのせいであろう、糞の臭い
などまったくない。それを畑に蒔いて、新しいもみ殻を入れた。
早速彼らは、そのもみ殻を蹴散らかして遊んでいるふうである。
毎日、眼蔵や祖録などから気に入った句を見つけて書き出したい。
と思っているのだが、眼蔵にしても祖録にしてもそんな気安くやは
り読めない。本を読むだけで時間が過ぎてしまうこともしばしばで
なんとなく焦って読む感がある。それでも祖録に日常からもっと
触れんとあかんなぁ。とおもうのである。
「よのすえには、まことある道心者、おほかたなし。
しかあれども、しばらく心を無常にかけて、よのはかなく、
人のいのちのあやうきことを、わすれざるべし。われは、よのはか
なきことを、おもうと、しらざるべし。あひかまへて、法(仏法)
をおもくして、わが身、わがいのちをかろくすべし。
法のためには、身もいのちも、をしまざるべし。」
正法眼蔵 『道心』
しらざるべし とは自分勝手にはかなしや無常をわかったつもり
になることをいさめている。
法をおもくしてのこの法とは、いまここに目の前に開かれている
ありようすべてのことをいう。仏法というものが自ら思い描くもの
ではない。仏教のきまりなどと訳してしまうととんでもなく、
的外れになる。この世のありとあらゆるもの、政治や経済も含め
このわたしをわたししているありようを仏法といわれる。
来る。そこで鶏小屋の掃除を、つまり鶏糞を出すのだけれどもみ殻
が沢山入っているから、サラサラだ。飼い餌をあたえていなくて、
屑米と各家から出る残飯、それと草。そのせいであろう、糞の臭い
などまったくない。それを畑に蒔いて、新しいもみ殻を入れた。
早速彼らは、そのもみ殻を蹴散らかして遊んでいるふうである。
毎日、眼蔵や祖録などから気に入った句を見つけて書き出したい。
と思っているのだが、眼蔵にしても祖録にしてもそんな気安くやは
り読めない。本を読むだけで時間が過ぎてしまうこともしばしばで
なんとなく焦って読む感がある。それでも祖録に日常からもっと
触れんとあかんなぁ。とおもうのである。
「よのすえには、まことある道心者、おほかたなし。
しかあれども、しばらく心を無常にかけて、よのはかなく、
人のいのちのあやうきことを、わすれざるべし。われは、よのはか
なきことを、おもうと、しらざるべし。あひかまへて、法(仏法)
をおもくして、わが身、わがいのちをかろくすべし。
法のためには、身もいのちも、をしまざるべし。」
正法眼蔵 『道心』
しらざるべし とは自分勝手にはかなしや無常をわかったつもり
になることをいさめている。
法をおもくしてのこの法とは、いまここに目の前に開かれている
ありようすべてのことをいう。仏法というものが自ら思い描くもの
ではない。仏教のきまりなどと訳してしまうととんでもなく、
的外れになる。この世のありとあらゆるもの、政治や経済も含め
このわたしをわたししているありようを仏法といわれる。
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