暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

秋が深まって、、、人の死を想う

2013年10月18日 02時58分25秒 | 日常

鬱陶しい秋に周りでまた二つの死が通過した。 

一人はもう大分会わなかった同僚でもう一人は友人家族の縁組で友人たちの兄弟になる人だった。 

オランダ人の同僚は付かず離れずの付き合いで、知り合ってから25年になる。 法律の専門家で日本語も少し話す人だった。 生涯独身で文学・芸術に造詣があり酒をこよなく愛し、それは時には心の襞に忍び込む孤独を癒すための薬ではないかと思うこともあったけれどその心の奥までは入り込むほどの間柄でもなく数年前に定年退職してからは時々町で挨拶を交わす程度だった。 寒冷のオランダに嫌気がさしたのかイタリアやギリシャの文化・風土を好み亡くなったのがその人が愛したミコノス島だった。 葬儀に参列した知人からはまだ様子を聞いていないけれどこの前会った時のことを思い出すと肺か肝臓障害だったのではないかと思う。

高校の同級生二人の家族の間で縁談が纏まり来月婚礼があると聞いていた矢先に新婦の父親が亡くなった。 縁談がまとまったと聞いたのは正月に帰省したときに集まった同級生が経営するサンドイッチパーラーだった。 新婦は別の同級生の嫁の姉だと聞いて、この歳になって高校の同級生どうしが親戚になるという目出度い話を聞いて嬉しかった。 気のよさそうに見える新郎にそのときお祝いを言ったけれど新婦にはまだ会ったことがない。 他人だから別段新婦に会う筋合いもないのだが人と人の繋がりを想うと不思議な気がする。

新婦の父親は長らく肺を患っていたと聞く。 我々の歳であれば今の時世早死、若死の部類に入るだろう。 しかし人は死ぬ。 友人二人は通夜の行き帰りに十三夜の月を一緒に眺めたらしい。 その胸に去来するものは何だったのだろうか。

鬱陶しい秋の色が消えた庭に沢山赤い実のなる棘のある垣根の枝を折って色を添えようと鬱陶しい庭のテーブルの上に置いてある。 今、それが周りの灰色に対抗するように赤と緑を放っている。 果たしてこの植物の花言葉、縁起がどうだか知らないけれどこれを通過する死に手向けたいと思う。
 

追いつめられて  (1987);観た映画、Oct. '13

2013年10月17日 00時16分30秒 | 日常

邦題;  追いつめられて   (1987)
原題;  NO WAY OUT

114分

監督:  ロジャー・ドナルドソン
原作:  ケネス・フィアリング
脚本:  ロバート・ガーランド
撮影:  ジョン・オルコット
音楽:  モーリス・ジャール
出演:
ケヴィン・コスナー
ジーン・ハックマン
ショーン・ヤング
ウィル・パットン
ハワード・ダフ
ジョージ・ズンザ
ジェイソン・バーナード
イマン
フレッド・ダルトン・トンプソン
デヴィッド・ペイマー
レオン・ラッサム
ジョン・ダキーノ

主人公の連絡将校と恋におちた女が殺された。彼女が国防長官の愛人だったために事件の捜査を任された将校は、次々に出てくる物的証拠が全て自分を犯人として指し示す物である事を知る……。容疑者に仕立てられた本人が自分を捜索するというプロットがユニークな作品だが、これは舞台が雑誌社だった'48年の「大時計」をリメイクしたもの。国防省に舞台を変え、軍事スリラーの要素を盛り込んだのは正解だったようだ。

ある日、国防長官ブライスの就任パーティーに招かれた海軍将校のトムは、そこでスーザンという美しい女性と出会い恋に落ちる。やがて、国防長官の部下となったトムは、スーザンの部屋で愛し合っていたところ突然ブライスの訪問を受け、身を隠す。実はスーザンはブライスの愛人だったのだ。しかし、トムの存在に感づいたブライスは嫉妬に狂った末、スーザンを殺害してしまう。そして秘書のプリチャードへ処理を託し、殺人事件としてトムがその捜査を任されることに。ところが、出てくる証拠の数々は全てトムが犯人であることを指し示していた。こうして窮地に立たされていくトムだったが…。

上が映画データーベースの記述である。  平日の深夜、イギリスBBCテレビの深夜映画として観た。 実際本作を観たのは初めてではない。 本作はコスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブズ (1990)」を観たときにああ、これは前に観た、、と思った記憶があるからで、その後テレビで野球ファンタジーの「フィールド・オブ・ドリームス (1989)」を観たのがコスナーを観た順番だったと思う。 それから大分して子供のころ白黒の「アンタッチャブル」シリーズで見ていたロバート・スタック演じるFBIのエリオット・ネスのをコスナーが「アンタッチャブル(1987)」で演じ、その時デ・ニーロの演技と死ぬショーン・コネリーに衝撃を受けたのだった。 コスナーには本作で新鮮な印象を受けたからその後の作には比較的落ち着いて見られたのであったし、本作のプロットと相俟って佳作と印象付けられたのだった。

それにしても本作が出来てから四半世紀以上経っている。 タイトル画面のワシントンの議事堂、記念館にカメラが動いてペンタゴンの駐車場、ペンタゴンの建物を俯瞰しながら閑静な森に囲まれた住宅で始まって終わるという、この物語を追ったあとでは手に汗握る成り行きがそこで起こっていたのだという後付ができて面白い。 そして9・11ではそのペンタゴンの建物にハイジャックされた飛行機が突っ込んでいるのも既知のことであり、本作ではまだそれもない東西冷戦の時でありテレビや映画には中東のテロリストの欠片もなかったころだ。 特に興味深かったのはペンタゴンのコンピューターのシステムであり、そこ置いてあったペラペラの3Mのフロッピーディスクの箱、モニターの形、プリンターから流れてくるプリントアウトのデータ、多分同時の最新機種だったのだろうが今となってはIBMコンピューターの緑のモニターに微笑がでる懐かしさだ。

こういう作ではバイプレーヤーが重要で本作ではそれに当たるのがウィル・パットンだ。 当時のジョン・マルコヴィッチが演じても不思議ではないような役なのだが想像上で両者を比べてみてもここではパットンに軍配が上がるように感じる。 だからこれ以後パットンがでるような映画がテレビでかかっているとできるだけ見る様にしているのだが近年のものは別として当時ではこれに勝る作はない。 

我々の前には麻薬捜索刑事のポパイとして独特の風貌をもつジーン・ハックマンが悪役を演じるようになったのは何時ごろからなのだろうか。 クリント・イーストウッドの「許されざる者 (1992)」では悪徳保安官を演じているものの本作と状況が類似した役で本作の10年後にイーストウッドの「目撃(1997)」を観たときにはすぐさま本作を思い出したものだ。 ハックマンと似たような登場のしかたで近年悪役に風格が出てきているのはジョン・ヴォイトだ。 70年代に我々の前に「真夜中のカウボーイ(1969)」で登場し、その後「帰郷(1978)」やスタローンのロッキーとは一味違った「チャンプ (1979)」を経験した後には黒澤明が原案らしい「暴走機関車(1985)」ではしっかりした悪がみられるようになりその後は「エネミー・オブ・アメリカ(1998)」でウィル・スミスを助けるハックマンと競演するようなヴォイトの悪の形がハックマンの悪の定型に比べうるように定着しているようだ。 いずれにせよこのような俳優が老いていくにつれて更に見せる深みが優れた作品に出会ったときには我々の記憶に更に彼らの過去をその作品とともに懐かしく思い出させるものとなる。

今オランダではロシアとちょっとした外交問題でもめている。 数日前日本大使館の近くにあるロシア大使館の前を通ったらその何日か前まで報道陣が待機していたものがもう消えていた。 もとはといえば泥酔したロシアの高官を警官がハーグで逮捕したことでロシアは外交官特権の侵害だと抗議し北極海で抗議活動をしているオランダのグリーンピースのメンバーを拿捕したことに一層圧力をかけている折、それに沿うかのように駐モスクワのオランダ外交官の住居にシークレット・エージェントが侵入し盗撮、盗聴器を設置したことが発覚、11月にオランダ国王のロシア訪問に影を落としているのが現在の様子なのだが、実際のこのようなB級映画並、アマチュア仕事のような現実の推移を眺めていると本作のようなプロットがより現実を映しているようにも見えてくるから面白い。 尚その泥酔した外交官の妻ももう何度も飲酒運転で捕まっているらしいからこちらのほうが映画より漫画的である。 

秋の長雨がしょぼしょぼと、、、

2013年10月15日 22時08分01秒 | 日常

この数日雨がよく降る。 オランダの秋は日本とは少々違い、雨がよく降って気持ちのいい秋日和というのはほんの一握りしかなく、ほとんど人は秋と聞くと、ああ、また雨が降って灰色の季節が来る、冬の前触れだ、と言う風にうけとるだろうし、実際天気もそのようになる。 

この何日か雨が降って外に出るのがおっくうになり買い物にも出かける気にもならなくてうちにあるもので夕食を済ますことが多い。 夕方日本のニュースをインターネットで見ていたら台風のニュースでかなりの風雨が荒れているような画像が見えていたのだが、そのとき同時にこちらでも日頃にないような大粒で激しい雨が屋根と窓を打つ音が聞こえていた。 実際、ゼーランド州と我が家のある南ホランド州では雨量がこの2日ほどで普段の10月で1ヶ月に降る量の1.5倍を記録し、床上浸水のところが続出、農作物が水に浸かって大きな被害を受けたというようなニュースもある。 うちのあたりはかろうじて海面よりは上にあるからその心配はないもののオランダは海面下の土地が多いのでこういうこともなくはない。 けれど一度にどっと降る様なことはないので対応に困っている。 それに海面下ではなくとも一時的にどっと降雨があると下水道があふれて逆流するというケースも多いから油断はできないけれどこの20年以上の経験では我々の住んでいる地区ではそんなこともなく問題がなかったから少しは安心してコーヒーのカップを手にニュース画面に見入っている。 

夜に車で外に出ることがあって偶々雨が止んだ空を見上げると雲間から丸い月が覗いていた。 この前見たのは鋭い三日月だったからもう一週間ほど前になるのだろう。 気温も下がり11℃ほどになっていて夜間は家の中をセントラルヒーティングを本格的に稼動させ19℃にしているのだけれどそれでも冬の寒さというのではないけれど徐々に足元に寒さが忍び寄ってきているのを感じる。

また通風が出て治まり、その後フィットネスに行った

2013年10月15日 03時27分15秒 | 健康


2週間ほど前に右足の甲に通風の痛みが出て錠剤を一錠服用してなんとか治まった、と書いた。 けれど一昨日また痛みが右足の踝に出たのでまた一錠飲み3時間経ったら痛みが消えた。 2週間前の治まり方が何か一錠では駄目でもう一錠かなと思っていると消えると言う風にすっきりしない痛みの消え方だったのでまた2週間ほど経って出たのかと思った。 症状の出方の周期が初めの半年ごとから3ヶ月、そして2週間とあまり芳しくないものとなってこれがこのままパターンになるのかどうか気になるところではある。

それはそれとして脚の別の痛みが消えたので一ヶ月ぶりにフィットネスのクラスに出かけた。 途中でもしまた痛み出すようだったら止めるかその運動をパスするかとも思っていたのだが幸いなことにそうにはならず全ての運動をこなした。 ただ腹筋運動の折、坐って両脚を伸ばし床から30cmほど上げて尻でバランスをとって何秒間か支える腹筋運動では痛みではないけれど痺れのようなものを右脚の芯のところに少し感じた。 それだけで跡に残るものでもなく後の運動には影響はなかった。 

気温が下がってきたから鍋にした

2013年10月13日 22時49分20秒 | 喰う




車を運転していて室温を18℃にずっと設定してある。 一ヶ月ほど前まではスタートさせると殆んどすぐにクーラーが入りそのうち止んだ。 このごろはそれもなかったのだが二日ほど前に乗ると外気11℃と表示に出てすぐに暖かい空気が流れてきた。 この車を買ったのが3月の終わりごろで一昨日この車では初めて暖房が入ったのを経験したのだった。 温度が徐々に下がっている。 

土曜のマーケットに行って何も思いつかなかったので沢山続く八百屋の店先を眺めていて白菜と大根が目に入り、気温が下がってきているから鍋にしようと思った。

それにヒラタケとニンジンを買い、中国食材店で豆腐を買った。 木綿豆腐に比べて中国のものは固いので鍋にしても形がこわれない。 出汁用の昆布、冷凍の魚肉ボールもポン酢と七味とうがらしの壜もバスケットに入れた。 豚の背肉が今日のメインになった。 土曜日は今までは家族四人が揃って食事する日だったが子供たちもそれぞれ忙しく、家に来ることも少なくなって今日も夫婦二人だけの夕食だった。 

バカンス ’13 (2) ミュンヘン第一日

2013年10月12日 23時30分51秒 | 日常


我々のキャンプ地であるチロルの村までオランダから車で1000km走るとすると途中で少なくとも一泊はしなければならなくなる勘定なのだがそんなに急ぐこともなく、だから適当なところで「バカンス慣れ」のために去年はベルギーのゲントまで迂回して2日ほどすごすようなこともしてチロルに行った。 そのとき一日自転車を借りて丁度町中を美術館にして見せる催し物もあったのでそれを見て廻ることもした。 知らない街を見て廻るには自転車が都合がいい。 駐車場のことを気にすることもないし、気軽にどこでも酒が飲める。  

ことしもその態で一日だけだがミュンヘンを自転車で廻ることにして二泊したのだが、その宿泊場所が市営キャンプ場だった。 市の南の端にあり動物園が近くにある。 まだ子供たちが小学校に行っているとき、もう十年以上前になるのだが、国際会議とバカンスを兼ねてウイーンからオーストリアのカリンチア地方の田舎に借りたうちで10日ほど過ごしたことがあった。 オランダからこの前廃車にした車で出かけその時に初めてミュンヘンに来たのだった。 小さな子供たち連れでバタバタと通過したのだが自分のための息抜きで他の家族と別々に一人、ミュンヘンの美術館、アルテ・ピナコテークを訪れてルーベンス、レンブラント、デューラーなどを観た。 その建物の入り口の階段が印象的だったこと、泊った大きなユースホステルの病棟のような二段ベッドが続く大部屋の印象、ばたばたと家族で地下鉄に乗って移動したことぐらいしか記憶にのこっていない。 観光と言えば昼飯は家族で市役所の食堂で肉の煮たものとジャガイモのつぶしたものを喰い、そのあと近くのマーケットでばかでかい瓜の酢漬けでビールを飲んだことぐらいで今回再度そこを訪れてみたいと思ったけれどここはだたの通過地点でもあり、ちゃんとしたドイツの地図を持ってこなかったので結局市役所の広場やマーケットは再訪できなかった。

今グーグルマップスで見ると今回自転車で廻ったところから通りを一つずれていれば市役所にもマーケットがあったのに残念なことだったのだが、それでもそれはそれとして一日ミュンヘンを楽しく観光した。 ミュンヘンに到着しノロノロと市内を牽引車を引っ張ってキャンプ場を探しながら4時を廻ってその入り口に来ればサラエボから格安チケットで飛んできた娘が待っていた。 チェックインして開いた場所を探してテントを設営したらもう大分いい時間になっており歩いて近くの地下鉄の駅に向かい市の中心地と思しきオデオン駅で降りた。 上にでると広場があり、そこではライブバンドがビル・ウィザーズの Just Two Of Us をやっていた。 もう9時を廻っていて市内はそろそろ薄暗くなり夕闇になる前のそらの青が美しかった。 Theatiner教会の前には観光客がたくさんぶらぶらと歩いていた。 その角から Brienner Straße を歩いているとライカのショールームがあり何か面白いものがあるかもしれないと思い次の日に来て寄る事にした。

目的も方向もわからず四人でただぶらぶらと歩いていてビルの間にイタリア・レストランがあったのでそこで食事にし、そのあと大きな公園を散策しつつ抜け、ミュンヘン中央駅に向かった。 もう10時を大分廻っており喉も渇いたので駅の構内でアイスクリームでも喰おうと探したがどこも店仕舞いの最中だった。 それにしても昔のおおきな駅舎はどこも現代風に改造されてショッピングモールのようになっている。 駅舎の傍の繁華な通りを行くとアイスクリーム屋があってそこで皆それぞれ二つ三つ丸い玉をコーンにのせたものを頬張り地下鉄に乗りキャンプ場に戻ってきたらもう11時を廻っており早々にテントの寝床に入った。

ジョナ・ヘックス  <未> (2010);観た映画、 Oct. '13

2013年10月12日 04時08分04秒 | 見る


原題;  JONAH HEX
邦題;  ジョナ・ヘックス 傷を持つ復讐者(WOWOW)

81分

監督:  ジミー・ヘイワード
原作:  ジョン・アルバノ(作)、 トニー・デズニーガ (イラスト)
原案:  ウィリアム・ファーマー 、ネヴェルダイン(ネヴェルダイン&テイラー)、テイラー(ネヴェルダイン&テイラー)
脚本:  ネヴェルダイン(ネヴェルダイン&テイラー)、テイラー(ネヴェルダイン&テイラー)

出演:
ジョシュ・ブローリン      ジョナ・ヘックス
ジョン・マルコヴィッチ     クエンティン・ターンブル
ミーガン・フォックス      ライラ
マイケル・ファスベンダー    バーク
ウィル・アーネット       グラス
マイケル・シャノン       クロス・ウィリアムズ
ジョン・ギャラガー・Jr     エヴァン
トム・ウォパット        スローカム
ウェス・ベントリー       アデルマン・ラスク
ジュリア・ジョーンズ      キャシー
リオ・ハックフォード       グレイデン・ナッシュ
エイダン・クイン         グラント大統領
ルーク・ジェームズ・フライシュマン  トラヴィス
デヴィッド・ジェンセン       ターンブルの部下
ジェフリー・ディーン・モーガン    ジェブ・ターンブル

DCコミックのグラフィック・ノベルを実写映画化、家族を殺され復讐の鬼と化し、死者と語れる賞金稼ぎとなった男が巨大な陰謀を企む仇敵へ立ち向かう異色ウエスタン。

南北戦争で活躍するも仲間を裏切ったジョナ・ヘックスはターンブル将軍に捕らわれ、目の前で妻子を殺された上、顔に刻印を焼き付けられる。その後、死人と話せる能力を身につけたヘックスは復讐に転じ、ターンブルは自ら命を絶った。しかし、賞金稼ぎとして放浪していたヘックスは、ターンブルが生きており、国家を揺るがす陰謀を企んでいることを知る。今度こそ復讐を果たし、陰謀を食い止めようと立ち上がるヘックスだが…。

上が映画データベースの記述である。  夜中前の時間をつぶすのに本作を観たのは西部劇であるのとジョン・マルコヴィッチがでていたからだ。 現代の悪であるドラッグとテロリスト退治の物語が娯楽を提供するテレビで猖獗を極めている中で我々が子供の頃白黒画面でみた西部劇を観たいと思ってもなかなか良質の西部劇が作られない状況下の本作、どうせマルコヴィッチの余興的出演だろう、飽きたら消せばいいとソファーに沈み込んだら導入部とタイトルが出て、ちょっと待てよ、このコミックデザインの振り割りのタイトル部は、いつか古書店で買った西部劇のコミックではなかったか、そういえばその名前もうろ覚えだが屋根裏部屋のどこかにまだ一部か二部あるはずだと思い、よく主人公の顔を見ていたらそのコミックの主人公に似てもいなくはなく、しかしこの俳優、どこかで観た事があるような顔だったので思い出そうとしてもなかなか出てこない。 

悪役だったかもしれず、それともバイクのギャングの首領だったかトラック野郎だったもしれず、けれどそれはそれとして見始めたら画面が今風で悪くない。 映画データベースによると西部劇の秀作「トゥルー・グリット(2010)」でも「ノーカントリー (2007)」でもジョシュ・ブローリンは味のある役をこなしていたのを思い出し、そのときは実力ある俳優だとみた。 しかしそのときのそれぞれの俳優とここでの主役が繋がらなかったのは単に役柄の違いだけではないように思う。 それに興味深いことに父親も俳優であり、ストーリーが興味深い「カプリコン・1(1977)」やSF西部劇じたてでユル・ブリンナーのロボット・ガンマンが「荒野の七人」ばりで面白い「ウエストワールド (1973)」のジェームズ・ブローリンであり義母は大歌手のバーブラ・ストライサンドとくれば彼のキャリアも納得できる。  それが上記の作品からは理解できるが本作に関してはどうだろうか。 上記二作と本作では役の重みが違い見栄えもまるで違う。 上記二作での脇役が本作の主役よりより存在感があるのは何故なのだろうか。

所詮はコミックなのだ。 超人的アクションやゾンビーと交信するような西部劇は想像力の乏しい自分には食指があまり伸びないのだし上に記した出演作からすれば本作のキャラクターは安手に写り、それもあってかテレビガイドに二つ星しかつけられていないことが理解できるのだがしかしそれでもここは西部劇だとしてとにかく筋を追った。  監督もストーリーもジャンルも全く違うのにどういう訳かタランティーノの「フロム・ダスク・ティル・ドーン (1996)」を思い出したのだが、そう思ったのはこれらにはコミック的なこととゾンビーが出ることが共通しているからなのかもしれない。

FN Browning M1922

2013年10月11日 00時40分03秒 | バンバン


この15年ぐらい年に3度ほどぐらい出かける射撃クラブがある。 家から35kmほど離れたそのクラブの地下の射場で50m先の紙の標的に向かい火打ち石で発火させるフリントロック式のライフルを13発、25分ほどかけて撃ったらその後は上のクラブハウスに戻って真冬などはほぼ0℃の寒い射場で凍えた身体を温めながら昼食を摂り仲間と駄弁ってあれやこれやと話しに花を咲かせるのだがその一角にガラスケースに収められた一丁のピストルが飾ってある。 戦後すぐ設立されたこのクラブで初めてクラブの練習用ピストルとして元警官のものだったものを使用、と書かれている。 傍にはその警官の身分証明書と皮のホルスターも添えられピストル自体はもう実銃として使えないように処理されている。

これが FN Browning M1922 である。

ウィキペディア; 本銃の元となるM1910及びM1922モデルの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/FN_%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0M1910

本銃には少々思い入れがあっていつか手にしたいと思っていた。

春にハーグの街を歩いていたときにたまたま長らく寄っていなかった銃砲店を覗いたらこれがガラスケースの中にあって手にとって考えた。 夏休みが済んでまだあれば手に入れようと思っていたら結局その通りになった。 ただいつもの如く買ってもそれが実際手に入るまでに手続きが煩雑で、銃砲店、自分の属するクラブ、管轄の警察をめぐって書類をそろえなければならないのだがそれが昔のように同じ町で出来れば楽なのだがこの10年ほどで徐々に警察の再統合、官公庁の経費削減などで管轄区域が大きくなりそれに伴って担当警察署が遠くなっている。 そこまで行くとなるとほぼ半日仕事と見たほうがよく、そろえた書類も郵便で送り返事を何週間も待つ、というのが現在の状況だ。 そしてやっとその書類をまとめて郵送したのが先週のことであり返事が来るのを待っているのだが返事が来るのが11月の中頃になればいいほうだろうというのがクラブの同僚の意見である。

そんなときにまた見たのがこのクラブの初代練習用ピストルだ。 自分の買ったものも1922年モデルでオランダ内務省の印が刻まれていて銃口の上に王冠と J の文字が刻まれているのだがそれに依って公用使用時期が分かる。 J はこの5月に戴冠したヴィレム・アレクザンダー国王の祖母、ユリアナ女王の頭文字 J であり、在位:1948年- 1980年の中で50年代に使われたものだ。 自分がオランダに来たときはこのユリアナ女王の御世で、それから一ヶ月ほどしてユリアナ女王の娘、現国王の母親であるベアトリクス女王の即位となっている。 この王冠と J というのはこのピストルが1922年以来使われ続けていたものだけれど特にユリアナ女王の刻印で製造期間、使用期間を示唆しているのであり、公務使用の銃としてはそれを持つ者に一定の感慨を催させていたのではないだろうか。

目の前のガラスケースに入ったブローニングM1922には多分この王冠と J の刻印がされていないと思われるのはこのクラブが終戦後すぐに設立されたからである。 そうなるとこれは多分戦前、戦中を通じてオランダ占領軍のドイツ軍、オランダの警察用として使われていたものだ。 

靴を買う

2013年10月09日 23時14分34秒 | 日常

朝出かけようとして靴を見たら右の内側がぱっくりと開いていた。 黒の革靴なのだが底は皮ではなく人口樹脂でもうそろそろ買い換えなければと思っていたところなので別段驚きはしなかった。 3年ほどで右の靴底の踵が右側に傾いて擦り減り、磨り減った部分から靴を軽くするために穿ってある穴が見え出す。そのようになればそれが寿命がきた兆候なのだ。 そんなときに今日のように他の部分がぱっくりと開いてもそういうことかとも思い、この一ヶ月ほど脚の痛みを感じながら歩いているときに無意識にそこに力が入るような歩き方をしていたからなのかとも思った。 そしてぱっくり開いた靴を履いてそのままもうこの15年ほど三年に一度ほどでかける靴屋に出かけた。 オランダ中にあるチェーン店で安売りの店だ。 わざわざそんな安物を買わなくてもいいものをと言われるけれどどういう訳か或るメーカーの安い靴が自分に合う。 

オランダに来る前、大阪で輸出商社に勤めていたときにはかなりいい靴を履いていた。 取り立てて悪い道を歩くわけでもなくスーツを着て街の舗道やオフィスのフロアを歩くぐらいだから特にむやみに痛むこともなく何年も履きそのうち自然に買い換える。 オランダに来るのだからといってイタリア製の柔らかくいいものを買い、パリ、ブリュッセルの街、美術館を廻って落ち着き先のオランダの北の街、グロニンゲンの大学に到着し研究所のメンバーに紹介され休み時間に中庭の広場でサッカーをした。 馬鹿なことにそのときそのイタリア製の新しい靴でボールを蹴ったらぱっくり割れてそのときにライフスタイルが変ったことを思い知り、その時以来靴に金をかけず普通の頑丈なものを履いている。 

40になった頃、体重のかかり方が気になって知り合いから特別に自分の体に合った靴をつくってくれる靴屋を紹介してもらい数万円かけて作ってもらったがなるほど履き心地がいいけれど特に効果というものははっきりと見えなかった。 その後、偶々この安売りチェーンの靴屋でみかけたのがこのモデルで安いからだめなら棄ててもどうということはないと履いてみたら丁度足にあった。 それ以来もうこの15年ほど2,3年に一度ここに来る。 多分どこにいってもいいものはあるのだろうが一度慣れたら同じものを続ける。 止める理由がないからだ。 ファッションなどには関心がない。 履き心地が悪くないのでずっと続けているということが一番の理由だが、目立たず、見られて恥ずかしくない程度のものであればいいということだけだ。

磨かない、洗わない、手入れもしない。 よっぽどのときは靴墨をつけて磨くけれどそれも一回か二回ぐらいだろう。 それはほぼ車を洗うのと同じ頻度かもしれない。  うちにはもう一足革靴がある。 もう亡くなって10年ほどになる隣の老婆にもらったものだ。 彼女のご主人が亡くなってもう二十年ほどなるころに我々はその隣に引っ越してきた。 あるとき、主人の靴があるけれど合うなら履いて貰えないかというので履いてみたらあつらえたように自分の足に合う。 その人に合わせてあつらえたものだそうで自分は特別な機会があってドタ靴では差しさわりがあると思ったときには履いていく。 ぴったりと足に合って時には気味が悪くなるほどのそのドタ靴は重さを実感するほど軽い。 こちらの靴のほうはもう作られてからほぼ40年ぐらいたっているのにそんな風に履いているから靴底も減らない。 それに比べて今日買った靴はやはり安物なのか3年で履きつぶれる。 今日新しく買った靴が自分が買うこのブランドの最後のもののように思うのは特別安かったからだ。 この何年も4000円ほどだったものが今日のは大安売りで2500円だったからだ。 売れないから半額にしてストックが捌けたらこの種類をもう作らないのではないかと危惧している。  

 



 

秋の庭仕事

2013年10月08日 17時43分19秒 | 日常

昼前に起きたら天気がよく、こんな日には庭仕事をしない理由はない。  この2,3日安定した秋の日が続き今日がこのシリーズの最終日で日中気温は16℃になるだろう、それ以後は雨模様の11℃あたりが続くと昨日の天気予報が言っていたから今日の予定は出来ていた。 この時期になれば日照時間がかなり短くなり、また陽の力も弱くなっていることから植物達もそれに反応してもう葉を繁らしたり成長することもないからここで垣根を刈っておくと来年の5,6月ごろまでは刈らなくとも済むのでこれが今年最後の垣根刈りとなる。 尤も前回刈ったのは今年初めての6月の終わりごろでその様子を次のように書いている。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/63482137.html 

裏庭にはそれぞれ両隣との境に柘植(ツゲ、Buxus)、高さが3mほど、長さが8mほど、ともう一方にはオランダ語で Beukenhaag、 ラテン名 Carpinus betulus、長さ10mほどの日本名イヌシデに似たのが植わっている。 それに加えて玄関に続く石の舗道には長さ3mほどで棘のある常緑樹 Berberis julianae が植わっていてそれも刈った。 これらはアルミの梯子を使って柘植には電動ヘッジ・トリマーで、Beukenhaag と Berberis julianae には大小の剪定鋏で刈る。 長さ10mほどある垣根の枝先が細いところは大きな剪定鋏を両手でチョッキンチョッキンやるけれどどういう訳か木によっては太くなっているところではしっかり小さい剪定鋏でガッチリと力を入れて刈らねばならない。

ほぼ一ヶ月脚を痛めていて2日ほど前までまだ神経が触るのか足のあちこちの深部が痺れたようになったり鈍い痛みがあったのだが今はそれも消えて梯子の上で無理な姿勢で身体を捻じったり幅50cm以上ある垣根に身を乗り出して向こう側まで額に汗して重いヘッジ・トリマーを支え、大小の鋏を使うには脚は何の痛みもはく完治したとはいえ普通にこのような作業は60代の半ばに近づきつつあるものには骨が折れる。 もうこの4週間フィットネスに行っていないのだ。 しかし行っていてもこの助けになったとは思いがたい。

花壇や庭のあちこちの植物を整理するのに出来た雑草と枯れた植物のクズに加えて今日半日で出た木の枝、木の葉のオーガニック・トラッシュは家人が市の清掃局から借りてきたそれ専用の強化プラスチックで出来た一辺1.mほどのサイコロ状の袋に詰め込んだらそれがほぼ一杯になった。 雨が降らないうちに清掃局に電話して取りに来て貰わねばならない。 やれやれ、脚の痛みがなくなったと思ったら明日は今日の仕事の成果である腕と掌の筋肉痛に対面することになるのだろうけどこの一ヶ月ほど蒙った脚の痛みに比べると何ほどのこともない。 夕食前のジンがよく効いた。