暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ハロウィ-ンの夜に

2012年10月31日 22時14分37秒 | 日常

イギリスのBBCテレビで、鳥や獣、昆虫などの生態を紹介する秋のワイルド・ウオッチというライブ番組を見ていたら玄関のチャイムが鳴った。 ドアの豆粒ほどのレンズを覗くと子どもが一人立っているのが小さく見えて、ああ、ガン募金かクリスマス・新年に向けての子ども切手を買ってくれというようなことかとドアを開けたら口の周りを赤く塗った小学生が「Trick or Treat]と小声で消え入るように言う。

ああ、そうだった、今晩だったのかと気がついて、はて、そのようなことは今までなかったから何も用意していなくて、子どもに、ちょっとまってくれ、家には小さな子どもがいないから御菓子はあるかどうかわからないけど、捜してくる、と言い置いて居間に入りお茶請けのブリキ缶を開けたら Oreo ビスケットの小さなパッケージがあったのでそれを2つほど掴んで戻りその坊主に差し出した。 写真を一枚撮ってから手に提げているビニールバッグの中身を見せてもらったら同じような御菓子が沢山入っていた。 見た事のない顔つきだったので何処の子か尋ねたら3つほど向こうの通りの名前を言ったのでそれじゃ、だいぶ廻っただろう、それにしては少ないなと言うと、この辺は年寄りが多いから説明しないと分からないところが多いし言っても分からない人らが沢山いる、というので笑った。

ウィキペディア、ハロウィンの項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

もともとオランダにはこういうものはない。 アメリカ経由だ。 何年も前に高校生だったうちの子供達が学校で夜にハロウィン・パーティーをする、といい、それも仮装して飲み食いし、ダンスをする、ハロウィンをただダシにして騒ぎたいだけのものだったのだったがその頃からオランダのメディアにも徐々にこれが見られるようになり、またアメリカ文化がここにもおしよせてきているのかと思ったものだ。 もっとも、オランダの子供達は小さいときからアメリカのテレビを見てその子ども番組やシットコムでも育っているからそれが彼の国ではどのようになされるのかはもう知っている。 考えてみると日本ではもう戦後普通になっている宗教色抜きの形だけのアメリカ流クリスマスのようなものかもしれない。 日本のものは今ではクリスマスイブの若者の恋愛遊戯・狂騒にみえるものもこちらでは珍しいものと映り、自分がオランダに来た30年前にはそんなものもなく、馬鹿馬鹿しいと取り合われなかったしクリスマスは宗教儀式であるから厳かなもの、アメリカのサンタクロースなどは商業主義の唾棄べきものだと言われていたものが今はどうだ、サンタクロース抜きのプレゼント交換という商業主義にはまたとないチャンスとなって12月の第二週ごろからは広告の紙ふぶきがドアの隙間を抜けて束になって届けられる。

そこに来てこの近所のこどもたちの 「Trick or Treat」 行動となったのだから還暦を過ぎたといっても自分は若手の部類に入るこのあたりの住民には、何のことだ、と訝る年寄りが多いのも無理もない。 オランダにはサンタクロースはない、と言ったが実際はアメリカのものより遥かに古いかたちのものがある。 ある向きにはアメリカ版サンタクロースのプロトタイプ、オリジナルだといわれるシンタクラースだ(ウィキペディア/サンタクロースの項、もしくは英語版 Sinterklaas の項 参照)。 シンタクラースの誕生日の前夜12月5日は国民的行事となって11月の初めにシンタクラースが蒸気船でスペインから来るときにはそれがライブでテレビ放送となり毎年8時のニュースで大きく報道される。 だからこれがサンタクロース不用の理由だった。 オランダの小売業は毎年ここでピークを迎え、その波が引いたあとに新たな商業チャンスがクリスマス商戦となって現れてきている、というのがこの10年ほどの現象だ。 だから12月5日のほぼ一ヶ月前、今の時期にハローウィンというものが来ると子供達にはお菓子を近所から集めるまたとない機会となる。 シンタクラースの時は家族からだけのプレゼントで量も質もこれとはまるで違ったものだが、これでは外に出掛けていってよその家の玄関でいくらでも駄菓子がもらえるはずだから子どもにとってはまたもない機会だ。

それを見ていてぼんやり思い出したことがある。 もう30年も前のことだ。家人と知り合った頃一時期、北部グロニンゲン州の過疎地、ドイツとの国境から遠くない、周りに何もない大きな農家の母屋と大きな納屋で何組かの若者たちとシェアをしてコンミューンまがいにして暮らしていたことがある。 隣まで100mかそれ以上のところで、夜には遠くの家の灯りだけで廻りは真っ暗になる。 ところが11月の或る夜、親に手を引かれた4つ5つか、5つ6つかといわれるぐらいのこどもが提灯をもって家のドアの前に立ち、歌をうたいその家のものからお菓子をもらい、次の家に移る、ということがあった。 近所の農家でそういう習慣があると聞いていたのでこちらも小さなミカンや子供達が好むような一つ一つ包まれたキャンディーや駄菓子を大皿に盛って用意し待っていたのだが生憎、村外れにあったからなのか3組ぐらいしか来なくてお菓子が沢山残ってしまい何日もそれを口に入れたということを覚えている。 その後、オランダの都市部、西部に越してきてこのことを色々な人に尋ねても自分の地方にはない、という答えが多かった。グロニンゲン州、フリースランド州、北ホランダ州の一部にはあるとは聞いた事があるけれど全国的になってはいないようだ。 それを Sint-Maarten の祭り、といっていたように思う。 今みてみるとウィキペディアには聖マルティヌスの日となって提灯をもって歩くオランダのこどもの写真も出ていた。

ウィキペディア・聖マルティヌスの日の項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%97%A5

このオランダ版からするとあの夜、11月の10日ごろ、3組ほどの子供達の口からぼそぼそと歌われていた歌は次のようだった。

Sint Maarten, Sint Maarten,    シント・マーテン、シント・マーテン
de koeien hebben staarten,     牛には尻尾
de meisjes trekken rokjes aan    娘はスカート
daar komt Sinte Maarten aan.     そこに来たのはシント・マーテン

なんとも単純で語呂合わせだけの素朴な歌だったのだがそれでも只玄関に立ってぼそっと「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」というよりは気分的には遥かにいい。 これは日本の慣習でいうと地蔵盆の「施餓鬼(せがき)」というものに当たるのだろうけれど今でも田舎では行われているのだろうか。 自分が育った村では今でも地蔵を管理する従姉妹の家が毎年行っているはずだ。

その後、今日はゴミを出す日だというのでゴミのコンテナーをゴロゴロ引いて舗道を歩いていると今は雨雲も切れて強い月の光が射していた。 そういえばさっきのテレビで野生の生態、夜の森では赤外線カメラをたくさん森の中に仕掛けていたけれどまるで動きがなく、解説者がその理由を今はほぼ満月で明るすぎるから夜行性の動物も活動を控えている、といっていたのがよみがえってきて、改めて空を眺めていたら右上がほんの少し剥がれているだけの満月がかかっていた。




 

びちょびちょと雨が降って寒い。手袋を買った。

2012年10月31日 12時16分24秒 | 日常


オランダの天気は変わりやすい。 特に秋はその趣をコロコロ変えて、安定した秋晴れがみられることは少ない。 紅葉と落ち葉があちこちに見られるからさすがにもう夏は戻ってこないとはっきり分かるものの時々は暖かい陽が差し込むこともある。 けれど今日はそれを裏切る惨めな秋の長雨の午後だった。 外に出ることがあってポンチョを被り自転車に乗ったら湿気と雨で濡れたからか手が冷たくて町で皮の手袋を買わなければいけないほどだった。 明日から11月である。 家には本格的な冬のための厚手の手袋はあるがそれまでの薄手のものを買うとは思いもよらなかった。 正月に日本に帰省するけれど比較的温暖な大阪では厚手のものは必要なく過去の経験からはこれで充分だろうと思う。

夏時間から冬時間に変わって時計の針が1時間もどされた

2012年10月30日 03時40分31秒 | 日常


土曜の夜中の3時に時計の針が1時間戻されて日本とは8時間の時差に戻った。 冬時間の始まりだ。 BBCテレビで70年代のホラー映画を見ていて気がついたら冬時間になっていて腕時計やオーディオ、携帯などの時間をもどしてその後寝床に入れば、ああ1時間余分に眠れるのだと思ったものの日曜には別段予定もなかったのでそのまま普段と同じく眠りに就き、昼頃起き出して家中の様々な機器の針をもどしたのだけど、このコンピュータは万年そのままで、ふとモニターの隅をみると訂正することもなく冬時間のままだった。

急に寒くなった。 土日にかけて夜明け前には気温が零下になると警告があったけれど海岸から15kmほどのここは0℃にもなることはなかったものの内陸部、ドイツ国境あたりでは-3℃まで下がったところがあったようだ。 これから一週間は最低気温は平年並みの5℃ほど日中気温は8℃ほどで平年並だと天気予報は言っている。

バカンス ’12; (21)テント村のパンケーキ大会

2012年10月29日 03時36分09秒 | 日常


二年前にオーストリアの別の村でキャンプし周りの山々を歩いたときに拠点にしたのは自分達も会員であるNKBV(オランダ山岳連盟)のその年の拠点の一つだったからで、そこでは同年輩のオランダ人のグループといるという利点があったことだ。 子供達がまだ小さいときにはオーストリアのカリンチア州で子供が中心になる、時には大人にとってはいささか退屈なバカンスを過ごしたことがあるけれど、今は子供達もうちを出る年齢になると我々夫婦が一緒に楽しめる山歩きに加えて子どもたちも参加できる可能性を残しつつ、どちらかというと年寄り向きの山歩きを目的としたバカンスのキャンプ地にしたのだった。 

その前年には夫婦二人だけで車を駆ってフランス、スイス、オーストリアと2週間半のバカンスで実質10日あまりで200kmほどを歩いていたこともあり、そこで歩き残したスイス、オーストリアの氷河のあたりの山歩きを別の場所でやってみようという計画をたてていたら都合よく今年はオランダ山岳連盟のキャンプ地をインターネットのサイトで見つけたのだった。 二年前に知り合った人たちも何人かこのキャンプに来ていて毎日夕食後8時ごろから、詰めれば3,40人は収容できるその前と同じ連盟のテントでその日の情報、報告、経験などをコーヒー、紅茶を手に意見交換しつつおしゃべりをし、それぞれの計画などを2時間ほどそれぞれ勝手に喋りあうという慣習がある。 それには別段参加する義務はないのだがこういうところでの色々な情報交換は何かと役に足つので疲れていなければ大概自分のマグカップと折りたたみ椅子を持ってここにくる。 

それぞれの都合で毎日同じメンバーが来るとも限らず、それでも何日か接しているとだれとも打ち解けて心安くなるのは自然の成り行きだ。 またそういう時にはこの地に来ていない別の会員のことも別々に知っていたりしてそこで共通の話題繋がるということもある。 こどもたちも自分達と同じような年頃の青年たちと混ざりその場の大人にも混じってそれぞれ自分達の興味の任せるままに会話を進めているという具合だ。 自分は名前がなかなか覚えられないので顔つきと話した内容からそれが誰だったかということを後から確認していくのだが前回、二年前の世話役はかなり積極的にグループをまとめて小さなイベントをいくつか組織していたけれど今回の年寄りはあまり活発ではなく温和に皆に混じる程度だったがただ一つ、何人かの親と子供達が一緒に筏で川下りするイベントを催したようだった。 そのときにはうちの子供達もそれに加わり、我々はどこかのコースを歩く、というようなことをした。 世話役といってもそれぞれ会員間のボランティアであってそれぞれが特別の義務もなく皆自己責任で集まっているのだから大抵自然にその場の成り行きでイベントが決まる、という性格ののもなのだ。

ある日の晩、日頃は8時から集まるところを7時からにして、それぞれ山歩きから帰ってきてシャワーを浴びたりしてサッパリしてからそれぞれが自分のパンケーキをここで作って喰おう、という企画をたてた。 パンケーキはオランダでもっとも人気のある食いものかもしれない。 小麦粉を溶いて卵を落として混ぜ、それをバターを溶かしたフライパンで焼く、という甚だ簡単なものなのだがそれに加えるのに様々なバリエーションがある。 だれもその素だけのものを喰うわけでもなく、ハチミツかカラメルの蜜、細かい粉砂糖をかけたものが一番簡単なものだろう。 それにレモン汁を垂らすのもいい。 オランダ人はこどものころからそういうもので育っているから大人になってもそれで満足するものが多いのだが、それにリンゴや干し葡萄を混ぜたりするのもある。 時々うちでも食事の代わりにするのがパンケーキにハムとチーズを乗せて食うものだ。 カリカリに焼いたベーコンをハムの代わりに乗せるものもいる。 ベーコンを炒めたあとに出た脂で玉葱を柔らかく炒めてそれも乗せるのも旨い。 自分の好みはベーコン、しんなりした玉葱の上にチーズを乗せて熱でとろっと溶かせてからパンケーキをカーペットのように巻いて一口づつ切ってビールで喰うというものだ。 

デザートのパンケーキとしてはバナナやリンゴ、苺にマンゴなどを乗せてホイップクリームをかけたものがいい。これにはイタリアの甘いデザートワインがあうかもしれない。 こういうバリエーションは大抵世界中にあるのだからオランダだからパネンクックというだけでフランスではクレープだし日本になればお好み焼きという粉物の部類に入る。

ここはキャンプ場だから家で作るのとは大分勝手が違うから、と皆言い訳がましく小さなガスコンロの上で慣れない手つきで焼いている。 こういう場合は男がしゃしゃりでて粉大名となってフライパンを動かしているのだが自分は家人と子供達にパンケーキはまかせテントの中をうろうろとあちこちを眺めていた。 一年に一度するかしないかというお好み焼きの場合は自分が采配を振って焼くけど一年で4,5回はするパンケーキの食事のときは一切何もしない。 この日はここで食事をする、ということになっていたから7,8家族が集まっただろうか。 こういう場合には一人で来ることもなく、また夫婦だけもなく大抵は2,3人のこどもも一緒の家族単位で、この晩はテントの中には30人弱集まってテントの中は甘いバターの焼ける匂いが満ちて賑やかなものだった。 食後はいつもの集まりとなり、コーヒーや紅茶ですごしたあと、自分は近くのスーパーで見つけた松の香りのついたこのあたりのシュナップスを振舞った。 これが旨いと言ったのはこのうち二人だけで一人は17の若造とあとは30半ばの主婦だけだった。 それでも勧めると旨いと言わなくとも壜はあちこちに移動して2時間ほどのあいだに700mlほどの壜が空になっていた。

フェア・ゲーム  (2010);観た映画、Oct., '12

2012年10月27日 13時25分55秒 | 見る
フェア・ゲーム    (2010)
FAIR GAME

108分

監督:  ダグ・リーマン
原作:  ジョセフ・ウィルソン、 ヴァレリー・プレイム・ウィルソン
脚本:  ジェズ・バターワース、 ジョン=ヘンリー・バターワース
撮影:  ダグ・リーマン

出演:
ナオミ・ワッツ     ヴァレリー・プレイム
ショーン・ペン     ジョー・ウィルソン
サム・シェパード    サム・プレイム
デヴィッド・アンドリュース   ルイス・“スクーター”・リビー
ブルック・スミス    ダイアナ
ノア・エメリッヒ     ビル
ブルース・マッギル   ジム・パビット
マイケル・ケリー    ジャック
アダム・ルフェーヴル  カール・ローヴ
タイ・バーレル
ティム・グリフィン
ジェシカ・ヘクト
ハーレッド・ナバウィ
トム・マッカーシー
アシュリー・ガーラシモヴィッチ
クイン・ブロジー
ノーバート・レオ・バッツ

夫がイラク戦争開戦を巡るブッシュ政権の欺瞞を告発したばかりに、政権内部からCIAエージェントであることを暴露され命の危険にさらされる事態に直面した女性とその家族の孤高の戦いを描く実録ポリティカル・サスペンス。危険な任務に当たるスパイの情報が、自国の政府によって意図的に漏洩されるというアメリカ中を騒然とさせた前代未聞のスキャンダルの真相を、当事者であるヴァレリー・プレイムとジョセフ・ウィルソンの回顧録を基に忠実かつスリリングに再現していく。主演は「マルホランド・ドライブ」「ザ・バンク 堕ちた巨像」のナオミ・ワッツと「ミスティック・リバー」「ミルク」のショーン・ペン。監督は「ボーン・アイデンティティー」「Mr.&Mrs. スミス」のダグ・リーマン。

世界を震撼させた9.11同時多発テロ。アメリカのブッシュ政権は首謀者であるアルカイダへの報復を進める中で、その矛先をイラクへと向け始める。そして、イラクが核兵器の開発を行っているとの疑惑をもとに、CIAの女性諜報員ヴァレリー・プレイムがその証拠を固めに乗り出す。彼女の夫で元ニジェール大使のジョー・ウィルソンも、ウラン買い付けの真偽を確かめるべくアフリカで綿密な調査を実施。その結果として疑惑は事実無根との結論に達したと上司に報告したヴァレリー。ところがブッシュ政権は、彼女が否定したはずの疑惑を根拠としてイラクへの宣戦を布告してしまう。これに対しジョーは、新聞で事実を暴露して政権を批判するが、政権側もヴァレリーが諜報員であることの極秘情報をメディアにリークして報復。彼女ばかりか、各国に散らばる協力者たちにも命の危険が迫る事態となり、世間の激しいバッシングの中でついには家庭も崩壊の危機を迎えてしまうのだが…。

上記が映画データベースの記述である。  本作をオランダ民放テレビのゴールデンタイムに放映されたものをみた。 どんなストーリーかも知らず出ているのが先日観た「愛する人 (2009)」のワッツとこのところ見ていなかったペンの二人だったからだ。 テレビガイドの票は5つ星のうち3つだったから、特別なことはないけれどほかにすることもなく暇なら見るのにはいいかも知れない、という作品なのだ。 ワッツはともかくペンの出ているものは見てみようと思うからこれを選びどんな話なのか筋を追った。 

CIA捜査官の女と元アフリカ小国の大使だった今は自分のキャリアと知識でなんとかビジネスを保っている男の夫婦がその仕事をしているうちに自分たちの仕事、特に夫の調査結果が戦争の引き金を引く理由として歪曲されて使われる時それを糺そうとするとどうなるか、いかにして世界最強国の中枢、オーヴァルオフィスの捏造に異を唱え、それが誤っているとしてももう既に歴史の引き金が引かれたときに理由が正義にもとるからと一人で権力の横暴に対抗するとどうなるか、ということだろう。 それは世界中で見られる組織内告発者に対する不当な抑圧モデルと同じく、ことにCIAという情報操作最高機関の奥深く入った妻には、そこで組織内の上部権力の意にそむくとそれまでいくら家族同様の付き合いのあった上司、同僚たちが仕事に一定の理解を示していたとはいえすぐに踵を返して公務員の義務を楯に保身に走り、挙句は不当にでっち上げた理由をつけられて解雇されメディア操作で国賊にされる。  結果は政府対不当につまはじきされた個人、という巨人対アリの構図なのだ。 だれも首脳の意図が欺瞞に満ちたものであっても彼らが体現するアメリカには逆らえない、といった不正にどのように対するかという話であるようだ。 らしいというのは上記データベースからはこれは実話に基づいた作である、ということだけれど、どこかで「きれいすぎる」という感じがしないでもないからだ。 それが大筋で事実であったとしてもそれが原作となり映画化されたそのナラティブが稚拙だということなのだろうか。だからテレビガイドの評者が中庸のレッテルを貼り付けたのだろうか。 語り方が稚拙であれば事実も嘘臭くなる、というのは皮肉でありそれはまた恐ろしいことだ。

我々にこれに比較するものとして大統領の不正を暴きそれが辞任に追い込むもととなったウオーターゲート事件の顛末「大統領の陰謀(1976)」があるがそれと本作を歴史の中の重みとしては同様なものとして比べ、原作や映画を作たものが本作であるとなると何かが違うように思われる。 両方とも最高権力者のモラルを問うものであり、或る意味では大統領の盗聴問題より、本作の戦争を始める理由が虚偽である、というほうが多大な人の生死にかかわるものとしてより重大ともとれるのにどこかですっきりしないのだ。 

本作が事実に基づいた創作であるから当時の実際の映像が幾つもその都度挿入されるとそのときのことを思い出す。 自分達の周りには第二次湾岸戦争はその理由はどうであってもこれは石油資本をにぎるブッシュ親子と副大統領の都合が大きく作用している、と大局では理解していたから、アメリカによって作られたイラクの独裁者が自国民をいかに扱おうとも戦争の必要はないとみて、あの凍てつく1月か2月のアムステルダムを数万人の中に混じってデモ行進をしたのだったがその後の虐殺的なコンピューターゲームにもみえるようなテレビ画面でのライブ戦は圧倒的なもでのであり、情報メディア操作の鉄壁が自分達のまわりに張り巡らされているのを感じたものだ。 だから動機が虚偽であったことをしっていたにも関わらず英国を米国の犬として戦争に巻き込んだとして当時の首相であったトニー・ブレアがごく最近まで弾劾されていたことを我々は覚えている。 本作では歪曲された主人公のレポートと英国の情報筋がフセインが核爆弾を持っていたという虚偽の理由にされている。 同時、戦争まで何度にもわたる査察委員会派遣の結果が、様々に錯綜する情報の中で概ねではイラクには核爆弾をつくる能力がなかったにもかかわらず戦争となり、最後にはフセインを隠れ家の穴倉から引きずり出し自国民の弾劾裁判で絞首刑にしたのだった。 そこでは核爆弾のことは脇にやられ地域と自国民に対する虐殺、弾圧が弾劾される理由になっていたのではなかったか。 戦争に勝つ、結果よければ全てよし、ということなのだろう。 

フェア・ゲームというタイトルに象徴されているように何事も正しく公平に行われなければならない、ということなのだ。 このアメリカの戦争の経緯を最近ニュースになった世界的なアメリカ人自転車競技のチャンピオン、ランス・アームストロングの顛末と比べてみる。 ツール・ド・フランスで何度も栄冠に輝き鉄人として歴史に残る経歴を築いたもののいつもドーピングの疑惑が消えず、ついにアメリカFBIの捜査の結果、関係者がピストルを捜査官に見せられて次々に事実を明かすこととなりそれを明確に知らしメタ数百ページにもわたるレポートが発表されたあと、先日全ての賞、地位を剥奪、自転車競技界から永久追放となった顛末はまだ耳目に新しいが、アームストロング自身は政府高官に近く、スポーツだけでなく政治にも深く関わり、一介のスポーツドーピング検査機関では暴けない組織的な操作で、これも奇しくも第二湾岸戦争のころからのほぼ10年間を君臨してきたのだった。 そしてプロ自転車競技のトップ走者たちにドーピングをしていないものを捜すのが難しいような状況のなかでアームストロングは飛びぬけてそれが巧妙であり、そうして勝ち続けてきたそのモラルが今問われ、FBIの介入で真実が暴かれると本人はそれを一貫して否定しているもののそれでもそれが糺されたというのが最近のことだったのだ。 ここではフェア・ゲームのモラルは建前では守られたといえるだろうけれど100年ほど伝統のあるフランス自転車競技関係者、ジャーナリスト、通たちの意見では、考えられないような利権、金が絡むプロ競技であるからドーピングなしではこの競技は考えられないというような世界になってしまっており、だからそれがアマチュア競技になればなくなるかといえばその保証がまったくない、というような、モラルは現実にみるように保証されるということは現実的には難しいというようなうんざりする世界が見えてくる。 皮肉なことに本作のストーリーでは彼らの名誉が回復されたものの戦争はそれからも絶えず続き、2014年に米軍がアフガニスタンから完全撤退する、といってもそれも一部から疑問視されているのが現状だ。 

本作鑑賞後メモを記す気になったのはつい先週だっただろうか、大統領選のためのロム二ー、オバマ両候補のテレビ討論会が3回あり、1、3回目をみたのだが、ことに3回目に外交問題を論じたときに共和党の政策に釘を刺す意味でオバマ現大統領が共和党の戦争戦略ではチェイニー、ラムズフェルドの行いに戻すのか、と本作にもかかわる発言をしたことだ。 更に共和党戦略なのか中国に進出が難しくても経済投資圏としてラテンアメリカ諸国があるではないか、と発言したロム二ー候補の発言は今までこの地域が様々なCIAの活動地域であり、今もそれがつづけられている事実とも考え合わせても本作とも同様の、またヴァリエーションの一つとしてストーリーが紡ぎ出されかねない匂いがする。 民主党、共和党どちらが勝ってもアメリカの世界戦略は同じだというものがいるとしてそれには30%の同意をするものの、あと70%にはある種の望みが託されてもいいものと願う。それがなければ世界は暗いシニシズムに包まれてしまうからだ。

再び本作で感じた違和感を考えてみる。 それは不正により英雄となった一個人の地位が剥奪されたとしても不正がはびこる現実にたいしては圧倒的に正しいモラルをいうことの脱力感を知覚するからかもしれない。 それに本作はそれによって正義を回復しようとして成功した人間の話してあり、自分がそうなったらどう戦えるか、となると鑑にするのは溌剌とした英雄でもなく、むしろCIAの権力に従順な同僚たちで別段彼らに親和力はもたなくとも現実的妥協策としてかれらの耳打ちに従うのが80%ほどの確率であろうと感じるからなのかもしれない。 もっとも我々小市民にはそのような機会は一生に一度くるかどうか、というところなのだがそのときにどうするのかと考えると自分はとにかく武者震いを一度はするだろうというような気がする。

UFOか?

2012年10月26日 23時00分55秒 | 日常

昼頃起き出して裏庭に出てみると寒い。 午後3時ごろで8℃だった。  2,3日前にその時間には18度だったことを考えるとまるで季節が違うようだと思い、そういえば週間天気予報であと3,4日すると夜間気温が1℃ぐらいまでさがるだろうと言っていたのを思い出し、そのことで秋の夕日のツルベ落としというような言葉も浮かんだけれど温度がツルベ落としかいと一人で突っ込みを入れそうにもなった。 

そのあともう今年も庭の芝生もこれ以上伸びないだろうと思ったから裏の物置から手押しの草刈機を持ち出して踝ほどに伸びていた芝生を刈った。 猫に餌をやって屋根裏部屋に戻りのんびりと家で出来る仕事をしているとそろそろ食前酒の時間になったからショットグラスでジンを飲みながら久しぶりにチャットで遊ぼうと幾つかのチャット部屋を覗いたら6,7年前に比べるとチャットの人口が断然減っていることに気付いた。 この前やったのはもう半年ほど前だったけれど長くから話したことのある人やネットだけで日本語が出来るようになったフィンランドの青年などとどうでもいいようなチャットをした。 オランダに比べると時間が1時間進んでいるフィンランドは7時を廻ってマイナス5℃だと言っていたからそんなものかと思う。 日本人の女の子はとても考えられなーい、というようなことを言うけれど、それも所詮慣れだと言っても分からなそうで、自分の世界の中だけで世の中を測る者はそんなものかもしれないと思う。

そうこうしていると下から晩飯コールがかかったのでチャットを終え、屋根裏部屋の窓から西空を眺めると夕焼けだった。 暫く眺めていると二つ並んだ光が見えた。 一瞬UFOかと思ったのだがよく見ていると少し動く。 それが徐々にスピードを増して右の方向に動くから飛行機が徐々に方向転換をしてスキポール空港に降りる準備をしているのだということに気がついた。 光が二つ止まっていると思った時はこちらに向かって飛んできている時で旋回してからは動きが出たのだった。 それにしてもおかしいな、と思ったのは光が点滅していなかったことだ。 夜空を眺めていて人工衛星か飛行機かということがあるけれどそういう時は光の点滅で飛行機だとわかったり白色光でなく赤く見えるときもあるし、それとも離着陸の際には点滅はなし、というようなルールがあるのだろうか。

夜空を眺めたりするときにはUFOが来ないかなと思って眺めることがあるけれど夜空ではそういう体験はない。 




姑のところに御機嫌うかがいに行って来た

2012年10月26日 02時49分39秒 | 日常
不治の病を療養している姑を介護老人ホームに訪れた。 

4,5年前にあと長く持って3年か、と診断されたものの米寿に手が届くところまで生きた老人だから太り気味の体から20kgほど体重を落としたら病を身体に持っていても進行が緩いようでこのまま行けば何れ寿命とまで言われるような歳になりるのだから気楽に療養していればいい、としているようだ。 当然本人には自分の体の中で何が起こっているのか、その状態、次のステップというようなことは伝えられているから見舞いに行ったものたちは本人からその具合を聞かされる事になる。 

姑はオランダの酪農農家の11人姉妹プラス一番下弟の真ん中として生まれ生涯同じ村で暮らして外で住んだことはない。この村にある老人ホームにしても近所の人たちが沢山入っているし自分の姉妹のうち二人もいてある意味ここでは日頃の生活と同じような気楽さなのだがしかし、自分の家を離れてここに来ることがもう戻り道はない、と覚悟させるところもあるのだろう。 

日本でも姑と同い年の自分の母親を1年半ほど前に同様の介護施設に送った。その場所は自分の本籍地のすぐ近くでもあるし状況は似ていないことはない。 還暦を越えた我々の歳ではこれは何処にでもある話で特に変わったところなども何もない。

姑はこのところ軽い肺炎となって床に伏せっていて、それを見舞うのがもののゆったり普通の会話ができるのだが2時間ほど居るあいだに前のうちの隣人達、妹夫婦、村の心安い人たちが病気見舞いに来て呉れて普通の話に花を咲かした。




バカンス ’12; (20)3週間のテント生活

2012年10月25日 07時03分01秒 | 日常


10月も半ばを過ぎて落ち葉が道端に積もるようになったこのごろ、2ヶ月前のチロルでのテント生活を想う。

ベルギーのゲントで2泊、ドイツの黒森の村で一泊のあとオーストリア東チロルのカルスという村のキャンプ地で2週間テント生活をした。テントを設営したり解体したりするのに親子4人で要領よくやったからベルギーでもドイツでもそれぞれの作業に1時間もかからなかった。 一番大事なのはそのとき雨が降っていないこと、テントはできるだけ湿っていないことだ。 幸いなことにそれぞれ雨の中で設営、解体することはなく助かったが途中の移動では雨の中を走ったこともある。

長くひとところにテントを設営してそこで生活するとなるとほとんど毎日自炊する。 毎日外食ではだれもが文句をいう。 ゲントでは町を見物するために二晩ともレストランでの外食となり、ドイツの村でも同様だったがそれは次の日にすぐに出発できるよう出来るだけ梱包を解かずベッドだけを造り簡単な朝食を手早く済ませテントを解体して牽引車にまとめ次の目的地に急ぐという繰り返しとなるからだ。 一箇所で2週間の滞在となるとテント設営のあとはそこに「住む」こととなり、日常生活がそこで始まる。  バカンスが終わり帰宅の前日にはテントの内部を整理し、こまごまとした生活用品を梱包してまとめ、寝袋だけにしてキャンプ地の近くのレストランでちゃんとした夕食にする、というのが我が家の習慣になっている。 テントはいくら天気がよくとも朝露がつき、夏には晴れていてもやっと9時ごろになって乾き始めるが出発の朝は大慌てでテントを解体梱包して支払いを済ませそこから12時間ぐらいで帰宅できるようどたどたと車に乗り込み近くのスーパーにあるバーで朝食にして後は一気に息子と交代でハンドルを握りながら高速をとばして帰ってくるのだが、帰宅後はすぐに晴れ間を待って生乾きのテントをカラッと乾かし壊れたところは補強し次回すぐ使えるよう準備してからどこかに格納しておく、というのが順序だ。

7月の初めに準備のために初めてこのテントを前の緑地に設営したときのことを写真を添えて次のように記した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62756585.html

今読み返してみると7月の始めに一人このテントで寝て寒いと言って、明け方15℃だ、と書いてある。 標高1400mのところにあるキャンプ地では夜には15℃ぐらいで明け方には5℃になったこともある。 自分は折りたたみ式のストレッチ式簡易ベッドを「居住区」の端に置いて地面から40cmほどのところで寝たのだが明け方には寒さで目覚めることもあり、ついには断熱材のシートを寝袋の下に敷いてやっと凌げるようになった。 さすがに家から持っていった寒暖計が5℃を指しているのを見たときには驚いたのだが、その後、2500mほどのヒュッテに泊まったときにはそこでは5度が普通で、まだそれよりも低くなっていた。 今の時期、10月も後半に入るとキャンプ地は別としてもアルプスのヒュッテでは9月の半ばに人は皆下山し、今は無人となり、もうあのあたりは雪に埋もれているのかもしれない。

今回このテントは重宝した。家人と娘は一畳以上のプライバシーを守れる寝室部分にそれぞれテリトリーをもち息子はその間の一畳ほどのスペースに寝て、「寝室区」は牽引車を広げたスペースで床は1m以上ある。だからそこで寝泊りしていると寒さは感じないから彼らにとっては早朝5℃だといっても何事のこともない。 この60cmの差が湿気の違い、しいては皮膚感温度の違いにもなるようだ。

このテントにはビニールの窓がついている「住居区」の外側に2mほど突き出したカンバスの庇の部分が取り付け可能であって3本の支柱とロープでテラスの部分をつくることとなる。 天気がよい日には朝晩の食事はここで摂る。夏の自然の中で生活をするのだから出来るだけ外に居る、ということだ。 実際きもちのいい山のキャンプ地で山や空を見ながら椅子にこしかけて過ごすのはこの時期だけの特別なことなのだ。 足の踵にマメをつくり歩けず、他の家族が周りの山々を歩いているあいだ昼間は一人テントに一日中いたのが4日ほどあった。 日中4時ごろまではテントの中はサウナの暑さで居られない。だからこの木陰になるテラスが重宝する。 この日陰でビールを飲みながら地図を眺め、家族が歩いているあたりを想像したり持っていった本を読んだりして過ごした。 夕方は山の谷間にあっても9時ごろまでは明るいから雨が降らなければテラスで夕食を摂った。 その後10時前までに熱いシャワーを浴びて、完全に暗くなった11時を廻るころまで過ごす場所がこの「住居区」だ。 テラスから持ち運んできたテーブルとパイプ椅子に座って本を読むなりゲームをしたりして11時を廻る頃まで各自過ごし翌朝は8時前には起きる、というのが甚だ健康的なバカンスでの日常だ。

晴れ間が続くと申し分ないのだがいつもそうとは限らない。 我々がここに住み始めたときには「オランダから日光を運んできてくれた」、と言って他のものから歓迎された。我々が着いた前日まで何組かがそれまでの雨につくづく嫌気が差してオランダに戻ったそうで我々と入れ違いだった。 もっとも我々がここに落ち着いても完全に雨が止んだかというとそのようにはならなかった。  

このようなテントが一番重宝するのは雨の時だ。 2週間のうち3分の1ほどが雨だった。 それにはパターンがあって、午前中は晴れていても4時ごろから夜にかけて雨が降ることがあった。それは夕立、といってもいいほどのことで、テントの前には水溜りが出来てそれが徐々に内側まで押し寄せてきて床に敷いた緑色のメッシュの生地が湿って居住区の半分ほどが「床上浸水」したのだがそのような夜は早々に寝床にもぐりこむのだった。 ある夜、夜中に風雨が強く、風が突然テントの庇の部分を吹き飛ばした。 慌ててて外に飛び出し外れた支柱とそれを支えるロープを掴んでペグを打ち直しロープを再び固定してなんとか事なきを得たのだが被害はそれだけで済んだ。 けれどこのキャンプ地では幾つかのテントが平らになっていた。 雨の中ヘッドライトの光を頼りにペグを打っていると何人かの若者が何か手伝うことがあるかと言いながらそれぞれのテントを見回りにきていたのだが自分のところは何とかなるので他のテントを手助けするように言った。 幸いなことにテントに雨漏りはなかった。

バカンスの後半は晴天が続き洗濯物はよく乾き、テント生活は快適だった。

アメリカ大統領選挙での第三回目の討論をテレビで観て

2012年10月23日 18時25分33秒 | 見る


1時間35分にわたるロムニーとオバマ両アメリカ大統領候補の第三回目の討論会をオランダ国営放送テレビで深夜3時から4時35分まで観た。 

第一回目を何週間か前に見てオバマ候補が相手の予想以上の勉強振りにどのように対応するか戸惑いがちの防戦となり、それがテレビ画面に流れると一般の眼には消極的な大統領、マイナスなイメージとして映り、一時的にロドニー候補に数ポイントで差をつけられたという報道があったものの、見逃した二回目の討論会では落ち着きを取り戻し現役大統領であることの強みで細部にわたる事実の積み重ねと自らの理念をもって対立候補の政策の弱みと誤りをつき、それに焦った余り自ら事実に反する発言をしてロムニー候補がその言説を質されるという失策を犯し、結果として第一回目の得点を帳消しにしてまだそれを上回る減点となったと後ほど解説されていた記憶も新しい。

これをボクシングの試合に例えてみる。 このボクシングには引き分けはなく勝者は一人でなければならない。 戦うには幾つものルールがあって試合はそれに合ったものでなければならない。 レフリーは公平でなければならないが第一回目では時間のこともあったのか審判がロム二ー候補に利するようにみえる分け方をしたこともあったように見えた。 ゴングが鳴って両者見合うがチャンピオンであるものは今までの戦のデータを思い起こし初めての対戦相手の様子を見ながら受身になる。 挑戦者は今までトレーナー、コーチ達から教わったチャンピオンの弱点をついてあちこち攻めるものの今まで自分が戦ってきた級とこの最上級ではクラスが違うことを自覚しているがゆえにより以上ある意味では無理をして戦わねばならないことになる。 第一ラウンドではセコンドの助言が功を奏してチャンピオンの戸惑いを誘っての攻めが優勢に見えたというところだろう。 一般観衆はこれを挑戦者の優勢と取ったようだがプロはそれには組しないものが多かったようだ。 あんなものはかすり傷にもなっていない、と守るものは焦り気味にいうものの第二ラウンドに向けてチャンピオンのセコンドは相手を侮ってはいけないことを覚悟し初回の態度を改めカウンターアタックに方向転換をし、その結果、相手のミスを誘ったことにより両ラウンドの合計では試合前に予想されていた通りのチャンピオン優勢に戻ったということだろう。

しかし最終ラウンドの第三ラウンドが勝負なのだ。両方とも自らの墓穴を掘るような失策をしてはならないことは当然のこと、負けずとも相手に勝る印象を観衆に与えなければならない。 第三ラウンドでは挑戦者の力不足が見えたようだ。 充分力をつけたとも思えない腕でパンチとまではいかないものを繰り出すがチャンピオンはそれを受け止め、それをしながらレフリーにある種のパンチはちゃんとした打ち方をしていないと助言する余裕をみせる。 終わりが近づき時間が来てここからはパンチを交互に出し合って終わりとするところでは挑戦者はほぼ自滅した過去の轍をまたもや踏んでいるようにも見え、正しいボクシングを好むものには挑戦者の力不足から、チャンピオンの仕事には不安要素はなくないものの、それでもチャンピオンは確実にポイントを獲得してこのボクシングでは手に汗握るプロボクシングのショー的場面はなかったもののオリンピックのボクシングで見られるようなポイント制での得点を重ねた結果チャンピオンが手堅く勝利したように感じた。 共和党には力のある候補がなかったということだろう。 それが今回の自分の印象なのだが世界中でこれを観戦している人々の意見は知る由もない。 これに関係がないものの先日共和党副大統領候補として一時話題を集めたサラ・ペイリンの軌跡をドキュメンタリーにしたものを観てこれがアメリカ大統領を補佐する人物になっていたかもしれないと思うと背筋に寒いものが走ったものだ。 思い起こせばダン・クエールにしてもディック・チェイニーにしてもペイリンほどではないにしても信頼がおけるようには見えないし、ブッシュ政権下でのチェイニーの仕業は今回オバマ候補の口から出ただけで誰にも苦い記憶を思い出させるに充分だった。 とはいえアメリカを周りから眺める外部世界の人間がどういってもそれはあくまで部外者の意見でここでのチャンピオンを決めるのはアメリカ人なのだからその結果はスウィング・ステイツと言われる地盤が揺れる州の動向に拠るだろう。 

人は公平ではあり得ない。 読み書き計算ができ物心のつく頃には、例えば三つ子の魂百までも、というようなものと一緒に様々な価値観を既に持っている。 社会的動物である我々は出自と環境によってその価値観の束を補強されるなりそれぞれを再考、矯正しつつ個々の価値観を構築していくだろう。 そこから出てくる政策によって国の長を選ぶとなるのだが候補者のそれらの価値観が討論の場で白日の下に晒され検証され公衆に試されることになるのはいうまでもない。 選挙民は彼らの価値観が自分の期待に沿うものか、身の回りの諸問題を解決する策を持ち合わせ、それを実行する知力と決断力を持っているのかを値踏みして投票の材料にするのだがここでも彼らの価値観が今まで言われていたことを裏づけそれらは民主、共和両党の価値観を示すものであるようだ。
 
両候補の出自を見ればそれは対照的である。 裕福で何不自由なく育ちアイヴィーリーグの大学を卒業し資本家の策を積極的に推し進め産業利潤を上げ州知事となった保守的なキリスト教の価値観をもつロムニー候補と今までの大統領になかったような多民族、文化、宗教観を自らの出自にからめて在学時代、弁護士時代を通じて社会問題に直接対応してきて大統領となった人物の社会福祉、教育に投資することで国力を回復しようとするオバマ現大統領には今回の討論の議題である外交と安全保障についてはロムニー候補が共和党路線の強硬策をもって中東での現政府の対応策を衝けば優勢に立てそうなのは予想できていた。 けれどそこでも防衛予算にからんでオバマ大統領は財政難のもとでの防衛力の合理化を例を挙げて統合参謀長として現代戦略を説きロム二ー候補の提案を時代遅れのものとして一蹴しブッシュ時代を旧弊なものと印象付けたように見えた。 世界における米国の役割、アフガニスタン戦争、イスラエルとイラン、変化する中東情勢、テロリズム、中国の台頭などという議題の中で日本という言葉が出たのはただ一度だけ、中国を意識してアメリカの太平洋地域のパートナーとして重要であると述べたのみの発言で、これを現在の日中間の領土問題にからめて中国をけん制したものと受け取るには難があるようだ。中国の台頭と特に項目を設けて論題にするもののそこでは特に新しい具体策がでてきたとも思えないが、そのことが他の安全保障分野ではロシアやイラクなどを敵国としてひとまとめにしてこわもてに扱うロドニー候補も中国はそうとはしないことからここでは両者ともまだ現在進行中のこととして特に触れない態度であるようにも見受けられる。 この態度こそが中国の台頭ということが近い将来には重要課題となるを物語っているようだ。

興味があったのはロム二ーの企業家として自己の実績を過去の共和党ブッシュ親子、チェイニー路線のオイル関連でロム二ー候補は中国に投資しそれが中国に利し、自国の雇用や職の機会をマイナスにするものとオバマ大統領に指摘されていたことだ。 これに対する反論はなかった。 だから防衛費削減についてのロム二ー候補の稚拙な追求が逆に取って返され今ではもう使い物にならない戦略だと切って棄てられ我々の記憶にまだ新しいチェイニー、ラムズフェルドに戻るのかと共和党失政の戒めに釘を刺す指摘からしてそれぞれの議論では現大統領のほうがより広い視野と具体例をもって全体的にロム二ー候補に勝ったとの印象が強かった。

テレビ討論の「印象」で気付いたことをいう。 これにはケネディーとニクソンのテレビ討論がよく引き合いに出される。論の内容はともかくもテレビに映った「見栄え」が国民の支持を大きく左右したというのだ。 若いケネディーに対してテレビライトが暑いのかしきりに汗を拭きテレビ写りはけネディーに劣るニクソン、ここから若く攻めるケネディー、防戦一方、疲れ気味のニクソンという印象が当時勃興のテレビという視覚に訴えることの強いメディアを通して勝敗を分けたというのだ。 第二回目は未見であるからその印象は確かではないものの、第一回目のオバマ大統領の言い澱みと時には不安定に見える視線の動き、ロム二ーの攻撃に戸惑いを見せたように映ったものが第三回目ではそれが大統領としての安定した眼差しでロム二ーを見据えて語る画像が印象として残った。 逆にロム二ー候補には焦り気味にもみえる顔のテカリとイギリス前首相のトニー・ブレアにみられた「にやけ」ぎみの半笑顔の兆しがあっってそれが自信のなさに見えないこともないように映ったことも確かだ。

秋の夜中に異国の大統領選の討論会を別の異国で観るという体験をして、それがどうなのか、ということにも想いが行くけれど、世界の情勢を左右する国の選挙結果は直接でなくとも間接的には影響があることは確かであるから、現在進行中の極東の島国での瑣末で稚拙な解散選挙を巡る論議をめぐるニュースに絡めてその口直しの意味でもため息をつきつつ、一級政治家の言動をメディアで覗くことにしたのだと思う。 自分の住むオランダでは先日の選挙で首相をいただく保守党と盛り返した労働党の連立内閣が今までの例とは違い速いスピードでこの二週間ほどの間に成立するだろうと観測されている。 福祉、教育などの分野で与党が後退し、その結果我が家でも学費負担分30万円ほどの無駄金を払わずに済むこととなり、ここでも選挙の結果が個人に直接に影響することの例をみている。 

自立した国の政府はその国民が作る、というのだが国民の質というのはどのように形作られるのか、そこにより興味が行く。

秋日和

2012年10月23日 06時13分09秒 | 日常

昨日、一昨日と鬱陶しく曇り、時には細かいものが降る日はどこに行ったのかというような今日の陽気だった。 これが一昨日、昨日と予想されていたものなのだが気圧の動きが予想より遅かったのだな、というのが昼前に起き出した者の感想だった。 セントラルヒーティングにスイッチが入らずとも17度の外気プラス日光に暖められて室温は20度まで登るのだから外気が生ぬるく感じられるのは当たり前だ。

 家の前の緑地の立ち木はこれまで紅葉し黄色く変わっていた木々の葉が陽射しの中で輝いている。 この天気がこのまま数日は続けばいいと期待するものの昨日一昨日と同様、そこを歩いたグロニンゲンは同じくまだ雲に覆われ太陽が顔を見せることはないだろうと8時のニュースの予報官は言い、自分の住むオランダ西部は晴れ間は見えるものの今日ほどではないとノタマっていた。

そろそろ自宅の裏庭に積もりつつある枯葉の整理をしなければならないのだが、その作業はこのような陽射しの下でするのなら問題はないのだが、、、、、、、。