暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

オランダ人のための寿司教室

2006年04月25日 07時17分59秒 | 日常
家内が子供たちのための工作教室を開いていた市の公民館から、旦那が日本人なら、「寿司教室」をやってくれないだろうかか、と打診があった。 

この10年ぐらいは毎年3,4回は身内や、家内の装飾作品展覧会のオープニングの、パーティーの為に30人分づつぐらいの寿司を巻いたり、握ったり、押したりしていたから自分のための寿司作りなら慣れたものになっているし、それを食した誰もがこれらをどういう風に作るのか、どこで材料が買えるのか、どんなオランダ語、英語、ドイツ語の料理本があるのかと、みなから寿司と燗酒で上気した顔で尋ねられそれからは互いの国の食文化、よもやま話のパーティー種が尽きなかった。 家族、知人などは年々大晦日の寿司を待ちかねるものが増えたこともあって、お世辞の言わない普通のオランダ人家族の老いも若きもそういうのだからまんざらではないと喜んでいた。

この前、寿司を作ったのは大晦日の夜の身内のパーティーの
ためで、 ブログ <日常> <ああ、だんだん詰まってきた、今年も> にこう書いた。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/21191837.html

オランダでは大都市には日本食レストランがあるのだが、オーナー、コックが日本人であれば質は信用できるがオランダの普通のレストランに比べれば比較的高価であることから、近頃は中国人が持ち前の図太さ発揮して、外面では日本人、朝鮮人、中国人の見分けがつきにくいこと、それから、見よう見まねの素人コックで安価な、外からは質の見分けのつきにくい日本料理屋を経営している事が多い。 普通のオランダ人には殆ど見分けがつかない。 最近もハーグでそういうレストランに入り、コック、従業員と話していて誰も日本料理屋や日本人シェフから修行した経験がないと聞き、握りを2つ3つ食べただけで怪しい調理場で握られた回転寿司程度の質がかなりの勘定になっていたのに驚いた。 中国人の生命力は大したものだ。 世界中の隅々まで中華料理屋があるのが分かる。

それはともかく、普通の大手のスーパーならパック詰めの生鮮食料品を冷たく保存するコーナーにちょっとしたコンビニ程度の持ち帰り盛り合わせパック寿司が並んでいる。 これまでの健康食ブームに加えて、日本食、とりわけ寿司が大人気でこの10年でかなりの者が寿司を食べた経験をもつ。

今日も20代から30代前半の男女、それぞれ3人づつに聞いて見ると半分はアムステルダムの回転寿司やスーパーの寿司で食べた経験はある。 もう半分は他のものからはトレンディーであることは聞いているし、、興味本位、こわごわで食した経験はまったくない。

さて、寿司教室、20分ぐらいは寿司とは何か知らないオランダ人のために日本の食文化と日本各地の様々な寿司を紹介、その後はそれから3時間で何をどう作るのかを説明して調理場へ、米をとぎ、酒、出し昆布を入れ電気釜で炊いている間に合わせ酢を作り、事前に用意してあった様々な材料を説明し、どういう風に巻くか、握るか実際にやって見せ、それから手分けして各自材料を切り、刻み、マグロ、生鮭を削ぎ、2時間半、巻き、握り、詰め、各自パックで持ち帰りの分と別室で、酒、緑茶を飲みながら食べる分を作り、キッチンを片付け、別室でだべりながら試食である。 それまでにキッチンでそれぞれつまみ食いをしたり味見をしているけれど、店で見た、写真で見た、嘗て他人が作って食べたものを自分で作ったということと炙って香ばしい巻き海苔の新鮮な寿司は驚くほどの効果をだして、もう話は各自の今度の自分たちのパーティーに作る寿司で盛り上がっている。 いつも霧がかかったような神秘的な東洋の美食のベールが剥げ、それを自分で作れて、自分の作ったもので友達を驚かせてやろうという魂胆だ。

オランダには菜食主義者はかなりいて、その菜食振りは様々だ、それは宗教と同じ。 というのは、規則を厳しく守り、動物、魚から取れたものは一切受け入れない、という者から、卵、チーズはいい、という者、金がなくなって肉が買えなくなったら菜食、という者までいる。 基本的には厳しい人たちは来ないが、巻き寿司、河童寿司などは菜食主義のものにもとても評判がいい。 今回、寿司コースをやっている、とどこかで聞いて味見が出来ないかという人たちが何人か顔を覗かせ、巻き寿司、河童巻きなどを摘んでいた。

ここまで書いて熱燗の酔いで眠くなってきた。

このにわか先生はというと日本人に比べると一般的に不器用なしぐさで戸惑う男女を見、指図して廻りながら各自に少しづつ余分に作らせた寿司を何人分か持ち帰り家で熱燗を飲みながら家人と楽しむのが常だ。 と、キーボードを打つこの手もまだ微かな寿司酢の香りがする。

次の教室は4週間後である。


桂米朝落語全集; 百年目 (DVD)

2006年04月23日 04時02分10秒 | 見る
桂米朝落語全集(DVD) ; 第七集 百年目 / 焼き塩 

東芝EMI  GSB 1507


百年目    42分    1989年 10月17日 大阪

昨日一日だけコートも要らなくなったかと思えば、また今日は肌寒い日に戻り、それを取り返そうとするかのように、このところ桜を題材にした映画、話などを見たり聞いたりしていたのだが、この噺で昔の大阪の花見の様子を味わった。

それを言うなら、長屋の花見、などが典型的な噺なのだろうが、ここでは粋な商家の旦那が隠れて遊ぶ番頭の遊びをどのように扱うか、また、その番頭の中間管理職としての日常の建前と裏での茶屋遊びの屈託が旦那の思惑はそれとして、番頭の苦悩が上手に扱われている噺である。

このような商家の習慣、様子は私の子供の頃、昭和30年代には消えていたに違いなく、子供の頃その興隆期を迎えていたテレビのシリーズ劇場中継というべきコメディー「番頭はんと丁稚どん」でもその当時、チャンネルの主導権を持っていた中年視聴者にでもかなりノスタルジーを含んだ喜劇だったに違いない。

この噺でいたく興味を持って納得したのは、商家の言葉遣いである。 勿論、同輩、目下の者に使うぞんざいな言葉は別段気にはならないが、それでも目下のものに使う言葉の端々に柔らかい、綿でくるんだ世間知が感じられるのだが、同時に、自分の茶屋遊びが発覚して、それを諌められるとびくびくする番頭に話しかけられる旦那の言葉はこの番頭の耳には正しく真綿で首を絞められるような、と響くのだ。 自分が大阪出身であるからこの40年ほどの言葉とはまた一味違う、この噺のなかの言葉は人情の機微があちこちに現れる、含みの多い味わいで深く響くのだが、さて、関東の人間にはどのように響くのだろうか。

この言葉の機微がこの噺の核になっており、全体としては、多分、理想化された商家の佇まいになっているのだろうが、生きる、死ぬの人情話ではないし、また、おっとりとした噺であるから、他の爆笑を誘う噺の並ぶなかで花見の喧騒から少しはなれたところで咲く桜のようにして思い出されるような作であろう。

ここでは茶屋の女たち、幇間は花見の屋形船がらみで微かにしか登場しないが、この花街の人々、現在では我々の届く範囲にはなく、文化財としてだけ生息すると仄聞しているが、誠に惜しいことで、もう40年以上も前に亡くなった遠縁の叔父が一番の楽しみが茶屋遊びであったことを思い出すに、自分の経験してこなかった楽しみが惜しまれる。 この間DVDで観た大島、篠田などの映画のなかでも垣間見られるその世界の緊張感は落語の中では町人の、もっと寛いだものと語られ、一瞬自分もそばに番頭の花色木綿の襦袢を見ていてその番頭のだらしない良い加減と酒の匂いが漂うような気にさせられるのだ。

今日の花見は旦那が足を伸ばして眺めた1本の八重桜だったのだが、現実には私のうちから200mほど離れた20本ほどの八重桜の並木が満開になるのは、例年よりは3週間は遅いことから、まだ1ヶ月はかかるのではないだろうか。 この国ではそのような花見の習慣はない。

  


SAMURAI FICTION; 見た映画 Apr. ’06 (5)

2006年04月20日 09時35分01秒 | 見る
SAMURAI FICTION

監督:中野裕之

音楽:布袋寅泰

溝口半兵衛 ................  風間杜夫
犬飼平四郎 ................  吹越満
風祭蘭之介 ................  布袋寅泰
溝口小春 ................  緒川たまき
犬飼勘膳 ................  内藤武敏
影丸 ................  谷啓
吾助 ................  神戸浩
鈴木真太郎 ................  藤井尚之
黒沢忠介 ................  大沢健
久頭見龍之介 ................  藤井フミヤ
お勝 ................  夏木マリ
隼 ................  ユキリョウイチ
赤影 ................  桃生亜希子
近習番 室戸 ................  岩松了
近習番 八木 ................  鈴木省吾
測量する侍 土井 ................  きたろう

測量する侍 柴田 ................  高木完
鬼松 ................  田所豊
左吉 ................  吉岡英明
丑松 ................  高崎隆二
炎の三兄弟 鷲 ................  赤星昇一郎
炎の三兄弟 まむし ................  中村和三郎
炎の三兄弟 鳶 ................  真下茂俊
按摩の市 ................  小林のり一
賭場の客 ................  花田裕之
  〃   ................  池畑潤二
木村伝兵衛 ................  中島らも
木村雪江 ................  星川なぎさ
ワルの浪人 鮫島 ................  中村有志
ワルの浪人 黒岩 ................  緋田康人
ワルの浪人 荒木 ................  ピエール瀧
御前試合の豪傑 馬場 ................  梅垣義明
御前試合の豪傑 大岡 ................  佐藤正宏
御前試合の審判 ................  近藤房之介
大工の熊 ................  都家歌六
道場主 梶井 ................  マルセ太郎


もう大分前にドイツのテレビで放映したのを見たのかもしれない。 ほぼ最後の部分を見た覚えがあっただけで、布袋寅泰の姿は覚えていた。 それにドイツ局では映画は大抵ドイツ語に吹き替えをしており、音質と効果が半減以下になり私は殆ど見ないでジャズのコンサートぐらいしか録画しない。 

布袋を初めて見たのはBBC放送で日本から、何か東大寺という寺が世界遺産であり、そこからのユニセフのための世界中継の実況コンサートとかでライ・クーダーが出、雅楽のようなものもあり、日本のロックの代表として演奏をしていたのを見たのが初めてだった。

この映画、第一に、このDVDのパッケージとタイトルを見ればタレンテイーノのパルプ・フィクションに触発されていることが一目瞭然だ。 

タランティーノのものは緊張感と適度なのりと軽さ、ドライなジョークがあり充分楽しめたものだが、この日本製のものは甘すぎる、というより私がもうこういう日本の若者のノリについていけない処に来ているのだと自覚した。

これはテレビドラマの続きではないか。 夏木マリは本来もっと艶かしくなれるはずだのに中途半端である。 短小軽薄の時代の作品で軽み、というとこうなるのか。 後世に製作当時の時代を知る上での資料として見るのには価値があるかも知れないが、風間杜夫と布袋が辛うじて及第点であるのはどうももったいない。 有能な監督の腕ではもっと高得点を取り得る可能性をもっているものを、残念なことだ。

それに現代の日本社会を象徴している健気な娘、小春が男たちを采配する、その具合がテレビドラマでそれが鼻につく。 モノクロで作られるカットの多くが定本を持つのだがコマーシャル・フィルムのタッチだけで現代の若者向けの軽薄なカタカナのサムライドラマを目指しているのなら大成功の作である。

音楽にしてもアコースティックギターを使うところでは何とか話の展開に合うのだが、日本のロック・ギターでは厚みに欠ける。 本来はヘビーなサウンドであるはずがつぎはぎの綻びが覗いているみたいに聴こえるのだ。

「臭い」について

2006年04月20日 02時47分25秒 | 日常
他のブログで「日頃、加齢臭をかぐ事はないか」との質問があり、その質問の影に臭いものを感じ、また少々頭にカチンと思い当たることもあり下のように書いた。


そりゃ肉体、個人生活、気候、文化など諸条件の様々な要素が関係してくるでしょ。 
私事、長年、異国に住んで日頃、自分もその中で違和感を感じないで生活していると自他共に嗅覚を刺激され、当然様々な体臭を嗅いでいます。 香水や香料で臭いをつける国、また、反対にイデオロギー的に「自然」に任せる老若男女、さまざまです。 当然そこにはいわゆる加齢臭もあります。 それを嫌うか受け入れるか、受け入れるならどういうふうに、というところが文化なのだと思います。  

ただ、時々見聞きする日本の若い人たちの匂いに対する、例えば、花粉症やその他の嗅覚のアレルギー、過剰な反応の様子にちょっと、ひ弱だなあと思うこともあります。

特に此処で加齢臭のことを問題にしておられるが、例えば日本の50歳以上、彼らの生い立ち、匂いに対する文化、と現在の若者の、例えば一頃前までの「朝シャン」で成人した人たちの文化を考えてみると瞭然でしょう。

イランで一度もそういう臭いを嗅いだことがない、というそのことが「XXXXさん」の生活環境を示しています。 そういうところを訪れる、日常、挨拶で頬と頬をつける、キスをする、軽く抱擁する、接触するということがないのでしょうか。世界中都会なら大して変わりがないのでしょうが、都会の外ではどこの世界でも臭いに満ち満ちています。 ないというのは信じられないことです。 

今、私の体からはチーズ、ワイン、葉巻の匂いが漂っているのですがその下から強烈な加齢臭が湧き上がってくるようです。 けれども、ずっと以前、何年も使っていたオールド・スパイスやアラミスはとっくの昔にやめて埃がかかったまま浴室の隅に放ったらかしになっています。

そして、定期的に乗り降りするアムステルダムの中央駅ではかぐわしいマリファナ臭もいつも空中に漂って他の様々な匂いと混ざって私の鼻腔をくすぐるのです。

と、少々大げさでもないかな、と思うところがあるようなないような具合だったが、加齢臭とわざわざそのことを話題にするような文化はすでに死臭が立ちはじめていると思う。

欲望という名の電車; 見た映画 Apr. ’06 (4)

2006年04月19日 09時10分49秒 | 見る
A STREETCAR NAMED DESIRE (欲望という名の電車)1952年

上映時間 122 分

監督: エリア・カザン Elia Kazan
原作: テネシー・ウィリアムズ Tennessee Williams
脚本: テネシー・ウィリアムズ Tennessee Williams
  オスカー・ソウル Oscar Saul

出演: ヴィヴィアン・リー Vivien Leigh
マーロン・ブランド Marlon Brando
キム・ハンター Kim Hunter
カール・マルデン Karl Malden
ルディ・ボンド Rudy Bond
ニック・デニス Nick Dennis
ペグ・ヒリアス Peg Hillias
ライト・キング Wright King
リチャード・ガリック Richard Garrick

この映画をエリザベス・テーラー主演のもので見たと思っていたが「熱いトタン屋根の猫」と勘違いしていた。 けれど、この映画はどこかで見たことがあるのだが、粗筋をどこかで読んだだけだったのか、果たしてこの映画の部分を少しだけ見て全て見たいたものと思っていたのか、いずれにしてもうろ覚えだったので深夜の空き時間にBBC放送で放映されたものを最初からヴィデオにとりながら半分ぐらいを初めて見るつもりで観て、その後、就寝した。

ラストタンゴ イン パリ、ゴッド・ファーザー、地獄の黙示録のマーロン・ブランドの若き肉体と演技が秀逸である。 

両方ともエリア・カザンの監督の映画で高校生の時には夏休みにどういうわけかエリアカザンの小説、アレンジメント/愛の旋律、というのも読んでいる。 うろ覚えなのだがそれは今となってはなんと言うことのないアメリカの風俗を描いた姦通小説であり少年には知ることのない世界だった。他にも、アメリカの幻想、というのも読んだのかも知れない。

風とともに去りぬ、は私には何の感動も与えぬ映画だった。 もう40年近く以前のことで少年にはわかるはずがない。 ただ、母親がそばで甚く感動していたのだが、その口から、それでも原作の方がいいわ、という声も聴いていた。 そのテクニカラーの13年後のこの白黒映画である。 現在観ると印象がまるで違う。 40年以上前に観たテクニカラーの方が今日観た白黒よりはるかに新しいのだが、その舞台はまるで逆で南北戦争の南部とそれから100年も経とうかという南部の都市の1950年代前半である。 しかし、この同じ女優、ここでのヴィヴィアン・リーの方がスピルバーグの「太陽の帝国」で上海租界の街角に大きく描かれたビルボードの、風とともに、、、、の姿よりはるかに印象的である。

それに個人的に子供のときからテレビの白黒画面でよく見てきた目と鼻が特徴的な名脇役カール・マルデンが懐かしかった。 西部劇、戦争映画、SF恐怖映画、等々、いつ頃まで銀幕に登場したのだろうか。

この映画、スタジオ撮影の基本的には劇場仕立てであり、今、このような雰囲気の映画はいまだ撮られているのだろうか。 D・ホフマンの「セールスマンの死」というのが同時期の脚本として撮られたと聞くがこれから40年以上も離れてのものだから、このいかにも劇場をカメラが走り、M・ブランドは別としても、リーの役ブランシェの芝居じみた性格とも相まって長科白ではブロードウエーの芝居の香りがしたのだった。

今日新聞で見た演劇評ではジュリア・ロバーツがブロードウエーかで舞台に立ち、無性別の演技を示したと書かれていたが、それも現代の演劇で、このころとは隔世の演技なのだろう。

現代の社会で「欲望という名の電車」は、増幅された欲望の充満したジャンボジェットと変化しているのだろうが行きつく先はこのブランシェのように幸せな狂気であればいいのだが凄惨な結末の現実に衝突しがちであるようだ。

暖房事情

2006年04月19日 06時04分15秒 | 日常
昨晩、家人が台所で洗い物をしているときに急に熱湯が切れて給湯器の表示がリセットボタンを押すようにと出た。 それでその通りにやってみると、何回やっても同じ結果で、排気のシステムに異常があると出ている。 さて、問題はちょっと考えただけでも3つ、給湯器のボイラーから続いて台所の天井を伝って外に出ている排気パイプが何かの具合で詰まったか。 例えば壁に開いている口が蔦か鳥の巣で詰まったかと考えられる。 外に出て懐中電灯で見ても異常はない。 ちゃんと異物が入らないよう細かい金網で覆ってあるし、蔦は絡まらないようにその部分は取り除いてある。

可能性の二つ目、何かの具合でメインボイラーが発火しないこと。 例えば何かが発火ノズルに詰まってかそれでガスがそのまま漏れて排気トラブルになること。 けれど、どこを嗅いでもガスの匂いはしない。 もし、この可能性があればそんな危ないものは安全基準を通過しないだろうから、その可能性はない。

三つ目、これが他の機器でもしばしばあるケースなのだが、暖房システム、給湯器システムを統御するチップ、コンピュータ部分が何かの具合で故障したかも知れないということ。 これははっきりした何の物理的理由もなく急に起こることがあるからたまらない。 昔のようにメカニズムを推理して目に見えるものを修理しようとする素人考えに、単純にチップが狂ったという理由で説明されるとはなはだ訳のわからない怒りがこみ上げてくるのだが、これは多分、旧式な考え方なのだということは嫌々ながら承知している。 現に、義弟がBMWオートバイの代理店を経営していて、ドイツの最高級に属するマシンを日常扱っているのだが、この15年ぐらいで旧式の機械修理からある部分の集積回路を含むユニットを単純に取り替えるメンテナンスが圧倒的に増えたことを聞いたことがあり、そうなると、ある故障の現象は分かるものの正確な故障理由が追えないでチップの部分が駄目だから、そのユニットをポンと入れ替えて出来上がり、ということが起こるらしい。 はっきりとした理由は分からないがその部分が故障しているということらしい。

それはともかく、我が家ではこの暖房装置をもう15年ほど使っている。 この家に越してきたときに既存のパイプを使って屋根裏部屋から子供たちの部屋、浴室、居間、台所、玄関、家人の庭の外れにあるアトリエを、曜日、時間、室内温度が自由に設定できる仕組みにした。 家の者たちが起きてくる20分ほど前にスイッチが入り朝食の時には20度に、家のものが仕事、学校に出かけ誰もいないときには15度まで落とし、皆がそろう頃にはまた20度に、就寝時12時半ごろには又15度以下になるとスイッチが入り朝まで15度にはなるようにしておく。 これが基本で休日には昼間でも20度に保っておくようにプログラムをしてあり、これが今まで15年間我が家の室温のサイクルだった。 外気が上がれば暖房の必要がないから、これは主に寒い季節に対応するような仕組みである。それで、この暖房用温水の循環パイプは遮断されていてボイラーがパイプ内の水を熱してそれがそれぞれの部屋を順番に巡って冷たいものが又ボイラーまで還流する。 その挙句、センサーで定められたところ温度に来るとボイラーが止まる、といった具合だ。 

もう一つの温水のシステムがほぼ並列しているのだが、それは同じボイラーで常時最高60度ほどの熱湯が出るようにしてあるものだ。 これが台所、洗面台、風呂、シャワー、アトリエのキッチン、といった具合に人の口には入らないが生活水として温水を使うためのシステムであり、温度調節で大抵40度前後にして利用する。 で、この夜の場合、食後の洗い物の途中でシステムがダウンしたわけだ。 温水、暖房が全てストップした。

今は一日の最低気温は7度ぐらいだから暖房がなくても部屋の中が15度から下に落ちる事はない。 だから、サービス契約の暖房専門業者に緊急コールをする事はしなくて、翌朝のシャワーはなし、翌日の夕食には間に合うように修理を手配することで夜更けにジンを飲んで体を少し温めたぐらいだった。

近年は冬には前の運河が凍り、厚さ40cmあまりまで凍てついて安心してスケートが出来る、といった寒さはあまりない。 精々マイナス7,8度が1週間弱あったりなかったりだろう。 殆どが零度のあたりを上下する、といった具合だ。 寒い冬は最高気温マイナス5度、最低気温がマイナス15度ぐらいが2週間ぐらい続く、といったところだろうか。 勿論、その前後にはそこまで寒くなったり徐々に少しずつ戻るといった時期が何週間かづつ加わるからこういう冬は厳しい。 そんな寒い冬には家屋の暖房というのが死活問題になる。

日本では雪の中の生活を経験してこなかった。 叔父が昔からの大工の棟梁で学生時代には長い休みのアルバイトで土方仕事を手伝った。 その中でおぼろげながら昔ながらの関西風の農家の構造、建て方を知った。 木組み、壁の構造、屋根、土を盛り瓦を葺く、などなど。 今はどうか知らないが昔風の家には暖房の按配はない。 精々何重もの塗り壁、廊下などを隔てて襖や障子で防寒する、必要なら火鉢だったのだろう、今から150年ほど前までは。 電気が来てからは電熱、ガスが来てからはガスストーブとなればこれはもうかなり新しい。 私が此処で言うのは昔ながらの日本の家屋で、アパートやビルではない。 もう7,80年前にはコンクリートで作られた病院、官庁、オフィス・ビルなどではボイラーでスチーム暖房といわれる、熱湯を引いてきてエレメントの末端で熱湯が部屋の空気を暖めて漸次部屋を温めるというものがあった。 

ただ、私が少年時代すごした農家の住まいでは冬場は灯油のストーブ、電気炬燵、電熱のカーペットぐらいで外気はマイナスになる事はあまりなかったものの室内は一般に肌寒かった。 ストーブの周り、コタツの中ぐらいで、使わない部屋では冬には息が白いということもあった。 今、思い出してみると、外気がオランダよりも暖かいにもかかわらず生活温度は低かったような気がする。 だから、自然と季節によって衣服で調節していたようだ。 勿論、真夏に焼けるような外から帰って来て入った室内の涼しさは忘れられないものだった。 けれど、そういう環境から反対に寒冷なこちらに住むようになり、年中、室内温度が変わらないとなると着たきりすずめとなり、外気をコートで調整するということになる。 夏にはT-シャツが登場するぐらいだが、真冬でもT-シャツの若者は沢山いる。 夏でも11時ぐらいになってやっと暗くなった庭で過すときには薄い毛糸のセーターを羽織ることがある。

さて、これがオランダの普通の住宅の主な暖房事情である。 セントラル・ヒーティングといわれるものだ。 今では部屋の隅に大きなエレメントを置く様なことをしないで居間などにはフロアの下にエレメントを埋め込んでその上に格子を置きそこから暖気が出るようにしたものがあり、これなら足元からすぐ暖かくなるという利点がある。 小部屋の場合には比較的早く温まるので普通のエレメントでも不都合はない。 勿論、旧式のガスストーブの家があるが通排気に注意しなければならないし簡単にスイッチを操作する事は実際的ではないし、コストがかかる。 昔風の薪を使って暖を取るというのは殆どない。 ただ、家庭によっては暖炉を持つ家があるがそれは来客用とか何かの場合にゆったりと寛ぐための、殆ど趣味の域を出ないものだ。 


翌朝、二人の男がドアの前に立った。 一人は30半ば、もう一人は高校を卒業したかどうかと言った年恰好だ。 年上の男が台所の壁に取り付けてある装置の前に立ち、若い方に指示をしてカバーをはずす様に言う。 ははあ、見習いと監督だなあ、と想像がつく。 覆いを取ったとき、年長の方がメカニズムを一瞥して、あ、見つけた、と一言。 若い方がきょろきょろと見廻して原因を探ろうとする。 そのとき、私の頭の上を掠めたのは、コンピューターユニットかな、そうすると交換するにしてもちょっと普通の修理よりは高くつくし、そうなら、この機械もぼちぼち耐用年限も切れることでもあり、買い替えか、そうすると、、、、と、資金の算段が頭を巡った。 どちらにしてもこの5年ぐらいで要り様になることだ、仕方がないか、と。 

若い方が、あ、私も見つけた、といって複雑なユニット、パイプが錯綜するなかの透明の硬質ビニールバイプを外して一吹き、少量の水が飛び出た。 それで、終わり、この間、3分。 無料。

この機械は初めの3年ぐらい何回か故障があり、保障期間でもあり、部品もチップも取り替えているが、この10年ぐらいは安定していて毎年の点検補修で間に合っており、毎年、この契約業者の顔見知りのトルコ人のおじさんが来て、30分ぐらい点検、簡単な掃除をしてそれで終わりだった。 耐用年限が来るけれど取り立てて問題がなければ20年でもそれ以上でも使えるかもしれないから、その頃になるともっと熱効率のよい製品が出来ているはずだから、そのときになって考えればいいというアドバイスに従っていた。 15年前にこの装置を取り付けたときには熱効率とガス代の経済性では新世代の機械だった。 今でも基本的にはこれと大して変わらないがもう少しガス代が節約できる機種がある、という。 こういうことはこの2年ほど頭の中に入っていて、来るべきときが来たと心積もりはしており、昨晩はこの時が来た、と覚悟をしたのだ。

まあ、しばらく首が繋がった、というのが感想だ。 自分で機械を開けて分かるはずがない。 何も出来ないいらいらがつのったが、今回の場合、まだ、はっきりと簡単に目で見えて納得のできる理由だったのだが、しかし中途半端な複雑な気分である。老いというのはこんなものかもしれないとも考えた。 

エネルギーの消費を抑えるために家屋の断熱材、二重ガラスなどには市から補助金が出たことがあり、それを利用して家中のガラス窓には間にガスが入った二重窓、床下には断熱材を詰めた。 そういうこともあってか室内は寒い季節には締め切って暖気を逃さないようにしており、その上の暖房装置である。

そろそろ庭の木蓮のつぼみも開き始めて、外気も緩み、家の窓も開き始める季節がそろそろそこまで見えている。 その時期の暖房装置の故障であり、昨晩のものは季節変わりにひいた機械の軽い鼻風邪みたいなものだったのだろうか。

Tineke Postma 5 / Ilimiliekki 4 in Rotterdam

2006年04月16日 09時14分42秒 | ジャズ
Tineke Postma 5 / Ilimiliekki 4 in Lantaren Rotterdam

15-04-06

フィンランドとオランダの若手のバンドのダブル・コンサートである。

I) Ilimiekki Quartet

Verneri Pohjola (tp. melodica)
Tuomo Prattala (p)
Antti Lotjonen (b)
Olavi Louhivuori (ds)


1. Take It With Me (T. Waits)
2. Old May Become New
3. -
4. Kanigugu
5. Askista
6. -

メンバーがまだ皆20代半ばのフィンランドでは新進のグループだとコンサートの照会文にある。 彼の地で新人賞、トランペットの賞を獲得したのだという。 ラジオヘッドやトム・ウエイツの曲目がレパートリーにあるのだそうで、1)では事実、ウエイツのだみ声を模した音をトランペットでゆったり演奏してECM調というか北欧のフォービートを奏でないモードで空間、静寂を探るのだった。 

そして、その静寂の響き、エコーを引き出そうとするのか、スタインウエーの中型コンサートピアノの上蓋を開け、そこにtpが向かい合いソロを取る場面ではフレーズの最後の音がピアノの弦に共鳴して電気を通す以上に好ましい音を奏でるのだった。 この空間に付き合いワサビや胡椒の味を利かせるdsは殆どがブラシでの奏法だった。

tpの入ったECMレーベルでは昔、Enrico Rava / Dino Saluzzi Quintet ; VOLVER / ECM 1343 831 395-2 / 1988年を時々聴いたのだが、ここでのサルッツイのバンドネオンに対するようにtpがメロディカをほんの少しだけ何かのテーマだけ吹いたのだった。 下記のサイトのサンプル音源でこのグループの一端を知ることが出来る。

http://www.tumrecords.com/cd005.htm



後半の舞台はオランダ若手の女性アルトがリーダーとなるグループである。

II) Tineke Postma Quintet

Tineke Postma (as. ss)
Rob Bavel (p)
Eduardo Righini (g)
Jeroen Vierdag (b)
Martijn Vink (ds)

1. Summersong
2. Comprehension
3. New Life
4. Goodbye
5. Song For See-Tee
6. Pomp It Up
7. For The Rhythm

encore : Caravan

この会場の空間は何の飾りもない、スタジオに客席を30弱の席を4,5列階段状に置いただけのホールではなはだ味気ないが音響効果がなかなかよく、最前列に坐っても奏者まで5mはゆうにあり生の音とスピーカーからの音が適度に交じり合う、思いのほかよく出来た会場だ。

ここに久しぶりに聴く若手女性アルト、ソプラノサックスのティネカ・ポスマが登場した。彼女が12月に日本に講演旅行に出かける前に聴いて以来だ。この日の曲目は本人が紹介したとおり、彼女のCDから摂った物で、立ち上げの昨年のコンサート以来何回か耳にしているがこのグループでds、gのライブは初めてだ。 CDではこのgは効果的な音を出し尚且つ、私生活でもフィアンセとして息の合ったサポートをする。 今回、特徴的であったのはdsの目も覚めるようなドラミングであった。 休むことなく空間に適当な刺激を与え続け、それぞれの曲の仕組みを知悉したところからは凡庸な音は出てこない。 それに加えて、このアルトの成熟振りがはっきり聴かれて嬉しい限りである。  ことにG.Jenkinsの名曲Goodbyeの熟し方には以前にはあった固い隙間が今ははっきりと自然なまろやかさに醸し出されている。

下記のサイトでサンプルが聴ける

http://www.tinekepostma.com/index2.htm
http://www.fiftyfiverecords.com/base.swf

 

茶の味 ; 見た映画 Apr. ’06 (3)

2006年04月15日 01時30分54秒 | 日常
茶の味 


製作年 : 2003年

配給 : クロックワークス、レントラックジャパン

原作・監督・脚本・編集 : 石井克人

出演: 坂野真弥
    佐藤貴広
    浅野忠信
    手塚理美
    我修院達也
    三浦友和
    土屋アンナ


妙な映画だ。 というのは、ヘンなといってもいいかもしれないけれど、郷愁と現在の屈託、それに私が嫌う「癒し」と言う言葉への傾斜が見られるからだ。 生煮えのオジヤを喰わされたような感じだ。 まずいと言うのではない。 食材は近頃稀に見る新鮮な様々なものだ。 例えば、失われていく大家族とはいわなくとも核家族プラスアルファで7人、それぞれの屈託が訳が分からないうちに画面に現れていく。 変わった家族、といった調子だ。 家族の奇妙な立ち振る舞いに何かと戸惑うだろう。 それに出演者たちの互いの関係が分からぬままに、ジグソーパズルを組み立てていくようにはじまって、徐々に部分相互の関連が露になる仕組みである。 

半分頭が呆けているのか怪態な言動の爺さんが、けれど充分家庭内では機能しているのだけど、いるのかと思えばその人も含めてそれぞれがすこしづつ世間からずれたように思えるときがある。 特徴的なのはこの家族には団欒の部分ではテレビが欠落していることだ。 戦後テレビが家庭の団欒を破壊していることは明白で、60年代からのテレビのホームドラマのなかで繰り返し見せられた似非(えせ)茶の間の団欒をみよ。 あれが奪った家族構成員間の様々なコミュニケーションの結果がミレニアムを越えて現在の日本の均等テレビ文化といわれる、巷に氾濫するものであるのだからそれがここでは見えないというのはテレビ文化の屋台骨を支えてきたCFを撮ってきた監督の逆説とでもいうべきものである。 ここでは戦前の家庭の雰囲気を示すようでもあるのだが、あくまでゆったりとしたなごやかな家庭ではあるように見える。 しかし、普通の家庭かといえばそうではなく、現代的なマスコミ、メディアと深く繋がっている事は歴然としてくる。 

この映画で一番成功しているのは、というより主役は、この家庭の置かれている土地環境だろう。 往々にして家庭ドラマでは都会の中の住宅地とか新興住宅地が舞台になりがちなのだがここではまるで黒澤の「八月の狂詩曲」の田舎の家の風情である。 黒澤の映画では都会から帰省する家族が老母の守る田舎として登場するのだが、ここではこの家族がここでしっかりと生活している。 けれど、収入の源は嫁のアニメの仕事、町の診療所で整体術を施し電車通勤する夫であり、農家ではないしこの村か町か判然としない土地にかかわる商店でもない。 

黒澤の例を引いたのは、この映画のさまざまなところで示されるCGの意図と効果についても類似がありそうだったからだ。 黒澤の「八月、、、」では話の中心となる、原爆、ピカドン、のイメージ、雲間にあらわれる異様に大きな目、はCGで表現され、それが人間を俯瞰する。 この映画でもそのような仕組みになっていて黒澤の映像と同様に違和感をもたらすのである。

夫の弟で家でぶらぶらする男がいるが、この男にしてもメディアに生息するミキサーという肩書きを持っている。 その下には家に住まず町で生活する漫画家のいかにもカリカチュアとして描かれる男もいる。 そういう意味では監督のうちわに近い材料でもあるが、なによりもここでこの世界に拮抗する大きな力となるのは田舎の風景であろう。 また特筆すべきはこの浅野忠信と川原で親交を結ぶ舞踏ダンスの森山開次のオレンジに身を包み自然の中で美しく動くよく訓練された肉体である。

ここでも桜の満開の林が示されるし、主に春の花々が美しくしめされる。 各シーンが印象深い。 それは浅野忠信出演の「水の女」でも幾つかの印象深いシーンがあったが、ここではこの家が置かれている周りの風景を丁寧に撮っていることから。まるで自然に抱かれて「癒され」ているというようなメッセージを示しているかのようでもある。 つまり、ここでは都会の喧騒は家族の崩壊、軋轢をもたらしがちで、こういった環境ではまだ、人はノスタルジックに生活することが出来る、といでもいうような安易なメッセージに導くかのようでもあるのだが、そこのところは簡単ではないようだ。

それぞれ、うちがわに何か持つような構成員なのだが、この映画の各所で思わずユーモアに知らずにやにや笑い、噴出してしまうような会話があるのだし、いわゆるしゃれたエピソードにも事欠かないのだ。

いずれにせよ、一番印象的なのはこの家族のもっとも普通にみえる、せりふにしてもなんの変哲もない三浦友和の父親である。 屈託を胸に日々の生活を送る現代の父親像が周りの人物の色彩の対照から浮かび上がってくる。

映像の美しさは特別である。 更に、DVDの付録の冊子にカラースチール写真があり美しいものだが映画の映像以上にこのうちのたたずまいを現実的に示すものである。 写真とライトに調整された動画の違いがはっきりと見るものにはわかるようである。

レンブラントのエッチングを150枚以上も見た

2006年04月14日 06時10分53秒 | 見る
家人が地元の美術協会に入っているものだから様々なギャラリーや美術館の案内が日々、郵便箱に入る。 時間があれば時々覗くのだけど、今年はレンブラントの誕生400年だとかでその案内が入って、レンブラントが生まれ育ち、修行して20代の半ばにアムステルダムに出るまで修行した町の美術館で一番早くから晩年までの主なものを一挙に150枚以上集めた展覧会があって夕食の後2時間ほど見に出かけた。

オランダに長く住んでいるるとレンブラントはあちこちで見るし、それこそ、ぞんざいに扱われていて驚くほどの展示をみたのはもう20年も以上前のこどだったが、さすがに近年は国内でも世界の文化財の意識が一層強くなったのかそれなりの展示がなされている。 パリ、ロンドン、ブリュッセル、ベルリン、ミュンヘン、カッセル、など等、様々なところで油絵などは見たがエッチングは美術の中でも地味な扱いで、華やかには扱われていない。 もう15年程前に数寄者が一つ欲しいと言ってそれを世話したことがあった。 油絵など何億円もするのだからとても手が出ないのは分かっているが、エッチングとなると複製美術でもあり、1630年代から精進してきて様々な意匠で本人もばら撒くようにして顧客の求めに応じ、自分の習作をも様々なインク、紙、特に中国紙、和紙をも使ったのも今回見たのだが、その違いをガラス越しに紙から5cmほどの距離でよく見てなるほどと納得したものだった。

昔、美術学校でそういうプリントの教師をしていて自身でも浮世絵のコレクターでもある知人からいろいろ教わっていたのでそういうことも役に立った。 その知人がオランダのテレビの骨董番組でもながく目利きをしていてレンブラントのエッチングを沢山持っている人に渡りをつけて交渉になったと記憶しているのだが、まあ、レン氏が生前自分でプリントし弟子たちにやらせ、没後は基になる銅版を持つ者がそれぞれの時代にプリントしてそれで儲けているらしいが、勿論、描かれた題材にもよるのだが、主に紙の種類で時代を判別し、大まかに言えば、それで値段が決まる。

インクと線の状態、紙、それが判断の材料になるのだが複製であるから値段はそれこそ17世紀から19世紀にプリントされたものまでたくさんあり、古いものほど値が上がる。 よっぽど信用でき、鑑定書の付いた物でないと、もちろん本物であるのはいうまでもないが、不当に高いものをつかまされたりする。

で、その数寄者の希望ははがきの大きさより少し大きいもの、18世紀前半までにプリントされたものだったのだが、値段を聞いて夫人が交渉に介入して、待ったをかけた。 代価が新車1台分ではこれから日本に帰ってからは歩いて暮らさねばならないとと言い、夫人に頭の上がらない数寄者はレンブラントをその光と影のかなたに涙をのんで残して日本に戻った。

そういうことをヘッドホーンの解説を聴きながらそれぞれのエッチングに鼻を擦りつけんばかりにして眺めていたときに思い出がよぎった。 

初めてレンブラントの名前を知ったのは学生時代、野間宏の小品「暗い絵」だったかと思う。 これには捩れが幾つもある。 実際は私のイメージでは暗い絵はレンブラントであるのだが、野間の作品でピーター・ブリューゲルであり、さらにはこの作品はブリューゲルの題材、また、その印象とは関係なく日本の社会、人間のあり方が問題となっているものだ。 だから、それであれば光と影、闇の画家のレンブラントがマッチすると思っていたものだ。 ブリューゲルもあちこちで見たのだけど、ヒエロノ二ムス・ボッシュならまだしもブリューゲルでは解せないところがある。 ただ、社会主義者の野間の農民画家のブリューゲルということで繋げようとするのであれば強牽が過ぎるように思ったものだ。 けれど、それもかなり前のことで今となっては記憶も定かでない。

それはともかくとして、この25年様々なところでレンブラントを見たが、油絵を初めてみた印象は今でも変わらない。 近くで見るとその刷毛の動きが、印象派のもので17世紀の彼の同時代のものとは思えない。 それは自己を完成してからの作品のことで若描きのものは同時代の画家の様子もうかがえるのだが、後年の闇、影、光のなかに浮かぶ様々な人物、様々な意匠は抽象画に向かうものだ。

職業画家であるのだから、注文のポートレート、宗教的なもの、個人の記念碑的なものが多いのだが、今回のレンブラントの軌跡をエッチングで辿るのは興味深いものだった。 特に人物の顔が馴染みの女性、男性像があらわれたり、当時の人物の顔つきも面白く、裸像では裸婦の見方、当時の美観が写実に現れて、ある意味ではひきめ鉤鼻、の日本中世の美観を現代に見せられるのと対照的なようなものだと、これも牽強付会と言われそうだが例にする。 それに、一枚の銅版にいくつもの人物の動きをスケッチしたものはそれから200年もあとで東方の島国で広重や北斎が描いた市井の人々の姿に比せられるようだ。 だた、エッチングの人物像が初期には往々にして頭と体のバランスに不都合があったのには、ゴッホの人物のバランスに比べられるようで誠に興味深いものだった。

その点に関してはレンブラントよりも200年ほど前に活躍したアルブレヒト・デューラーの、意匠は別にしてドイツ的バランスに両国の典型を見るようだ。 勿論、デューラーは銀細工師を父親に、レンブラントは粉引き風車守をと生まれの違いもあるのだろう。

この展覧会で一番新しくコレクションに加えられたものとして解説されていたのははがきの半分あるかどうかといった大きさの中に描かれたブリューゲル的題材だった。 中世の小麦を刈り取る農夫を背景に背丈ほどの実った小麦の葎に女を押し倒してことに励む僧の姿である。 解説では、僧の聖書を葎に押し込んでそのそばの地面におしつける僧の腕、指の角度に佳境に入るようすが伺われる、とヘッドホーンから流れるのだが、それを見るために皆が鼻を押し付けるばかりに眺める様子がおかしい。 いつだったかもっと露骨な小便をする夫人、というレンブラントのものを見たのだが、これは実はもっと奥の深い、大便をも付け加えたスカトロジーの世界的なもので、これをも同時に展示していればもっと面白いものになっているのに、とも思ったものだ。

階下ではレンブラントに触発されたといわれるピカソのエッチングが13,4枚展示されていたが以前に何回か見たこともあり、今回は見る気もしなかった。 入り口の職員と立ち話をしていて日本語の解説も準備中らしいが、近年は韓国人、それに加えて中国人の観光客の数を皮算用していると聞いた。

そのあと9時前に美術館を出て一旦うちに戻り車でハーグのジャズカフェへ出かけた。 ハーグのオランダ首相の執務室の隣にレンブラントやフェルメールを納めた美術館があり、そのすぐそばに駐車してカフェに向かうほぼ毎週のルーティーンとなったのだが、さすがに、この日は歩くところから10mも距離を置かないところにレンブラントが何枚も架かっているのだなあ、と日頃は意識しないことが浮かばれたのだが、人通りがない美術館の通りをあるくと一層、濃い闇が迫ってくるようだった。

全て世界は事もなし

2006年04月12日 07時17分12秒 | 日常

風呂に入りながらBBCのワールドサービスの中波ラジオを聴いていて今日のニュースで、日曜日に投票があったイタリアの首相選挙でベルルスコーニが破れた、ということはもう今日のニュースではないのだけど、それに加えて5%ほどの差だそうで、それに彼が承服しかねて敗北宣言をしない、不透明な開票事情があるから数えなおしをしろ、というようなことを言っているような。 ばかばかしい、何年か前のブッシュと同じ猿芝居を繰り返しそうだ、とのコメントだった。

あのときはフロリダ州の、弟が州知事をしている選挙区でややこしいことをしてもみ消した、という疑惑があったのだが、結局、対立候補が敗北宣言をして納めたのだった。 それで、アメリカの結果がほらみたことか、世界に眉をひそめさせる結果をもたらすことになったではないか。 阿呆な政治方針で気の毒な人々が世界に溢れることとなったのだが、結局アメリカが育てた独裁者をつかまえて、大山鳴動して鼠一匹、状況はなにもよくなっていない、歴史の後退ではないか。 

このイタリア選挙でベルルスコーニがシシリアを再検討しろといったとか言わなかったとか。 そうすれば5%の差が盛り返して2%ほど優勢になって勝利するとでもいうのか、ばかばかしいことだ。 ブッシュに倣うのであればそうなりかねない。 

シシリアはマフィアの本拠地であり、どういう関係があるのかもう20年以上も指名手配になっていたマフィアの大物ボスが、かのコルレオーネ一家に関係して捕まった、というニュースも今夜、テレビで報じられていて、そのごく普通のぼってりとした風貌のおっさんに家内が、「あれえ、着てるのアルマーニじゃないんだわ、あれじゃ、私の姉の嫁いだシシリアの田舎の農家のおっさんと同じじゃないの」と笑ったものだ。 何年か前にもマフィアのボスが捕まって檻のなかから裁判をうけている映像がニュースでながれたものだけれど、そのときも普通の左官屋の叔父さんの日曜日の服、という感じで拍子抜けしたものだ。

大体に我々のイメージはアメリカ映画の「ゴッドファーザー」に毒されているのか、本家、シシリアでは普通の叔父さんの風貌が官憲に気づかれなくて一番いいのだろうか。 実際、その地区の検察庁のマフィア撲滅担当検事が肩入れする商店街が爆破されたニュースは昨日のことだったのだから、あれは最後の悪あがきだったのだろうか。 それにしても作られたイメージというのはあてにならないものだ。 それではアメリカのマフィアのボスの贅沢は何なのだ。 アメリカの政界、官憲が腐敗していてマフィアは必要悪と共存しているのだろうか。 本家のシシリアではなんでもないおっさんでニューヨークやシカゴではマーロン・ブランドやアル・パチーノだろうか。 どうも虚飾のような気がするが。 オランダの二十数人殺しを指図した麻薬で儲けた成金が捕まったのは数週間前だったのだが、これは一代限りの成金のようで、一家とかファミリーという風にはなっていない。 個人主義のオランダらしい現象だ。 この人もアムステルダムをスクーターに乗ってあちこちのクラブに出入りしていたようで華やかな血と薔薇と酒肉の生活を送っていたようだ。 それじゃ、日本はどうだろうか。 いまどき日本のやくざ映画のイメージ、まあ、60年代の仁侠映画のイメージを信じる古風な者はいないのだろうが、現代やくざというのはどんなものなのだろうか。 フィリピンを通じて銃器の運搬をしているものが捕らえられて抗争の準備だというきな臭いニュースがあったのは最近のことだ。

ここでさっきのベルルスコーニ首相と日本の現首相が重なる。 ベルルスコーニの金、権力の許にあるどす黒いものとそこから地球を半分まわった極東の、それも今日のニュース。 首相になりたい小沢一郎率いる新生(?)民主党がこの秋、政治体制を再編して現首相に「仕掛けてくる」と現首相が言ったとか言わなかったとか、その言葉にさすが、祖父の背中に倶梨伽羅モンモンがはいってかなりそのあたりを仕切っていたという人の孫だと思った。 昔、元首相を何人か出した地盤が上州戦争とやくざの出入りに譬えられたこともあり、その片一方がまだ高齢にもかかわらず時々ニュースにでる自民党であるので、なるほどこの前の大戦の枢軸国の2/3だと納得した。

タイの首相選でも見事当選した前首相が「タイのベルルスコーニ」と譬えられているらしいがさすがタイ大衆のデモに退陣すると宣言したとかしなかったとか。 

それでは日本の現首相は他の国から、日本国民から何と譬えられているのだろうか。

昔、日本はアメリカの男妾、といわれたことがあったが、まだ、それは通用するのだろうか。 まあ、ヤクザというのは時の権力といつも通じていたものだが、やくざが首相になったらこれはどうなのだろうか、媚び従うその上の権力となると、、、、、
戦後60年代に言われた例えはまだ健在なようだ。

全て世界はこともなし。