Rosario Giuliani (as ss) Sun. 26 February, 2006
Jean-Michel Pilc (Steinway mid) at BIM Huis, Amsterdam
夜の1時を廻って自分の町の駅を出ると歩道が濡れている。 自転車置き場に向かうと薄っすら雪が残っていた。 その1時間ほど前にいつもの600m、ビムハウスからアムステルダム中央駅に向かう港沿いの道ではその気配がなかったのに、雪だとは。
帰りの電車の中でこの日ライブで初めて聴いたこのピアニストのソロCDを聴いた。
Jean-Michel PILC / Follow me / Dec. 1 & 2, 2003 / Dreyfus FDM 366665-2
この夜の初めのセットが終わってホール内のCDコーナーの店頭に並んだ二人のCDのうち何枚かあるPilc のCDの中で、この自作とスタンダードがうまく混ざったこのソロCDを選んだのは第一セットでのアルト・サックスとのデュオでピアノの足回り、意匠、ウイット、領界を自由に動き回る具象と抽象のピアノの妙を目の前で見聴きし、それではソロではこれらのスタンダードをどう料理しているかに興味をもったからだ。 一度だけしか聴いていない印象でしかないがCDに納められたスタンダードの解釈、技術には関心を呼ぶものの、ライブで自由で溌剌とした、時にはピアノが総合楽器であることをみせつけられるような協演というより競演で押し出すのを聴いたあとでは現在展開しているこのピアニストの今に興味が行く。
アルト、ソプラノのジウリアーニには去年の9月25日に彼のカルテットをロッテルダムのジャズ・フェスティバルで聴いてその折、2枚のCDも購入していたしその日のプログラムではP.キング、ミシャ・メンゲルブルグの後、若手のバックをリードしながら元気なステージを見せ、おまけにアンコールを2回、それも終電車に遅れまいと帰る客が去ったあとも会場に残った若い聴衆を段のついたステージの周りに集めイタリア的サービスを女性に振りかけて、演奏の後も何人ものファンに囲まれていたのが印象的だったが、さすがヨーロッパ共同体のジャズ大賞を取っただけあって小気味よい吹き振りだった。その折に買った彼のリーダーアルバムの2枚をまた持ってきていた。
Rosario Giuliani / Mr. Dodo / 2002 / Dreyfus FDM 36636-2
“ ”/ More Than Ever / 12,13,14 April, 2004 / Dreifus FDM36669-2
さて、横道にそれた。 この日のコンサート
演目
第一セット
Mr. R.G. (J.P. Pilc)
Suite to Sweet
Lenny Pennis
My Angel (R.G.)
Blanco E Nero
ここまで書いて迂闊なことだと気づいた。 この日の幕開けの曲、出だしの調子がいいMr.R.G.はPilcの作、アルト奏者のイニシャルで、ジウリアー二2004年のアルバムに納められている。 去年ロッテルダムでこれを買って帰りの電車の中で聴いてつい先ほど聴いたこれも上手ではあるがタイナー、エヴァンスを主体としたその時のピアニストにくらべその新鮮さに魅かれた印象があったが迂闊にも名前を見落としていた、Pilcだったのだ。
軽快なテンポのウッズ調とも聴こえるテーマで始まり、誰が聴いても文句のないこの40年ほどのサックスの歴史を趣味よく披露するバックでうまく不協和音のブレンドよろしくサポートし、自分のソロになるとフリーに導き、ひとくさり徐々にリズムの早いスピードで音を平らに均しタイナーを越えて音階、モードを解体しC.テイラー調に行こうかという抑制の効いたピアノである。 ただし、これはライブでの話でCDの4分23秒ではそれは臭いだけかもしれない。 それが鰻屋の臭いで実際に喰えばどういう味がするかはそれは生もの、各自ライブで確かめることであろう。
この日は300席ほどのホールが半分以下の入りであり、普通に比べて若い30代を中心にした聴衆であったようだ。 だらだらに下に向かって6,7列ほどある客席の最前列中央、座席の床から10cmほどしか落差のないステージは持ってきたコーヒーカップを置くのに丁度よい高さだ。 アルト奏者まで1メートルと少しの距離では息遣いやいきむ音、リードの細かいヒスまでが心地よく聴かれ、五ヶ月前の大きなホールでの演奏の折にはフレーズが一本調子に時には荒さとも聴こえて終わりがちだったものがこの日は気合の入った丁寧さで進む。 様々なスタイル、音色を緩急自在に披露する演奏である。
第二セット
London by Night(R.G.)
Invitation (J. Coltrane)
Golded Qui (J.P.Pilc)
Isabele (M. Petrucciani)
ここまで書いてきてBGMにこのソロピアノに収められた My favourate Things を聴きながら書いているのだが、この日の奔放で自由な二人で軽快に音の領域を探るような音から趣を変え陰影の効いた演奏であるが、これで思い出したのがマーク・コプランドの名盤 Haunted Heart & Other Ballands / Hatology581 で、これと比べると面白いだろう。ここではコプランドは何曲目か毎にこの曲を挿入し4つか5つの変奏を示している。 多分、これを既に聴いているだろうPilcはコプランドに対比されるべく論じられていい。
それで、Pilc のHP http://www.jmpilc.com/index.php を覗いてみると上記Mr.R.G.とモンクのJackie-ing/Misterioso のデモ画像(live in Vienne on June 29, 2005)があった。 2つで8分余り、嬉しかったのは二点、この会場は何年か前、家族でバカンスの折、この近くの村で2週間ほど滞在したのだが、フランス、リヨンの南、50キロほどの町 Vienne でたまたまローマの遺跡を見物しに一日遊んだのがこの画面に見えるローマ時代の円形劇場が印象的だったことだ。 丁度、ここに見える何年か前のフェステイバルが終わったところで残念な思いをしながらまばらな訪問者に混じって舞台に上っては声を出して遠く石積みの客席にいる家族にその音響効果を尋ね驚くべき音の通りぐあいに、遠く古代の楽劇の様子に思いを馳せたこと。 もう一つは去年のバカンスの終わりにベルギーのアルデナ地方のジャズ・フェスの際、イギリスのJulian Joseph 4 で素晴らしいドラミングを聴かせた Mark Mondesir と共演していることだ。 ドラミングの現在に於いては最良の部類であるのはこの映像のモンクを演奏するところで覗える。
アンコール
Homo (M. Petrucciani)
スタンディングオベーションでこの日のプログラムを終えてから彼らの控え室で話をしていてもこの前と様子が違う。 この前には若いグルーピーかとも思える連中が取り巻き華やかだったのに来たのはプレスの写真家が一人、いつものサイン帖に記帳してもらうべく挨拶に来ただけで寂しいことだ。 そのことをGiulianiに言うと、こいつはもう女の子より男に乗り換えたからあんたみたいなのが来るんだ、とPilcが混ぜ返す。 イタリアらしい軽いセクハラ・ジョークだ。 去年のカルテットと今回の深まった演奏を言うと、それは気心のあった二人旅だからともいうし弾力的な曲の構成にも由るとの事、前日はバンクーバー、今日アムステルダム、明日はパリの二人旅、女の子とゆっくりする暇もないとの軽口がPilcからでたが、がらんとした控え室の扉の外で我々に気遣ってタバコを燻らすGiulianiがあははと笑う。 Pilcに学歴を尋ねると、そんな高い授業料をイタリアで払える環境になかったし、学院には行かず自前だという。 しかし、読譜は、、、ああ、8つから10ぐらいまでレッスンに行かされ鍛えられてそれから後は、、、、別段、、、という返事。 でもクラシックやってるじゃないか、いや、新しいところ、印象派はひととおりやるけど、ベートーベンやってたかい、といなされるが、見事なまでのクラシックからジャズピアノの歴史を渉猟する源は雑食だという。 ファッツ・ドミノがお気に入りらしいが、、、、。