日曜日だった、といっても日常とほとんど変りはない。
昨日は久しぶりに子供二人と86歳になる姑が集まって自宅で食事をした。 自分が食事当番だったので5人分作らなければならず生涯オランダ食だけで過ごしてきた姑には寿司は別として和食には慣れていないしこの半年ほどでバタバタと姉たちと弟を亡くして気も体も弱っていることもあってここは無難に昔からのオランダの農家で喰うものにしたのだけれど一つだけステーキ肉を和牛風のものにした。 ここ10年ほど欧米では和牛風の脂肪が肉にうまく散らばっているステーキ肉が飼育され始めていてそれが近郷の村で飼われているのでその肉が近所の肉屋に入る。 それまでもう何年も赤身に比較的脂肪分を含んだステーキ肉を薄く削いでもらって鍋にしていたのだがこの肉は和牛とかわらない。 欧米では肉屋にはカルパッチョの肉は別として日本のように肉の薄切りは店頭に並んでいない。 そのステーキ用を5人分買ったら1kg弱になっていた。 その肉を姑は今まで食べたことのないほど柔らかくて旨いと言い、150gほど平らげて後は孫に廻したけれど皆その食欲を見て喜んだ。
姑は孫たちの話を聴き昔酪農農家で暮らした自分達の若いときのことを語り他はそれぞれの旅行の話をした。 それにしても姑はこの7年ほど病を得てその変りようは30年前に初めて会ったときからするとまるで別人になったように痩せてしまい、それでもそれが結局長生きするにはよかったようでもある。 余命3年と言われてからもう7年保っている。 だからこういうことがあと何回出来るかというような砂時計を感じながらの時間でもあることには曰く言いがたいものがある。
誰でも死ぬというのは確かだし人は往々にしてそれを忘れがちでその蓋然性が高くなる年齢になるとそれを想わないずにはいられず、そうなると周りで知人たちが逝くようになると次は、、、、、と無意識にそれを数えるようになるようで、それが鬱陶しく辛気臭いと感じその想いを払うにしてもまだ若さが幾分かあればそれに抵抗の気も起こるのだが90前後になると「お迎え」を待つような気分にもなるというのをあちこちで聞く。 10日ほど前自分にはオランダ最後の叔父の葬式に姑の腕を取って参列し晴れた青空の下で最後の埋葬の折、牧師はスピーチの中で叔父は祝福されて天国に召されたと常套句を口にしたのだがそれが「お迎え」ということなのだろう。 けれどそれでも遺族、親族には必ずしも嬉しいものではないのだからそういう風に収めないと収まりきれない人の心に対する慰めとして受け取るべきだと納得させた。
息子がインターネットで見つけた赤ワインを試してそのまま壜を半分ほど飲んでいたから自分は姑を彼女が住む居介護施設に送っていけず、そこで息子と娘が申し出て彼らの祖母を送って行くこととなったのだがその車の中では、まだ四方山話が続いていたことだろう。
今日は昼を周って起き出した。 といってもとりわけすることもなく誰もいない家から自転車を出して町に出掛けた。 今、世間ではそろそろバカンスに入る時期にあたってこれが7月の中頃になればもう人はあちこちに散らばるから人を集めるのは今だというのだろうかいろいろな催し物が行われている。 それに日曜でもあり大通りでは蚤の市、大きな駐車場では地元バンドのコンサートということになっていた。 眺めてみても取り立てて興味を惹くものでもなくいつものスーパーに入り二つ三つ買い物をして帰宅した。
その後、家人と夕食を摂っていると近所からは物音もせず表は車も通らないからサッカーでオランダがやっているのかと想像した。 そういえば町に出掛けたときに大人から子供までオレンジ色の格好をしているのが目に付いていたからそう思ったのであって、そうだとすると大抵一つ目の試合時間は6時前からで、そうだとするとそれではもう後半に入っているはずなのに近所から何の歓声も聞こえて来なかったのはオランダ劣勢なのだろうと思って食事を終え、8時のニュースの前にテレビを点けると案の定 メキシコーオランダ 1-0だった。 あと10分ほどで終わるのかと思い、それならああ、また負けるのだなと思ってみていると得点があり庭仕事をしていた家人が窓をノックして笑っていた。 サッカーを見ていなくとも自国のチームが得点すれば隣近所のどよめき、歓声でそれが分かるのだ。 そうしているうちにと8時のニュースの前に試合がどんでん返のようにしてオランダが勝っていた。 まだ暮れるまで時間のある明るい空でそれが上がっても見えるわけでもないのにに幾つか花火が上がっているのが聞こえた。 明日のフィトネス・ジムの老人クラスでは先週に続きまたサッカーにちなんだメニューになるのだろう。
涼しく快晴ではないけれど少々薄暗くはなっていても10時45分の西空はまだ充分明るかった。