鬱陶しい秋に周りでまた二つの死が通過した。
一人はもう大分会わなかった同僚でもう一人は友人家族の縁組で友人たちの兄弟になる人だった。
オランダ人の同僚は付かず離れずの付き合いで、知り合ってから25年になる。 法律の専門家で日本語も少し話す人だった。 生涯独身で文学・芸術に造詣があり酒をこよなく愛し、それは時には心の襞に忍び込む孤独を癒すための薬ではないかと思うこともあったけれどその心の奥までは入り込むほどの間柄でもなく数年前に定年退職してからは時々町で挨拶を交わす程度だった。 寒冷のオランダに嫌気がさしたのかイタリアやギリシャの文化・風土を好み亡くなったのがその人が愛したミコノス島だった。 葬儀に参列した知人からはまだ様子を聞いていないけれどこの前会った時のことを思い出すと肺か肝臓障害だったのではないかと思う。
高校の同級生二人の家族の間で縁談が纏まり来月婚礼があると聞いていた矢先に新婦の父親が亡くなった。 縁談がまとまったと聞いたのは正月に帰省したときに集まった同級生が経営するサンドイッチパーラーだった。 新婦は別の同級生の嫁の姉だと聞いて、この歳になって高校の同級生どうしが親戚になるという目出度い話を聞いて嬉しかった。 気のよさそうに見える新郎にそのときお祝いを言ったけれど新婦にはまだ会ったことがない。 他人だから別段新婦に会う筋合いもないのだが人と人の繋がりを想うと不思議な気がする。
新婦の父親は長らく肺を患っていたと聞く。 我々の歳であれば今の時世早死、若死の部類に入るだろう。 しかし人は死ぬ。 友人二人は通夜の行き帰りに十三夜の月を一緒に眺めたらしい。 その胸に去来するものは何だったのだろうか。
鬱陶しい秋の色が消えた庭に沢山赤い実のなる棘のある垣根の枝を折って色を添えようと鬱陶しい庭のテーブルの上に置いてある。 今、それが周りの灰色に対抗するように赤と緑を放っている。 果たしてこの植物の花言葉、縁起がどうだか知らないけれどこれを通過する死に手向けたいと思う。