暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

鬱陶しいのは空模様だけではない

2007年06月28日 10時03分29秒 | 日常
この二週間ほどよく寝られない。 というのは自分の体調のことではない。 原因がまだはっきり確認できない息子が体の不調、特にクスリでも抑えきれない腹痛が夜中に起こって救急病院に連れて行ったり、その後、検査のために大学病院に出かけるような生活で睡眠時間が不規則になるからだ。 

普通の生活をしている親であれば朝8時に起きるのは何でもない。 しかし、何もしないで午後に起きる生活をしているものには不規則になりがちでリズムが狂いがちになる。 そしてそれをいうのは親としては誠に身勝手なことだ。 辛いのは痛みを持て余して眠れない子供のほうなのだ。 

子供が苦しんでいるのを手をこまねてみているしかないというのはつらいものだと初めてここに来て親らしい苦しみを味わった。 この歳までそういうことを知らなかった、というのは子供たちが小さいときから健康で、多少の怪我はあったものの薬で抑えられないような苦しみもなくほぼ成人した今、子供が今までに見たことのない弱り方をしているのを見るからでもある。 それに加えてこの2週間で何回も大学病院に通い、何回か色々な検査をしそろそろ20人近くになる数の医師に見立ててもらっても原因、病名が特定できず鈍い痛みが取れない子供を見ていて自分の無力さが辛いのだ。 唯一幸いなことはほぼ定年で時間の自由がきく身であるからいつでも付き添って病院にでかけられるのでそれで親の格好が何とかつくのだがここで使い古されてきた言葉が頭をよぎる。

子を持って初めて分かる親心、であるのだが、それは両方のベクトルを向いている。 一つは自分を育ててくれた親の気持ち、もう一つはこのような状態のときの自分の子供に対する親としての心の状態である。 恋人や配偶者はかけがえがないが子供はとりわけかけがえがない。 それを思い知らされるのがこういう場合だ。 

この二週間で大学病院の待合室では様々な人が観察でき、その誠に施設が明るく整った病院は健康な者にはスマートな場所なのだが問題を持つものには鬱陶しさがなかなか消えないところでもある。 今日血液検査に時間がかかり別の検査のための場所に行くと本日の診療終わり、だった。 明日昼前に再度そこに戻らねばならぬ。

空も心も青空が戻るまでにはまだ少し時間がかかるようだ。

ここは15度シシリアは45度

2007年06月27日 09時55分26秒 | 日常

昼前に目を覚ましたのは膀胱に溜まった小水のコールだけではなかった。 夏だというのに掛け布団の隙間から冷気が感じたからでもあり、起き出してコーデュロイのズボンにシャツ、セーターという夏以外の服装に戻ったのであり、毛糸の分厚い靴下もつけてとてもキッチンに向かうとこの温度では普通のトーストでは間に合わず、暖かい朝昼兼用の食事とワインで暖めながら窓の外を眺めると相変わらずの風が強い準スオペクタクルの変化に富む天気だ。

予報の通り外気の温度は高いところで15度だそうで室温は20度にはなっているものの鬱陶しさが堪らず、こんなときには体を動かすのが方策とオランダのラジオが言うのをネットで聴きながら午後を長らくしなかった屋根裏部屋の整理ですごした。 

机の周りにうずたかく重なった本、紙の類、数百枚のCDと同じく録画してあるヴィデオカセットの中で古本屋に出す書籍を選んだのだが一向にはかどらない。 長らく目を通さなかったものにいちいち引っかかり散らばったものが一層ひどくなるようだったのだが、或るところで諦めて残すものと売り払うものを種別けしたら少しは空間ができた。 けれど窓を激しい雨が叩くのは相変わらずだ。

相変わらずといえば、下から娘の晩飯コールがかかればメニューは相変わらず七面鳥の酢豚風だ。 これをこの4ヶ月で10回以上は腹に入れさせられている。

食後どうしたことか日が差して青空さえ見えた。 そこで垣根の延びた枝葉を剪定鋏と梯子を使って耳にはジャズCDで70分ほど過ごしたのだが、その後、1時間ほどしてまたもや大雨が降り始めている。 ニュースではイギリスに洪水が起こり何人か溺れ死に、甥や姪が住むシシリア島では45度を越し熱死するものまで出る始末だと報道されていた。

夜中になっても様子は変わらない。 週末あたりから20度まで戻るとの予想らしい。

年寄りたち

2007年06月26日 13時09分09秒 | 日常
我が家のトイレの壁に日めくりが懸かっている。

懸かっているのは日めくりだけではなくカレンダーも懸かっていてこちらの方はオランダの普通の家庭のトイレと同じくその年、もしくは月々の30余りの余白には家族、親戚、友人、知人の名前と生年が記されており折々にそれを眺めては、ああ、また誕生日のパーティーだな、ええと、プレゼントは今度は何にするかな、、、と沈思黙考、ロダンの考える人ポーズをとり本来の目的を暫し忘れることにもなるのだが、それはそれとしてこの日めくりだ。

毎年暮れが近づくと12月5日のシンタクラース祭(オランダのサンタクロース、いやサンタクロースが世界のシンタクラースといった方が正しいだろうか。 これがサンタクロースの元になっているのだから)かクリスマスのプレゼントにこの日めくりが我が家に届く。 もう70を幾つか越したオランダの一こま漫画家、ペーター ファン ストラーテンの日めくりである。

Peter van Straaten (Arnhem, 25 maart 1935)
http://nl.wikipedia.org/wiki/Peter_van_Straaten

我々の年代に大体の焦点をあてて様々な人間の相を描いているようで、これをめくるたびに、味にはいろいろあるように、人生の味を濃淡甘渋様々な笑い、ユーモアに表してある。 必ずしも年端の行かぬ我々の子供たちには理解できないこともあるようで時々子供たちが家人になぜあれが面白いのか訊ねているところも見ている。

絵とキャプションの組み合わせであり、絵だけで示すこともたまにはあるものの、大抵キャプションがここぞと笑いを引き出す引き金になっている。

ここでは「ああ、なんて古臭い年寄りたちよねえ」という20-40代の二人の婦人の台詞が付けられているのだが、ここで気づくのは実際に四半世紀前にはこのような婦人たちの少々呆れたような笑いが出なかったことだ。 このような服装の年寄り夫婦をしばしば見かけたものだ。 しかし、60年代のヒッピー世代以後服装は変わり、私がオランダに来た80年には当時の40歳代までの服装の好き勝手さに驚いたし着たきりすずめでも誰にはばかることのない服装にはそれまで日本で毎日スーツ、ネクタイで暮らしていた生活からはここで鎖を解かれた感じがしたものだ。

しかし、一方、現在70を越した年代には公衆の場でちゃんとした服装を、という意識は抜けていない。 それは日本では殆ど比べられることのない宗教文化からでもある。 すなわち土、日の教会礼拝時の服装である。 実際今でもこのような服装は充分見られるし、何ヶ月か前に夫婦で自然遊歩道を歩いてたまたま日曜の礼拝時に田舎の教会近くを通り過ぎたときに礼拝に向かうこのような夫婦を多く見かけ時計を巻き戻した世界に来たような意識を持った。

町と田舎の違いであるのだが、町の中でもたまにはこのようなもう80をとっくに越して90にも届いているだろうかというような人々を見ることがある。 その人たちの意識で今の人々の服装を眺めるとどのように映るのだろうか。 諦めということがあるのだろうが必ずしも肯定的な意見を持つものではないだろう。 60年代から考え方を掻きまわされて来た年代にはほぼなんでもあり、というような考え方があるものの、この年代の人々には年の移り変わり、戦争を経験して、他人は他人でも自分はこうでなければならない、というようなものがあるようだ。

だから、ここでは今時の婦人たちが「なんともはや、今でもああいう人たちいるのよねえ」と笑うことの価値観の変遷とともに、生き残った年寄りの中に、そういう過去を知らず、知ろうともしない若い世代に対して「今の若い奴らはのう、、、、」という、彼らの渋い顔のしわの間に苦い笑いをひそかに隠して孫たちの世代が動かす社会の中を化石のように生息するのが見られるかもしれない。

一方、日本ではどうなのだろうか。 このように正装して日々を暮らす年寄りがゆったり歩き回る街は保障されてはいないだろうし、都市の公共交通機関の朝晩のラッシュアワーは老人排除の空間であると聞くこと以上に、年寄り自体が夫婦で正装して街の中を普通に歩く光景は普通のこととして見られないのではないか。 それは繁華街だけというのではない。日常に正装もしくは「ちゃんとした」服装で暮らす老人たちが生息しているのかどうか、ということでもある。

この絵の老人たちを瞬間移動マシンで日本の都会に連れて行ってみたいという想いがよぎる。

グレープフルーツの皮を剥く

2007年06月26日 12時04分57秒 | 日常

私は小さいときから柑橘類が好きで日常よく口にする。

大阪南部で育ち、柑橘類が豊富に周りに見られるような環境では子供の頃は殆ど柑橘類は買うことなく周り、親戚からまわってきたもので用を足していた。 今でも思っただけで口が萎み奥から唾液がでそうな極度にすっぱい夏みかんも口にした。 八朔は甘い部類に属す。 もっとも、農家の叔父叔母たちは新鮮で誠に酸っぱいものは玉葱に甘みをつけるためにその頃は手袋もつけずに直接牛糞を肥料として畦の若い玉葱の間に施したあと荒れた手を酸で中和するのだと言って夏みかんの果汁で洗うようにしていた。

ミカン山では甘みをつけるために海で大量にとれた鰯を肥料にしておりものすごい腐敗臭を漂わせているところもあったのだが魚のリンが甘みをもたらすのだと聞いた事がある。

70年代の初め四国のミカンどころの町で学生時代を過ごし、そのころに日本が米国と貿易摩擦の解消策の一つとしてオレンジを自由化して輸入することになりそれまで保護されていたミカン農家がそのあおりで首を吊るような者がでるようになったとニュースで報道され始めた。 その後まもなくして甘みの強い輸入オレンジを口にすることになるのだが、同時にそのころ初めて苦味と甘みの混ざったグレープフルーツという柑橘類の果実を口にしたのを覚えている。

その頃にそのキャンペーンの一環としてどのようにグレープフルーツを食べるかというような手本として細長いアイスクリーム用ともみえるスプーンもみられ、そのスプーンの先が3つほどに割れてその中の一本の先がどういうわけか尖ったものだったように記憶するが、それは西洋で一般的な、グレープフルーツを横一直線に二つに切り、中心から放射線状に広がる粒の断面からスプーンで果肉を掬い取り口にいれる、というものだった。

それに対抗して甘い八朔のキャンペーンに、ミカンのように皮を放射線状に剥いて中から実のボールを取り出すための、先が鉤状に尖ったプラスチックの小片をもらったことがある。 八朔は皮がミカンのように柔らかくはなく簡単に親指を入れて剥くわけには行かないから厚い皮にプラスチックの小片で切れ目を入れてそれから親指を使って剥く、という方法だった。 先ず、5mmほど鉤になった部分を地球で言えば北極圏の上方とも言えるあたり、八朔の頭を中の果実の袋を傷つけない程度に輪切りにして白い内側の皮が見えたら再び鉤で八朔の表面に南極方面に経度を記すのだ。 それで小さければ八つ、大きければ12ほど皮に切れ目をいれて果肉のボールを中から取り出し薄皮を剥き袋から一つづつ果実を取り出して食べる、ということを習ったようだ。

それは70年代ではなく60年代の終わりごろ、高校生のころだったかもしれない。 ともかく、その方式で八朔に慣れていたから初めてグレープフルーツをスプーンで食べる経験をしたあともグレープフルーツをスプーンでちまちまとほじくる食べ方が気に入らずオランダに住んでからも八朔方式、ミカン方式でグレープフルーツ、オレンジを食べている。

子供たちも小さいときからこの果物が好きでよくこのように剥いて食べさせていた。 オランダ人の妻は相変わらずキッチンナイフで横一文字の胴切り、スプーン方式である。 

今日何気なく各自が好きなデザートを摂った後、高校生になる娘の食べ終わったグレープフルーツを見たら私の八朔方式になっていた。 別に教えたわけではないけれど日頃見ていて覚え、それがきれいで丸ごと果実が食べられる合理的な食べ方だと悟ったからなのだろう。

梅雨かと思わせるような雨模様だ

2007年06月26日 06時37分17秒 | 日常
この数日雨が続き庭の植木に散水をしないで済むので助かるし暑い暑いと言わなくとも済むので悪くはないと喜んでいるのだが外に出る子供たちや家人には評判が悪い。

日本の梅雨と違うのは降り続くということがないことだ。 雲の動きが案外早く、雨が一挙にザーッと1時間も降ればそのあと小ぶりになり青空も見え雲の切れ目から日差しさえも出ることだ。 夕食時には外は叩きつける雨だったのにもかかわらずニュースでイギリスでこの雨のため浸水するところが出たのが報道されているのを見た後、台所で洗い物を済ませた10時ごろには青空が少し出て、これを幸いと40分ほど運河沿いをジョギングで公園まで出かけ運河の向こう側を戻ってきたのだが、それで4kmほどになると思うがそのあとシャワーを浴びているとまた外で雨がバルコニーを叩いている音が聞こえるという有様だった。

ジョギング中もまだ明るい夕方の空を雲が動いているのが見えたが遠く西空が暗く見えてそのうちまた降るな、とは天気予報の雲の動きから想像できたのだが天気予報の概況として伝えるとおりこの数日間の空は秋の天気だそうだ。 気温も日中15度前後になるらしい。 地中海地方では45度になっているところもあるそうなのだが当分はそういう天気はうらやましくはない。


西部劇二本、シャンハイヌーンとバンドレロ

2007年06月25日 13時50分44秒 | 見る
シャンハイ・ヌーン

2000年

出演: ジャッキー・チェン



Bandolero

1968年

監督: Andrew V. McLaglen
出演: James Stewart
    Dean Martin
    Raquel Welch
    George Kennedy


オランダに住んでいてテレビで西部劇をみることはあまりない。 西部劇自体60年代から70年代にかけてほど製作されない、という事情もあるのだろうけれど、古い60年代のものはオランダのテレビ局では殆ど見かけない。 たまに放映されるとしても大抵は80年代以降のものだ。そして隣国のテレビ局ではフランス、ベルギーも同じようなのだが、イギリスやドイツは古い西部劇も好きなようだ。 だから時々、週末の午後や深夜に古いものをデジタル化して色を鮮やかにしたものなどを放映していることがある。

この日はイギリスBBC局で夜から深夜にかけて西部劇を二つ流しており、それをなんとなく見てしまった。 普通、ジャッキーチェンのものはみないのだが西部が舞台だからという理由だけでテレビの前に座ったのだが残念なことにこの中では西部が見えない。見たことはないのだがこの人の映画の中には香港や中国はみえるのだろうか。 

バンドレロを見たのは製作されたのが68年ということとジェームス・スチュワートとディーン・マーチンの組み合わせだったからだ。 話の筋も特別なこともなくチェンのものと同じくB級映画して一週間もすれば忘れ去られるのだろうが少なくともこちらのほうでは西部劇の定番、ぽつんと蟻の集落のように町が広大な風景の中に点描として示される場面もあるように西部の荒野がある。

マーチンはここではアル中や女たらしを演じるわけでもなく、ごくまじめな悪者を演じて少々醒めた感じをもつのだがそれに比較してそろそろ中年から老年に入るというスチュワートのおぼつかなさの混じった演技には好感をもった。 そのおぼつかなさ、寄る辺なさはスチュワートの持ち味で字幕や吹き替えではなかなか味わえないのではないか。 基本的にはスチュワートは田舎のニンゲンであるし、洗練からは程遠いのだが西部劇の英雄で眼差しと台詞回しでこれだけおぼつかなさを表現できる人は他に誰がいるのだろうか。 また、スチュワートが請負死刑執行人になりすまし弟のマーチンを救出すべく町に現れすあたりの言葉使いと地の台詞の差異にユーモアが漂うのがこの映画の救いになっている。 まったく性格は違うのだがイーストウッドの西部劇の一つでロバに乗った尼のシャーリー・マクレーンが醸し出すユーモアがそれに比較できるかもしれない。

この日の二つの西部劇は話やプロットではどちらも幕が降りるときにはまことに都合のよいものに作られていてなんということはないのだが、まだその時代のニンゲンというものが少しでも形になって現れているという点では68年製の古い中庸娯楽西部劇の方をとる。 西部劇に娯楽性以外に何を求めるのか、という人にはどう答えればいいのだろうか。

さて、運動かあ

2007年06月25日 12時01分43秒 | 日常
ここ何ヶ月も金曜日は何やかやあって、といっても殆どが午後に起きる生活をしていると去年まで規則的に通っていた公営プールの爺さん婆さんレクリエーション時間に間に合わなくて結局ずるずると家で他の事をすることになるので殆ど運動らしい運動はしていない。

だからそういう運動不足感が心のどこかに澱として沈殿しているのか毎週土曜日、青空市場開始点の古レコード屋に入るたびに向かいのマラソン専門店が気になっていた。

ジョギングをやめてもう何年になるのだろうか。 今高校生の娘がまだ小学校の低学年だ頃だろうか家の前の運河にかかった1kmほど離れた橋を巡って一周2.3kmほどを一週間に一度ほど走っていたのだが2回廻るのは大変だし、一周だけならやっと汗が出始めたところでおわって中途半端だというのもあったものの、そのうち体重が足にかかりすぎるのか痛くなりやめてしまった。

走ること自体は自転車道であるから車が来ないし危険も突然の驚きもなく安心だったのだが自転車道であるから舗装されている。 当たり前のことだ。 そのときこれほどアスファルトが足に硬い、ということを感じたことがなかった。 というより、そのように感じたこと自体が体が重過ぎて負荷が足に危険信号を送っていたということなのだろうがが、そうなると走っていても足は自然に舗装を避けて道に沿った草の部分を走るのが多くなった。 

私たち夫婦はどこでも時間があれば二三ヶ月に一度は泊りがけでリュックを背負って歩くようにしているのだがウオーキング専用の靴底の厚いものを履いて歩くし、その折は大抵歩行者だけの道をガイドブックなどから選んで大体一日25kmを限度として歩くのだが好きなのは舗装されていない道を歩くことだ。 短い距離なら何ともないのだが舗装道路が何キロも続くと自然に足はたとえ20cm幅ほどでも路肩であっても、あればそういうところを選選んで歩くようになる。

どうしても自然道がなければ仕方がないのだが足が楽な方へ、という自然の快楽原理に従うのだろう。 それは私のように中年を過ぎて体重が増えた男だけではないようだ。 家人はジョギングはしないし特別な運動は若い頃からした形跡がないけれど肥ってはいない、むしろ私は彼女に肉を付けさせようと自分の自制の意味をも込めて自分が料理するときに私に配分されるべき分の肉を彼女の皿に振り分けているのだがそれでも肥らない。 その彼女でも舗装道路と草地が平行していれば草地を選んでいる。 

家人はこのごろ食卓でも私と子供たちをけしかけて一緒にジョギングをするよう仕向けることがある。 50も半ばを越した太り気味の父親と毎週二回は厳しいトレーニングに励む高校生たちとのジョギングである。 とてもではないけど勝ち目がなく途中で日頃の父親に対する鬱憤を晴らすためいろいろな手を使って馬鹿にされるにきまっているので挑戦も何とかかわしたのだが口を滑らせて、いい靴があればそのうちにやってもいい、と言ってしまった。

自分でもそのように思っていたから持ち前の気まぐれでこの半年ほど毎週ちらちらと見ていたマラソン専用店に入って経緯を話し適当なのを選んでもらったのだが考えてみるとこのような靴を買ったのはもう20年以上前のことになる。

家人と知り合った頃、彼女が住んでいたコンミューンの村の農道をジョギングするために買った、白地に薄青色が入った、ふちを皮で覆った運動靴だったのだがそれでその近所の子供に自分と遊べるようにテニスを教えて村のコートで遊んだり、結婚してからはヴァカンスに行くときにはいつも荷物の中にそれが入っていて町の中を歩くときには使っていたように思う。 だからドイツ、フランス、オーストリア、ベルギーにスカンジナビアの国々、デンマークにポーランドなどではこの靴で歩いているはずだ。 けれど、日本には持って行ってなかったような気がする。

今日、庭のテーブルに置いた新旧の靴を見ていて家人が言うには、古いのは20年も使っていて穴はあいているけど底はあんまり磨り減っていないからあなたの運動も多寡がしれているわね、だったのだが、しかし、待てよ、それもそんな様な気もするけれどそれだけではないような気がするとも思ったのだ。

仕事や日常で靴履きの生活なのだが大抵革靴だ。 だから二年弱で履きつぶすか靴底を直して3,4年で同じようなものに交代させることとしている。 若者たちはスニーカーや運動靴が多いからそういう靴は減りがはげしい事となるのだが、私の場合は運動靴は街中で長時間歩く様な時とジョギング程度だけしか使わなかったからその分使用時間が短くその分磨耗が少なかったのかもしれない。

何れにせよ、この20年ほど使ったと一応言える、このあまり古ぼけてはいない靴だが新旧交代の意味を込めてつらいながらも廃棄処分した。 まだ路上に下りていない新しい靴が同じ運命をたどるのは何年後なのだろうか。 20年後だとすればそのときが見ものだ。 

雨で思い出したことがある

2007年06月22日 16時01分57秒 | 日常
車でスーパーに買出しに行っての帰り降られた大雨で渋滞する車のなかから眺めていて思い出したことがある。

もう四半世紀以上前にオランダの北国グローニンゲンとかフローニンヘンといわれる町に住んでいて、丁度夏至が近づいた今の時期、夕食後何時間も明るいことをいいことにサイクリング用の自転車で何時間も田舎道を走り回っていた。 地平線が見えて広々とした牧草地には風の音、小鳥の囀り、牛が草を食む音ぐらいしか聞こえず、田舎道を遮蔽するものが何もなく遠くにこんもり見える木々の塊はあたかもに散らばる島かと見まがう農家の周りの林でたとえそこに雨宿りしようとしても公道から私道に入り時には1kmは入らなければ届かない、というようなところだったから急な夕立や豪雨にあっても遮蔽するものは何もない。

オランダ北部やこの100年ほどで干拓されたアイセル湖に面するフレボランド・ポルダーは特に広大な景色が広がっているのだが他の田舎で育った子供たちもこのような風景を時には10km以上毎日自転車で通学することが普通である。 私のように好き勝手なときにサイクリングの途中に雨に遭いびしょぬれになるのは、日常このような通勤通学をする者にとっては何事のものでもない。

初めて廻りに何もないところで夕立にあった経験で学んだことがある。 それは別段複雑なことでもなく案外あっけないものだったのだが、それまで雨に降られたときには大抵雨具の準備もあり無くても簡単に雨宿りが出来たことから無防備なまま体の芯までびしょぬれになった経験がなかったので大海に放り込まれた気分だったから、そこですることは単純に目的地に向かってべダルを漕ぐことだ。 大げさに言えば助けてくれるものが何も無いことを自覚して覚悟を決め、地平に向かって自分の住処まで10kmか20kmか、何も期待せずただ何事も無いかのごとく漕ぎ続けることだ。

それが田舎の子供たちの日常で雨が降っても風が吹いても、特に、このような平らな国では風の向きで体力の消耗度が格段に違うから、まさに背に風を受け、という快感がある反面、向かい風でこのような距離を雪が降り凍る日々にも日常のこととして受け入れて成人するのがオランダ気質を形成するのだろう。 我慢強く泣き言を言わず着実に目的に向かって単純作業に励む。 それも昔からの船乗り気質とも共通するだろう。 足腰が日頃の自転車で強くなる、というのはあながち肉体だけでなく精神の足腰、スタミナの強さにもつながるのかもしれない。

このように考えたのは叩きつける雨の中、交通渋滞の車の中から眺めた風景の中に15,16歳ぐらいの娘が道路に平行した自転車道をびしょぬれになりながら長距離サイクリング用の前かがみの姿勢をとりながら普通の自転車で急ぐ様子も無く通り過ぎていくのを見たからだ。

山が無い、というのはこういう精神状態をつくりだすこともあるものだなあ、との感慨をもった。 あきらめない、という気質でこれは、仕方がないということの対極にある。 多くの人が、古くはアイセル海を半世紀ほど前に堤防で堰き止めてアイセル湖にした30km以上ある一直線の堤防をマラソン、徒歩、サイクリングで行ったり来たりして楽しんでいるが、それは私の好みではなくここを通るたびに車でよかったと思うのだし、私の知人の一人は北部フリースランド州から来るときにはこの堤防をカワサキのレース仕様バイクで走るのだが堤防の上は平均時速200kmでネズミ捕りを気にしながらハンドルレバーを握るのだそうだ。 彼はそういえばどのような少年時代をすごしたのだろうか。 町の人間なのかも知れない。


男の出発(たびだち) ;見た映画 June 07 (2)

2007年06月22日 10時19分38秒 | 見る

男の出発(たびだち)
THE CULPEPPER CATTLE COMPANY

1972年

93分

監督: ディック・リチャーズ

出演: ゲイリー・グライムズ
ビリー・グリーン・ブッシュ
ルーク・アスキュー
ボー・ホプキンス
ジェフリー・ルイス
ウェイン・サザーリン
ジョン・マクライアム
マット・クラーク
レイモンド・ガス
アンソニー・ジェームズ
ローヤル・ダーノ
チャールズ・マーティン・スミス

砂塵と硝煙のなかに、若者は見た! 鼓動する大いなる西部の魂を……
そこには汗と拳銃の感触がある 紅い仁義のめぐり逢いがある! 荒野をめざして羽搏く一人の男の 新しき《出発(たびだち)》が…ここに始まる!

と、映画データベースに解説が出ているがこれではこの映画の製作意図が反映されていないような気がする。 この煽るような宣伝文句に惹起されて見るものには少々の失望を招くだけだろう。 製作者の意図はもう少し別のところにあるのではないか。 第一、邦題にその岡目八目が現れているのだが原題の意図するところを汲んでいない。 西部劇を愛するものには、鼓動する大いなる魂の鼓動を、というのはこの時代の西部劇に対する半可通である。 ここでの若者はCompanyを訪れて去る狂言回しで当時の若きアメリカシネマの或る主張を若々しく商業的に合致できるよう上手に群像を配置して世界を提示し暴力に振り回される現実をどう捉えるのかを問うものであるからだ。 

少年を配して暴力をどうするのかが保守的な映画でさえ当時のニューシネマの直接、間接の影響を受けているとおもわれる例を思いつくままに挙げると、近代西部劇の黎明から黄昏まで大スターであったジョン・ウエインの晩年、自分が癌に侵されもう長くない、と西部劇で同じように癌に侵され死に行く老ガンマン役で幕を引き同じく西部劇でスターになったジェームス・スチュワート、ローレン・バコールの好演が見られる1979年、ドン・ダーティーハリー・シーゲル監督「The Shootist(ラスト・シューティスト)」でのロン・ハワード演じる少年と比べてみるとよい。 出だしは少年がガンマン、カウボーイにあこがれ、社会の嫌われ者、ガンマン、カウボーイに添って学んでいくという物語のパターンが見られるからだ。


私は子供の頃から、西部劇で育ってもうかれこれ50年近くいろいろ見てきてたのだがそのころのテレビ映画から荒っぽく分けるとこれは若きイーストウッドがカウボーイだった「ローハイド」の方に色分けできるだろう。 もっとも「ローハイド」も私が好んだ「ララミー牧場」もモノクロで、色はついていないだけ90年代に一時期アメリカンコミック風なカメラワークで製作された西部劇の迫力ある色よりもモノクロが色を語っている。 それはカウボーイが家畜を売るために引き起こす、もしくは必然的に巻き込まれるトラブルをどのように解決するかというロードムービーであることで定点観測風に擬似家庭を通じて男ばかりの西部劇の「ララミー牧場」とはトーンを異にしている。

この映画は70年代に製作されたアメリカン・ニューウエーブに分類されるのかもしれない。 それは当時の現実を提示しているからでもある。 ステレオタイプの善悪はあるもののそれぞれが存在感をもち、納得できるからでもある。 厳しい現実をどのように乗り切るか、神の子を引き連れる非暴力集団がことが終わったあとでこの少年に裏切りとも思わせる行動をとることも現実である。 銃を捨ててこの少年はこれからどのように世界を渡っていくのかそれが開かれた問題提起なのだ。

今はいくつも中庸で好ましい映画を撮るロン・ハワード少年の場合は映画の中で提示されているように19世紀に入り落ち着きつつある都市で荒っぽいガンマンたちの出入りがなくなり市民が腰にガンベルトを巻いてのし歩く時代の終焉を思わせ銃を放棄することに一定の説得力をもたせるものの、当作ではどうなのだろう。 少年は去り、どこに落ち着くのだろうか。 寡黙な母の待つ田舎に戻り又養鶏場の血塗られた着を洗濯するのだろうか。

けれど抗争に血の上ったカウボーイが気まぐれで少年と無抵抗な神の子を助けるために英雄的な死を選び、そこで好都合に悪役をすべて殺し少年は一発も発射せず、できず、去る、ということになるのだが、現実のリーダー、カルペッパーは数百頭の牛を引き連れまだ一週間以上目的地までビジネスを遂行するために去っていく気まぐれカウボーイたちに、ばか者たちが、と自責も込めつつもショーマストゴーオン、の現実を生きるのである。

実は私はこれをもう何年も前に見ていて面白い映画だという印象だけが残っていたのだが、今回再見してさまざまなところで台詞と乾いたジョークに噴出す場面があり、それも厳しい現実を何とかする他虐、自虐の方策であるのだがそこで笑えるというのはそのもととなる背景が映像と脚本で上手に説明されているからなのだろう。

記憶の誤りがあった。 少年はあるところでリーダー、カルペッパーが負傷、死亡して、、、、、、、という風に思い違いをしていたのだが、そのような映画もあったからそれと混同していたのだった。 

4人の気まぐれヤクザなカウボーイたちもそのころ他の映画で悪役として見られる顔だがここではそれぞれ善悪の陰影が上手く出ていて印象に残り、特に当時のイーストウッドものでの悪役と比べるとこちらの方が数段好感が持てるようだ。

昨日の収穫

2007年06月22日 03時01分56秒 | 日常
Joshua Redman Elastic Band
Momentum Nonesuch 7559-79864-2


Mark Murphy
Lucky to be me HighNote HCD 7094


Tineke Postma
A journey that matters Foreign Media 93524


Richard "Grove" Holms
Super soul PRESTIGE PRCD 24292-2


Richard "Grove" Holms
Blue Grove PRESTIGE PCD 241333-2


Eroc Dolphy Quintet with Herbie Hancock
Gaslighte 1962 getback GET2027


New Generation Big Band
Had je wat?! NGBB 001