ちょっと生意気にも作歌と書いてみた。
FB上の磨曜会で、短歌の会をやっている。
一応は短歌なのだが、俳句や詩、散文でも誰でも
共有できる場であればいいとやっている。
1週間に一度の投稿なのが、これが妙に早くて困る。
人がたくさんきて賑やかな夕餉だったよ。なんていうことは書けない。
思いはどうしても風景や心情の語りに片寄ることになるから、
毎度のパターンができつつあり、そういう自分のなかのできあいを
壊したいのだが、〆切はあっというまで、むたむたするばかりでちっとも正面
し得ていない。という言い訳が渦を巻いている。
けれど心情だけは向いており、その時に出てきた言葉を拾い出す作業をしている。
そのおかげだと思う。少し風景や物事を見る目が複眼的といえばかっこよすぎるが・・。
ある感覚や感情をピンに止めるようなことはこれまでもしてきたのだと思う。
が、なんともまだまだ作歌などといえたものじゃないことはわかっているつもりだ。
俳句は何か情景を切り取る作業、短歌は情を載せればなんとかなるのでは
などとやり始めたけれど、なんでもそうで奥が深いということは少し見えてきたようだ。
古文の会は今月からいよいよ万葉集で、こんなふうによめたらどんなにかと思うが
まったくもって遠いので新聞の投稿欄をせいぜい読むことにしている。