今日は久しぶりに部屋にこもっている。明日は哲学の勉強会なの
でそれの予習である。前にも書いたかもしれないが、そもそも哲学
をしなくてはと思ったのは私たちのふだん使っている言葉、概念語
の多くが、明治以後西洋からはいってきた言葉の翻訳語であると
思ったからである。愛、自由、歴史、進歩はキリスト教の専売だっ
たし個、普遍、平等、主観的、客観的などなどじつに多いのだが、
その意味はほとんどなんとなくのイメージだけで使われていて、
あらためて学ぶとそうかと、我が勉強不足を嘆くことしきりなの
である。
たとえば、個についてキリスト教では神の前で1人で立つこと
を意味する、」そこにはじめて自由がうまれるという。一方、
アリストテレスはひとりの人間、一匹の犬、つまり人間、犬と
いう普遍的本質にかかわっている個物、代理可能なもの、絶対の
個ではない。この個や普遍がやがて科学を育てていく。
川原栄峰さんの「哲学入門以前」からである。この本、昭和
42年に出版されているけれど、いまだに版を重ねている大切な
ものである。ぼく自身もじつに30年ぶりに読み返している。
ここ10年ほど哲学書をかじって来て、入門書を開いている。
入門書というのはじつはとても有り難いものである。おおよそ
大枠でつかみ取らないと、つまり鳥瞰図を自身の中に持って
いないと特定の個人の論理だけにほんろうされて、ぜんたいの
流れ西洋人の思惟方法がわからないからである。
彼らの思惟方法が少し見えてくると、東洋の、日本人の思惟方法
が逆に照射されてなにか構造的にさえ見えるような気になる。
その意味では木田元さんの「反哲学入門」もたいそう
おもしろかった。
そんなことどもをいよいよ炬燵にはまりこんでやっている。
やっぱ炬燵がいいの、季節なんである。
でそれの予習である。前にも書いたかもしれないが、そもそも哲学
をしなくてはと思ったのは私たちのふだん使っている言葉、概念語
の多くが、明治以後西洋からはいってきた言葉の翻訳語であると
思ったからである。愛、自由、歴史、進歩はキリスト教の専売だっ
たし個、普遍、平等、主観的、客観的などなどじつに多いのだが、
その意味はほとんどなんとなくのイメージだけで使われていて、
あらためて学ぶとそうかと、我が勉強不足を嘆くことしきりなの
である。
たとえば、個についてキリスト教では神の前で1人で立つこと
を意味する、」そこにはじめて自由がうまれるという。一方、
アリストテレスはひとりの人間、一匹の犬、つまり人間、犬と
いう普遍的本質にかかわっている個物、代理可能なもの、絶対の
個ではない。この個や普遍がやがて科学を育てていく。
川原栄峰さんの「哲学入門以前」からである。この本、昭和
42年に出版されているけれど、いまだに版を重ねている大切な
ものである。ぼく自身もじつに30年ぶりに読み返している。
ここ10年ほど哲学書をかじって来て、入門書を開いている。
入門書というのはじつはとても有り難いものである。おおよそ
大枠でつかみ取らないと、つまり鳥瞰図を自身の中に持って
いないと特定の個人の論理だけにほんろうされて、ぜんたいの
流れ西洋人の思惟方法がわからないからである。
彼らの思惟方法が少し見えてくると、東洋の、日本人の思惟方法
が逆に照射されてなにか構造的にさえ見えるような気になる。
その意味では木田元さんの「反哲学入門」もたいそう
おもしろかった。
そんなことどもをいよいよ炬燵にはまりこんでやっている。
やっぱ炬燵がいいの、季節なんである。
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