冬時間になってめっきり日暮れが早くなったように感じる。 冬時間になったのはもう4日前の土曜のことで、その深夜に時計の針を1時間戻して半年振りに日本とも時差が8時間になり、それにつれて日暮れが機械的に早くなったのだけれどこれまで天気が芳しくなかったので実際に日暮れを体感することがなかったのだけど今日の午後から一時的に快晴にもなりその雲ひとつない空が青から紺にそして透明で暗くなっていく日暮れとなったのをしみじみと体験したのだった。 雨が降っていたり曇っていたりするとこういうことには想いも行かずただなし崩しに暗くなるだけだ。
そして、そんな晴れた夕暮れの体感は大体夕食時のものが基本となっている。 子供たちがまだ幼稚園に行くか小学校に行くか、という頃、それはもう20年ほど前になるのだけれど、我が家では多くのオランダの家庭のように午後6時を夕食の時間と決めていた。 5時半ぐらいから子供番組がテレビでありそれが済んで子供ニュースと続き、6時になると子供のテレビの時間は終わりだ。 食事を40分ほどしてそのあと子供たちを風呂に入れそれが済むと歯を磨かせそれぞれのベッドで20分ほど本を読み聞かせそれで子供たちは消灯、親は居間に下りてきて8時のニュースというルーティーンがかなり続いた。 子供たちも小学校の高学年も近づいてくるともう手間はかからないがそれでも食事が6時というのは変らない。 そういう具合に毎日が過ぎて行き、夕食の始まる6時の窓の外の光と空の具合で季節の移り変わりが感じられた。 今、このあいだまで食卓の上の明かりをつけなくとも食事ができたものが窓の外は透明な濃い紺色に成っているのだから冬時間による釣瓶落としの夕暮れとなったのを実感する。
今晩は生ゴミのコンテナーを通りの角に出しておく日だ。 コンテナーにはまだ大分スペースがあるので月曜の大風で庭に落ちた木と先週伐った庭木の枝を細かくして詰め、食後ゴロゴロ引いて角まで持って行った。 月曜の大風で落ちてきた表の大木の太い枝はまだそのまま緑地に放置されている。 明日の朝は庭木の太い幹を緑地の枝がそのまま放置されているところまで引張っていってついでに市のトラックにもっていってもらおうと思う。
それにしても月曜日、大風のピークが通り過ぎて大分経って空に一瞬青空が広がったときに帰宅してそのときものすごい積乱雲が目の前で大きくなるのを観て妙な気分になった。 大抵は積乱雲は真夏のものだけれど真冬にも晴れた空にそれが出るのを何度もみている。 しかし月曜に観たものはその大きくなり方が何だか夏のものとはかなり違いどちらかというと暴力的にみえた。 夏には上に上に伸びて行き極普通の積乱雲、入道雲なのだけどこれはどちらかというと地を這って盛り上がっていくようなものだ。 写真を何枚か撮ったあとまた自転車に乗って数百メートル行ったら大木の大きな枝が道の横に無残に置かれているのが見えたのだが、その後、うちにたどり着いたら先ほどの雲がもう上空まで来ていて稲光が見え、急にかなりの雹が降ってきたのだった。 雨もあまりなく、晴れ間も見えたけれど大風の嵐だった。