暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ラジオの楽しみが一つ減った

2011年03月30日 21時59分20秒 | 聴く



2011年3月27日をもってヨーロッパでもうこの7,80年は聴かれていたであろうラジオ中波、648 kHz、BBCワールドサービスの英語放送が消えた。 その理由をBBCワールドサービスのサイトでは次のように示している。 

http://www.bbc.co.uk/worldservice/institutional/2011/02/110208_648khz_mw_closure.shtml

資金難というのは理解できるがリスナーの数が減少して、、、、というのは納得が出来ない。 中波がなくなっても衛星放送、ケーブルやネットでカバーできるようなことを書いているがそれは新技術依存への移行政策とリスナーの利用幅の現実の違いを無視した理屈ではある。 そもそもどういう風に廃止にむかうのかそれに備えるための調査の段階からに疑いがいく。 たとえばもっとも簡便なネットでどういう風にきいているかどちらのほうをよく聴くかと調査すれば、日頃単純作業をしながら中波などを聴いているリスナーに比べると圧倒的にネット人口の伸びが大きいというのが結論だろうし、いちいち考えられる現場でのモニターでもないだろうと調査するほうも高をくくり、それとモニターさせる側の期待に沿っての仕事であれば出来レースであることは事前に分かっている。 リサーチ会社がイギリス保守政権の財政カットの方針になびくのは当然のこと、そういうことなのだ。 もっとも、この方法というのも世界中どこでも行われているものだからここだけで言ってみても詮もないことは承知している。

中波のワールドサービスはどこでも簡単にスイッチを押せば聴けるというのが強みだった。 それに、ニュースはもとより政治、経済、文化をカバーして最良の情報が手軽に得られることにも拠っていた。例えば30分ごとのニュースである。 英語世界で生活しているものの共通情報源だったのだ。 ヨーロッパの何処に行っても英語がまともに話せる人間たちと話しているとワールド・サービスの話がでた。 とくに旧東欧諸国がそうだ。

この30年ほどほぼ毎日聴いていたのではないか。 家庭でソニーのシャワー・ラジオは風呂に横たわって聞くのに都合がいいし、ヨーロッパの彼方此方をバカンスの折、車で走り回っているとき意味のよく分からないローカルのラジオ局に混じって様々な情報を得るのに最適だった。 

イギリスに深く関係するものを除いて諸外国に関する論評にはもっとも公平で客観的な局だとおもえるし、それに、自国に関する事でもアメリカほどの「親自国」的傾向の強い報道はなされていなかったように思える。

オランダに住んでいてオランダ語放送と英語放送を交互に聴き合わせ、それぞれの違い、報道の速さ、量、傾向を知るのに役に立った。 様々なニュースを聞いてこの放送局は信頼に足り、いつまでも長くその情報が参考になるのは多くこの局のものだったように思う。 

最近は夕食後、皿あらいをしながら台所で、世界中からスカイプ、ネットにツイッターの新メディア、それに加えて直接の電話経由でその時々の出来事についてライブで討論する番組「WORLD HAVE YOUR SAY」を楽しみに聴いていて、世界中には様々な意見をもつ人たちがいてその話すさまざまな英語を聴くのでもだいぶん鍛えられる思いがするのだが、悲しいことに日本の若い人たちが発言しているのを聞いたことがない。 最近の地震・津波・原発事故の時でも日本人の意見は入ってこなかった。 ここでもこの頃日本の若者が海外にでない、というようなことを示しているのだろうか。 日本ではライブで聴く人が少ない、ということだろうか。 それとも時間があわないのか。 インドネシアからはイスラムとの共存について盛んな意見がライブで述べられていたしインドネシアと日本は時差はほぼないはずなのだが。

家の中で料理しながら、また洗い物をしながら聴くのだったらステレオのケーブルチャンネルからBBCを探し出してプリセットしておけばこれからも聴けるのだが、風呂の中とカーラジオで聴けなくなるのはかなり痛い。

Infamouse  (2006);観た映画、 Mar. '11

2011年03月29日 21時50分51秒 | 見る


Infamouse  (2006)

監督; Douglas McGrath

脚本;Douglas McGrath

原作; George Plimpton 著  "Truman Capote: In Which Various Friends, Enemies, Acquaintances and Detractors Recall His Turbulent Career" (1997)

出演;
Sigourney Weaver     Babe Paley
Toby Jones         Truman Capote
Gwyneth Paltrow      Kitty Dean
Sandra Bullock       Nelle Harper Lee
Isabella Rossellini    Marella Agnelli
Peter Bogdanovich     Bennett Cerf
Jeff Daniels        Alvin Dewey
Daniel Craig        Perry Smith
Juliet Stevenson      Diana Vreeland
Michael Panes        Gore Vidal
Hope Davis         Slim Keith
Frank G. Curcio      William Shawn (as Frank Curcio)

いつものように映画データベースを捜しても記述がないのでIMDBサイトで上の情報を得た。 なお、ネットで下記の記載を見た。

もう一つのトルーマン・カポーティ映画 Infamous (2006) として次のサイトに丁寧な解説がなされていた。
http://www.audio-visual-trivia.com/2005/02/infamous_aka_have_you_heard_ev.html

ウィキペディア; トルーマン・カポーティ の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3

尚、本日現在映画「カポーティ」の記載は日本版ウィキペディアにはあっても本作の記載は英語版にしかない。


まず、この映画の配役に興味が惹かれ、この話は既に2007年11月にテレビでフィリップ・シーモア・ホフマンとキャサリン・キーナーの「カポーティ (2005)」で見ており、その感想を書こうかどうか放っておいて今に至るのだが、それは白黒を基調にするトーンの優れた作だったとの印象をもったが、本作はそれと話、人物を同じくする物語であるから自然と前作と比較されるのだが、先行作ではモノクロの印象が本作では上に見るような華やかな配役とともに「冷血」を中心にした先行作の本題に行き着くまでは本作ではそのゴシップと社交に彩られたカラフルなお膳立てにも翻弄されもし、その「華やかさ」に少々食傷気味となったのだが、本作のメインテーマが前作と少々異なるのは初めにクラブで歌われる当時の流行り歌「What Is This Thing Called Love ;邦題 恋とは一体なんでしょう」に含意されているようだ。 その後、徐々にこの話がどう料理されるのかを見て、ホフマンとジョーンズの全く異なった、もしくは別の顔をもつカポーティーの違いを楽しもうとソファーに沈んだのだった。 カポーティのことを特に知るわけでもない者にとってその像を自分の中で作るうえでどちらの姿を採るか、若しくはどちらの方が自分のカポーティ像を作るうえでより親和性をもつか、その混ざり具合では、こういう場面での演技ではそこに打たれるが別ではこちらに、といった具合になるだろう。 私は贔屓の引き倒しでホフマンを採る。 それでも彼のカポーティでは完全にカポーティかというとよりいつものホフマンがでていたような気がしたのだが。

華やかな女優陣と書いたが、実際、NYの出版界、映画界、つまり華やかな社交界の中でカポーティの才能を披露する設定にこの女優陣は必要だったのだろうがそれで果たしてその後の進行具合からみればそれが必要だったのかどうか。 少々宝の持ち腐れのような気もしないではない。 例えば、シゴニー・ウィーバーやイサベラ・ロッセリーニはもっと見たいし「The Royal Tenenbaums (2001)」で好演したグウィネス・パルトローを冒頭に一曲だけ歌わせて終わるのは惜しい。 それにすでにキャサリン・ターナーのNelle Harper Leeを観たあとでは少々おしゃまなサンドラ・ブロックは頼りない。 あれが欧米でいまでも中高生の推薦図書として読まれているピューリッツア賞をとった「To Kill a Mockingbird」の作者では少々軽い。 だがそれもサンドラ・ブロックのアクション物、コメディーを幾つかみた後の予断、偏見かもしれない。 先行作では映画の芯がしっかりしているもののがここでは腰がすわっていないように思える。 ただ、社交界、当時のゴシップ、ジョークで笑わせる、というところではこちらのほうに分があるもののそれがここでの本題と結びつくのかどうか、ここでの軽味が結局この映画の見方を決定しているように思える。 

ダニエル・クレイグのジェームス・ボンドを観たときにはやっとショーン・コネリーを継ぐ007が現れたかと喜んだのだが本作での出演が先だったようで、トビー・ジョーンズとの組み合わせは悪くはなかった。 

カポーティのジャーナリズムとフィクションをない交ぜにした新機軸、ノンフィクション・ノベルにも少し関係して先日、1989年の出版界での珍事件を基にした「ニュースの天才 (2006)」を下のように観たのだがニュースの天才にはフィクションの才はあってもノベリストの才はどうだったのだろうかと本作をみてカポーティに訊ねたいような想いがかすめるが、答えは青二才の胡散臭さを見破り、シニカルに鼻でわらうだろうとの見通しも立つようなのだが、それはやってみなければわからないのだがそれも半世紀を隔てたジャーナリズムのこと、詮無い話だ。 日本ではこのジャンルは70年代中ごろから戦争もの、経営もの、スポーツもの、歴史もの、医療ものに政治ものなどでノンフィクションジャンルで花が咲いたようにもおもえるけれど果たしてカポーティやノーマン・メイラーの遺鉢をついでいるような作家は現れたのかどうか、それは寡聞にして存じない。 


映画「ニュースの天才 (2006)」についての覚書
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61687464.html

気温の記憶

2011年03月28日 17時58分15秒 | 思い出すことども


2,011年 3月 26日 (土)

昨日は14度のぽかぽか日和、今日は気温7度の曇り空、同じように同じところを自転車を漕いでいてその気温に或る記憶が蘇った。 昨年夏にチロルの山を歩いたときだった。 高度2100mほどの山小屋から何時間か歩いて1700mのあたりの車を停めてある村はずれの駐車場まで戻る途中、雨の中の記憶だ。 

その前日までは夏の気持ちのいい天気で2800mあたりの氷河のふもとまで遠出をして急に遠くに怪しい雲が現れだしたので慌てて下山、山小屋に戻るとパラパラと雨が降り出しそのときには氷河のあたりはもう荒れているような気配であり山の天気の変わりようにヒヤッとしたのだが、その翌朝にはカラリと晴れ午後に予定した下山まで山小屋のすぐ裏にある2700mの鋭い頂まで行き返りの5時間程度とみこして早朝二時間ほど上ったところで今度は昨日とは逆のほうから急に雲が押し寄せて慌てて下山し始めやっと山小屋も近づいてきたと思うまもなく完全に雲に包まれてしまいひやりとしそのシェルターにたどりつき、山小屋で昼食にしてその後、本格的にふもとの村まで下山しはじめると大粒の雨に雨具が叩きつけられ喧しい音をたてて家人も子供達も皆何も言わずに黙々と鬱陶しい雨の中を2時間半ほど下ったのだった。

停めてあった車にたどり着いたときにはほっとした。 その前日には娘はショートパンツにTシャツで歩いていたのがその日にはもう厚手のズボンとコートが要る雨模様で車の中で摂った熱い紅茶が美味かった。 妙なことに今日、近所の会計事務所の前の電光掲示板の温度表示が7度というのを横目で見ながら自転車を漕いでいるときに急にそのことが思い出されたのだった。 何が思い出に繋がるのか一瞬わからなかった。 当然村の駐車場に停めてあった車の中では真夏なのにそんな外気では暖房をつけ、その後キャンプ地にもどって熱いシャワーで暖をとった。 その翌朝テントから起き出して周りの山々を見ると驚いたことに2000m以上は白く雪で蔽われていた。 これでは前日降りてきた山小屋からかなり下までは雪に蔽われているに違いなかったのだから雨の中を予定通り降りてきていて正解だったとおもったものの、真夏に雪の中を下山するのも話の種になるのかもしれないとも思ったのだった。 でもこれも何年か前にスイスのダボスで同じような経験をしている。 そのことをも思い出し、だからこういうところを歩くにはリュックの中には何時も全天候の衣服を用意しておかなければいけないことを実感したのだった。 温暖な大阪南部で育ったものには今だ慣れない。 現に関東東北の被災地ではまだこの時期冷たい雨と雪が混ざる映像が流れていたのだし、昨今のヨーロッパの天気予報でもアルプスは1500m以上は雪が降ったといわれていることもありキャンプ地も雪ノ下かと想いがそこにも行ったのだった。

三月の末で真冬でもないし真夏でもない今、去年のチロル地方のそのときの真夏の気温が同じだったのだろう。 それで気温の記憶が蘇ったということだ。 けれどそのとき実際何度だったか測るすべもなく見当もつかなかったけれど、視覚、聴覚、味覚の記憶というのはあるのだからそれは分かるけれど、こんな気温の記憶というのはあるのだろうか。 それは寒冷の皮膚感覚の記憶ということになるのだろうか。 こことチロルでは場所も季節も景色も違うのだからなぜそういう記憶が蘇ってきたのかは只一つ、ここでは7度という表示だけが基になっているのだからそう考えたのだが、それでもそのときに7度だったかどうか今では調べるすべもない。 そんなことを今更言ってもせんのないことなのだから、ここでは鷹揚に皮膚感を信頼して、ああ、あのときは7度だったのだなあ、と納得させたのだった。

隠し剣 鬼の爪 (2004);観た映画、Mar. ’11

2011年03月28日 03時36分07秒 | 見る


隠し剣 鬼の爪   (2004)

英題; Hidden Blade 

131分

監督: 山田洋次

原作: 藤沢周平
『隠し剣鬼ノ爪』『雪明かり』

脚本: 山田洋次  朝間義隆
撮影: 長沼六男
美術: 出川三男
衣裳: 黒澤和子
編集: 石井巌
音楽: 冨田勲

出演:
永瀬正敏  片桐宗蔵
松たか子  きえ
吉岡秀隆  島田左門
小澤征悦  狭間弥市郎
田畑智子  島田志乃
高島礼子  狭間桂
光本幸子  伊勢屋のおかみ
田中邦衛  片桐勘兵衛
倍賞千恵子 片桐吟
田中泯   戸田寛斎
小林稔侍  大目付・甲田
緒形拳   家老・堀将監
赤塚真人
松田洋治
神戸浩
近藤公園
笹野高史

山田洋次監督が、前作「たそがれ清兵衛」に続き藤沢周平作品を映画化した本格時代劇。剣豪小説『隠し剣』シリーズの『隠し剣鬼ノ爪』と男女の密やかな愛を描く『雪明かり』という2つの短編を基に、秘剣を伝授された下級武士が、藩のお家騒動に巻き込まれる一方、かつての奉公人との実ることのない恋に心揺れる姿を丁寧な筆致で描く。主演は永瀬正敏と松たか子。

時は幕末。東北の小藩、海坂藩。3年前に母を亡くし、いまだ独り身の下級武士・片桐宗蔵はその日、思いがけぬ再会に胸を痛める。それは、かつて宗蔵の家に奉公に来ていた百姓の娘きえ。伊勢屋に嫁ぎ、幸せに暮らしているものと思っていたきえの姿は、やつれ、あまりにも寂しげだった。数ヵ月後、妹の志乃からきえが病に伏せっていると聞いた宗蔵は、ついに伊勢屋からきえを強引に連れ帰るのだった。日に日に快復していくきえを見て、喜びを実感する宗蔵だったが、そんな時、藩の江戸屋敷で謀反が発覚、首謀者の一人、狭間弥市郎と浅からぬ因縁を持つ宗蔵もこの騒動に深く巻き込まれてしまうのだった。

映画データーベースには上のような記述があった。

ヨーロッパのテレビ局では最近は中国映画がよくかかるものの日本映画の数が以前に比べて少なくなったように思う中、久しぶりにBBCテレビの深夜映画にかかった邦画をみた。 この時期東北地震と津波のことが連日世界のメデイアで中東の情勢と並んで報道される中、その東北地方を舞台にした150年前の侍映画としてBBCテレビが番組に載せたのかもしれないが、山田洋次のものは学生の頃いくつか渥美清主演の寅さんシリーズをみたり、後で野村芳太郎の「ゼロの焦点 (1961)」で脚本を書いたのが山田だったと知ったぐらいで、そのころ「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る(1964)」を見ていたはずだがそれが山田の作だとは知らなかった。 その後観たのは何年も前にオランダのテレビにかかった「たそがれ清兵衛 (2002) 英題;THE TWILIGHT SAMURAI」だった。 その話も記憶は朧気ながら本作を見ていてよく似たはなしだと思った。 ちゃんばらと西部劇で育った年代であるから還暦を過ぎた今、人の生き死にのことを扱うちゃんばら映画や西部劇のことを思い返すと自分はなんとも能天気な子供だったのかと子供の自分が懐かしくなるのだが本作の風景や風景のあちこちにも村の佇まいに今は無い田舎の思い出が蘇り一層懐かしさが漂う。

東北地方の小藩、幕末、それに藩命の人斬りという設定とそれぞれの侍に思いを寄せる女との関係にも「たそがれ清兵衛」との類似点が見出され、これは藤沢周平のものを同時期に山田洋次が二つつくるというようなプロジェクトだったのかもしれないとも想像する。 年配の小説読みには藤沢周平のファンが多いと聞く。 自分の老母もそうで文庫本を幾つも家に置いてあるのを見たし、その中の一つ二つを借りて読んだこともかすかに記憶に残っているのだがこの両作品にも自分が読んだのと同じような香り、雰囲気が漂っているのを覚えた。 武士の勇ましさというより江戸時代の人情の機微が描かれていて微笑んだりホロリとさせるところが散見し、それが山田洋次の作風とも合って美しい絵ができあがったという風だ。 初めの河のシーンでは前作での水子が流れる河のシーンを思い出したし小さな家の佇まいにも前のと共通するところがあったのではないか。 

幕末の時代が変わるその兆しがここでも示され、本作では特に西洋新式軍事装備の訓練の様子が見られ興味深く思った。 特に初めゲベール銃かと思ってみていたら紙の実包弾ではなく金属製の薬莢を使うカートリッジがみえ、レバーを使って使用済みの薬莢をはじき出し新しい弾丸を装てんする動きがみえたからこれは自分が日頃撃つ古式銃部門で仲間が撃っているスペンサー銃だと確信した。 そしてその威力は山場で示されている。 ここでは軍用スペンサー銃ではあるが一般市民用のものはイーストウッドの「許されざる者(1992)」でもモーガン・フリーマンの銃として使われているのだが「許されざる者(1992)」では冒頭イーストウッドの亡くなった妻の墓標には1878年と銘があったから時は本作の時代1861年からかなりさがり明治になっている。 太平洋を越えてほぼ同時期の話ではあるが本作幕末では1860年製のスペンサー銃が最新式武器としてその藩では初めて人を射るのに用いられ、イーストウッド映画ではかなり使われた風情の丸みの帯びた古い銃でその威力を示しつつその時最期の弾丸で50m以上離れた獲物をものにしたのではなかったか。

当時の軍事教練の様子も興味深い。 中でもこの地方の方言と英語、オランダ語が混ざる言葉に英語の字幕で観ていた日本語を解しない家人や子供達があ、オランダ語じゃないか、といって幕末のオランダ語から英語に変わる時代だったことを確認したようだったのだが、日本語の台詞にはオランダ語という言葉はなく、英語の字幕にはその後掛け声として使われるオランダ語を示すため英語で観る視聴者のためにそのように示される配慮となったのだろう。 東北弁を聞いていて分からない言葉がいくつかあり、それは英語の字幕で助けられたところもあり、九州や東北、また琉球の方言をそのまま聞いても分からないからそれなら英語で話してくれたら分かるのにと人にもいうことがあり、それを聞いたオランダ人たちもなるほど何処も同じだなと同情されるのだが何語にしてもなかなか油断がならないものだ。 たとえ脚本にはそういうことも考慮してあってもアクセントやピッチの様子、また空耳も混ざりちゃんと聞けないこともあるのだ。

尚、ここで主演した永瀬正敏は名前から長らく 昔劇場で観た「サード (1978)」の永島敏行と勘違いしていた。 歳を考えても違うのに胡乱なことだ。 それに長瀬は「海は見ていた(2002)」をDVDで観ていたのにその記憶がない。 顔でいうと昔NHK大河ドラマの初期の頃、高橋幸治の織田信長、そこで木下藤吉郎を演じた緒形拳、加山雄三の若大将シリーズで青大将の田中邦衛ぐらいは判別がついたのだがその他の年配俳優については上記配役で名前を見て、へえあの人がどこに、と分からなかったことから、それも日本のテレビをこの30年ほど観ていないことの報いだと悟ったのだった。

椿一輪

2011年03月26日 19時40分50秒 | 日常


裏庭の椿にこの間から蕾が出ていてその一つが今日咲いていた。

3,4年前に家人がガーデンセンターから50cmほどのものを2本買ってきて植えたものがもう人の肩ほどの高さまで育ってそれが今年初めて開花したものらしい。

舅夫婦のところを午後に尋ね機嫌を伺った折、その家の近所の年寄り達が少し暖かくなったからか庭仕事に励んでいるのを横目に見て剪定したり新しく土を加えて整理している中に水仙などが開いていてそのそばに人の肩ほどの細かい桜が満開なのにも驚きもし、さすが世界中に輸出する植木の町の年寄り達だと感心もした。 

その後自宅に戻り家人がテーブルにその今年初めての赤い花を一輪摘んで生けた。

Kurt Elling on TV

2011年03月26日 01時08分18秒 | 聴く

2011年 3月 23日 (水)

夜中にもなりそろそろ屋根裏に上がってネットで遊ぼうかとテレビのチャンネルを廻しているとオランダの国営テレビ局の文化芸術局でトークショーが放映されているのが目に入り、その中で見知った顔に行き当たりそのまま暫く見ていた。 これは毎週日曜午後5時ごろライブ放映の芸術番組であり、それから3日ほど経って今、深夜に再放送されていたものだった。 Kurt Elling  が映っていた。 このジャズヴォーカリストは今回アムステルダムのジャズハウスで聴くつもりにしていたのだが、もう一ヶ月以上前に予約しようとライブハウスに電話をしたらその前日に400ほどの全席が売り切れたところだと言われ悔しい思いをした。 オランダでも徐々に一般に人気が出だした当代の男性ジャズ・ヴォーカルで第一人者のこの人のCDはこの7,8年ほど聴いていてコンサートにも何度か足を運んでいる。 そういったことは既に次のように日記に書いた。 


2006年10月
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/41805220.html

2007年5月
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/47379050.html

2008年10月
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56802529.html


この前彼のライブに出かけてからもうそろそろ2年半になるから今回逃したのを残念に思ったのだがこういうオランダ語だけで進められるトークショーのテーブルにちょこんと座っているのを見るというのに妙な気がした。 そこではオランダ新刊の女性伝記作家たちがオランダの植民地政策にからむ話や現代文学の思潮の動向を話し合う中で時々それを興味深く聴き入るこのアメリカ人のショットに少々場違いなものを感じたけれどひょっとしてこの男、なんとなく話されていることが分かっているのかもしれないとも思った。 それは音楽の世界で創造的な活動をするこのヴォーカリストの経歴にも拠るのかもしれない。 その後の英語でのインタビューでも語られていたように、ジャズボーカルにのめりこんだ頃、大学でドイツ哲学を学びハイデッガーの書物を手に何時間もジャズハウスに入り浸り、、、、と語っていたからだ。 本人の名前から想像できるようにサクソン系であるからドイツ語を読んでいたのだったらそれから距離があまりないオランダ語は理解できなくはないからだ。

その後、新CDに収められたビートルズの「ノルウエーの森」を3分半ほど歌ったのだがCDに収められた5分半をスキャットとギターソロを端折ったものでそれが新CDの売れ線になっているのだろう。 それを歌い終えて司会からこの後すぐにライブハウスに向かいコンサートを始めるけれど今の歌唱に感銘を受けて今すぐホールに走っても既に切符は売り切れているからそのつもりで、という言葉に苦笑いした。 年間200回舞台に立つ脂の乗ったこのボーカリストをこの次間近に聴くのはさ来年当たりになるだろうと思いながら普通の文化番組にジャズが珍しく登場したのを喜んだ。

ノルウエーの森、とドイツのことで思い出したことがある。 もうずいぶん前からこのタイトルを冠した小説が日本でベストセラーだと言われていたのを知っているけれどその作家のものを20年以上前にいくつか読んで別に読むほどのものでもないとその後は目に留めなかったのだけど、年末に日本に帰省した折、書店に文庫本が山積みになっていたのが目につき手にとって立ち読みを始めたのだが初めのページで主人公がルフトハンザ機から降りるときにスチュワーデスと交わす会話がありその主人公の駄目さ加減と小説家がそのように書くことの弱さに呆れて驚いた。 せめて半分ぐらいまでは楽しませてもらおうと期待したのだが想像通り期待はずれだった。 なぜこれが皆に読まれるのか理解に苦しんだのだが、ものには喰い合せというものがあって自分にはこれだろうとも思い返したもののベストセラーの胡散臭さに今更ながら食傷気味になったのだった。 それともその不味いものを辛抱すればその後美味なものが現れるのかもしれないとも思うけれど自分にはその辛抱がない。

ニュースの天才 (2003);観た映画、 Mar ’11

2011年03月24日 01時58分27秒 | 見る
ニュースの天才  (2003)

原題; SHATTERED GLASS

メディア映画
94分
製作国 アメリカ

監督: ビリー・レイ
原案: H・G・ビッシンジャー
脚本: ビリー・レイ

出演:
ヘイデン・クリステンセン  スティーブン・グラス
ピーター・サースガード   チャールズ“チャック”・レーン
クロエ・セヴィニー     ケイトリン・アヴィー
スティーヴ・ザーン     アダム・ペネンバーグ
ハンク・アザリア      マイケル・ケリー
メラニー・リンスキー     エミー・ブランド
ロザリオ・ドーソン     アンディ・フォックス
マーク・ブラム       ルイス・エストリッジ
チャド・ドネッラ       デヴィッド・バッチ


アメリカのマスコミ界に衝撃をもたらした人気ジャーナリストによる記事捏造事件を、事実を基にリアルに再現した社会派ドラマ。捏造が発覚し次第に追い詰められていく青年記者と、複雑な思いを胸に事件と向き合う周囲の人々の姿をスリリングに綴る。監督はこれまで数々の脚本を手掛け、本作で初メガホンとなるビリー・レイ。主演は「スター・ウォーズ エピソード2」、「海辺の家」のヘイデン・クリステンセン。

1998年、ワシントンD.C.。25歳のスティーブン・グラスは、アメリカ大統領専用機に唯一設置され国内で最も権威あるといわれる政治マガジン“THE NEW REPUBLIC”に勤める最年少の編集者。彼は斬新な切り口で身近な政財界のゴシップを次々とスクープしてスター記者へと成長していく。一方で、その驕らない人柄から社内外での人望も厚かったスティーブンだが、ある時彼の手掛けた“ハッカー天国”というスクープ記事が他誌から捏造疑惑を指摘されてしまう。そしてそれを機に、スティーブンの驚くべき事実が発覚していく…。

以上が映画データーベースの記述だ。 と、そう書いたが何処までこの記述が真実かどうかを知りたければ自分か誰かがその記述を調べてそれを検証しなければならない。 上記の場合は映画データベースと書いてあるのでネットのサーチエンジンを使ってそれを捜せば簡単にみつかり、ここの記述がそれと同じかどうか、また何処が違うかは分かるだろう。 ここでは自分の都合からある部分は切り取りはしてあるが付け足しは全くしていない。 そういう編集をしているわけだ。 コピペであるからタイプミスもなく、編集された第一次資料がここでは第二次資料となって上にある。 しかし自分は第一次資料を自分で検証したわけではないので読者や自分は第一次資料に情報の信憑性をまかしていることになる。 たとえ疑ってもネットのエンジンでいわゆる対空砲火、クロスファイヤーといわれる方法で多方面から調べればそのように出てくるだろうからそれをそれとして収まりをつけるわけだ。 だがそれでは実際のジャーナリズムの世界ではどうなるかといえば事情はそんなに簡単ではないようだ。 つまり真実かどうか、信憑性がしっかりしていなければそれが問題になり、それがひいてはメディアの信用にもかかわり媒体での浮沈にもかかわるような大事に繋がる。 ジャーナリズムの基本は報道されることが「事実」であることだ。 

自分は甚だ大まか杜撰で性格にも斑があり、ときにはあることを言った後、あれ、ちょっと言いすぎたかな、と思うことがあるからジャーナリストにはなれないと思っている。 けれどメディアのいくつもが尾ひれをつけて報道することも承知しているし、ほとんどの媒体にはそれぞれの「傾向」があるから言いすぎには許容範囲があるだろう。 事実かどうかが問題になるのだが事実にもいろいろある、と主張するものもいる。 けれど、「事実」は取材源をダブルチェック、トリプルチェックして確かめられることが保障されていなければならないが、それにしても最終的に記者と情報源だけの繋がり、記者と編集者との信頼だけで繋がっている場合が多いと聞く。 事実を巡ってはいささか面倒な問題も含まれているし、その事をクリアーしても最終的に現れた記事なり作品が「面白い」かどうかも大きく影響してそれが商業媒体が成功する鍵にもなる。この面倒さもいくぶんあるのか自分はその分、面倒な事実は横に置きフィクションを好む。 つまり、事実の煩雑さを棚に上げ、それなら事実を含まないもの、「嘘」を好むということになるのだろうか。 では「本当」と「嘘」のどちらを好むのかきかれればそのときに胸を張って「嘘」を好むともいえず、「本当」の方だというのだろうが、では、「耐え難い本当」と「事実を抗いがたい本当のように響くもの」となるとそれが揺らぐ。 おもしろいもので本当のように響けばそれを採る。 それがここでのポイントになるだろう。 フィクションの面白さはフィクションのなかに「本当のこと」があらわれるところにあるのだろう。 だから信憑性のありそうなフィクションで「嘘」として書かれているもののなかに「本当」が浮かび上がりそれが虚構の「本当」となり、そこに面白さがあるのだと思う。 古来「お話」は「あるごとかながことかしれんげどあるごととしてきいてけれ、、、、」というふうに始まったというではないか。 

けれどジャーナリズムの世界ではどうか。 ここでの「お話」は「ごれはあったごとで、それはごうだった、、、、」ではじまるだろう。 だから「ごれはあったことで、、」と言ったものはその根拠を示せなければならずその情報源示すとともに情報源を守る責任もあるからそこをどうするのかとなると結局は信頼の問題、その一点に収束するだろう。 記事、作品となるまでのそれぞれの人の繋がりの中でそれぞれ、全体が信頼に支えられていなければ最終的にはなりたたない、というようないささか綱渡り的、ある種神話的でもある。 ニクソン大統領の痛ましい辞任を導いた報道の物語のなかで「ディープ・スロート」と匿名で情報を漏洩した政府高官の情報がネックになっていたことが知られているが記者、編集者たちがその情報の信憑性、それが世に出たときの衝撃と影響、それとそれが果たして世間の批判に耐えられるかと検討する場面がおおきな核になっていたように思うのだがそれからすれば本作の問題はかえって抜けるようにすっきりした取るに足りないようなものだ。 つまり記事を書く記者が捏造してそれをある程度まで編集部が見抜けなかったまぬけさが露呈した、というお話だ。 それは美術界で贋作が発見されてそれに権威があたふたする、ということにも似ているのかもしれないが、ジャーナリズムとは決定的に違うだろう。 ジャーナリズムは「事実」を素材にしているのだ。 たとえば料理につかう野菜に原発から流れ出た放射性物質が付着しているかどうかしていないか、していたらそれはどの程度なのか、野菜といっても何がどうなのか、そういうことを考慮して買うのを控えるだろうし、無視するという態度もありえるが、過剰反応をして買わないというのもそれまでにそのニュースソースに対する信頼性に疑いがあったものがここにきてそういう反応となった、ということもいえるだろう。 これが作り話だとしてもともとそんなものはない、といわれれば被害はないのだが、一方あるものをない、という作り話もありえるから「事実」をめぐってが絵の真贋以上に重要となるのは明らかだ。

テレビガイドで本作の紹介を見てそういえば10年以上前にこのことが報道されていたことを思い出し、そのときは愉快犯の一種だろうとあまり心にも留めていなかったことでもあるから話の筋は想像がついていて、テレビ画面を見続けていてあるところからは興味の方向が主役からは離れて、新たに編集主幹を任されたチャックの方に向かった。 それもこの映画の流れから言えばそうにもなっているからで、こんなうそつき男とそれを守る青二才たち編集者を相手にどのように事を収めるのかという方に興味が行くのだ。 その事情は冒頭に語られるのだが若いジャーナリスト、編集者たちが集まるこの雑誌社はまるで高校の新聞部の雰囲気でわざとこのように「子供たち」の遊びのように描かれているのだろうがその作為にいささかやりすぎの感が否めない。 それに主役の性格作りにも「子供の甘え」的要素が大きく現されていて、原因の多くがそうだとしたら、というか、そうだからか、この話全体のなんともあきれる感にやりきれない思いがする。 

方向がまるで違うが、先般話題になった捏造の件で思い出したことがある。 辣腕検事がフロッピーの情報を捏造して無実の者を無理やり有罪にするべく立件した、ということが大きく報道され、それが政治事件にも間接的に関連していることもあり、司法の信用を著しく低めたと報道されたのを思い出す。 本作では捏造は一人だけの仕業であり、この話にはあははと笑えばそれで済むようなものかもしれないのだが、検察の捏造、それのカバーアップ、の件では本人に加え組織まで絡んで信用の質が検察、しいては司法のシステム全体に及ぶ深刻さである。 こちらのほうの事実の追求方法に関しては一般事象以上に難しいことでもあるから信用回復の難しさは単なるよた記事による被害とは比ぶべくもない。

検察にはフィクションは許されないのだ。 ジャーナリズムにフィクションも許されないらしい。 同じ記事でもそれが小説なり、フィクションとして謳われていれば何不自由なくメディアに流布されそれが普通の世界なのだが、フィクションと謳っていてもそれが実在の人物の言動と甚だ似通っていて話の脈絡の中からその人物と認められるような場合にその本人の尊厳、プライバシーを侵害するとして問題になる場合もあるから厄介だ。 

自分は、これは本当の話だ、ということには眉につばをつけて聞くようなこともして、どちらかといえば「これはあるごとかながったことかしれんげどあるごととしてきいてけれ、、、、」というほうを好み、それでもSFやファンタジーを敬遠する傾向にあるのを想像力が乏しいことと反省し、物語がなぜそうなるのかを詮索するようないささかシニカルな性格でもあるのだろうが、それもこの信用できない世界の中で生きる世知なのだ。 すぺてを疑い、自分をも疑い、それを検証するというのが科学的態度であると説明されるがジャーナリズムにもそれがいわれるのだろうか、そうするとそれは社会科学的態度といわれることになるだろう。 なるほど、どこの大学にも新聞学科、というものがあってそれは社会科学の部類にあり、うそつき文学は芸術の部門になる、ということだ。 ジャーナリズムと芸術は相容れないものなのだろうか。 


名残のジュールコール

2011年03月23日 18時43分01秒 | 喰う


春が来て本格的な寒さはもう戻ってこないと思われるようになり、実際陽射しにも力強いものが徐々に感じられるようになったこの頃、オランダの寒い時期に食されるZuurkool(ジュール・コール)、ドイツではザワークラウトと呼ばれる伝統料理をまたも懲りずに作った。

Zuur というのはオランダ語の形容詞、英語では Sour, Kool は Cabage であるから「酸っぱいキャベツ」ということになり、保存食の部類に入る酢漬けである。

子供の頃から自宅農家で採れた柔らかく優れたキャベツを食して育ったこともあるのでオランダに住み始めて初めて当地のキャベツを求め料理して驚いたことを思い出す。 子供の頃は畑から持ち帰ったものを鋭い包丁で細かく削いで揚げ物の下に敷いたものを少量のケチャップやソース、それにマヨネーズなどをまぶし口にした。 またお好み焼きには欠かせないものだったからこちらに来て同じように試みたらまるで要領が違って戸惑った。 こちらのキャベツは北ヨーロッパの冬の寒さに対抗する厚さと硬さをもっている。 だから揚げ物の敷物にはなるが軽く空気を含んだように刻む添え物にはならない。 その後、サヴォイキャベツや縮みキャベツなどを試すに従って多少は柔らかさの方には向かうのだが普通のキャベツはロールキャベツとしては重宝する。 昔自宅のもので作ったそれは柔らかく、解けて綻びの多いものだったのだがここではうまくいくので、なるほど育った土地とこことの違いが実感された。 ものは只単にその名前、外観だけではそれが似て非なるものと成り得、そのことも心得ておかなければならないようだと実感する。

この酢漬けを豚肉、ジャガイモと組み合わせた、ジュール・コールは厳しい冬の間生命を維持する食物であり昔は今以上にこれが好まれたのではないかと想像する。 今は何でもある時代なのだ。 それに労働の質が大きく変わっている。 だから昔はカロリーを多量に消費する冬の間の野外労働を補償するための高カロリー食物として最適であったけれど今では食生活も低カロリーを目指すものに変化しこのようなものは時には敬遠されがちになり、単なる「百姓の食い物」として片付けられるのだがオランダ人はそういうものをそれでもアンヴィヴァレントに伝統料理としている。 

春の訪れを実感しつつ何も考えずにスーパーに出かけ、入り口の金属製のバーを押して入るときに、それじゃ、今夜はこの冬名残のジュール・コールにしようと決めたのだった。

ジャガイモ、赤パプリカ、リーキ、ヘルダランド・ソーセージにジュール・コール用の赤身と脂身の層になった小片(ベーコン、スペック)を籠に入れてリンゴジュースを忘れたことを思い出してその棚にもどりレジを出た。 と、ここまで書いてきてなんだか料理と同じく前にも書いたその繰り返しであることに気付き、以前の日記をくってみれば4ヶ月ほど前に同じようなことを書いている。 ま、同じものを作っているのだから同じような感慨が湧くのは当然のこと、けれど、今回はこの冬の名残としてのメモだったのだ。

簡単な料理なのだがプロセス全体の中で一番手をかけることを書く。 それは脂身の赤身の層になった小片を鋭利なナイフで削いで赤身と脂身を分ける作業と脂身を細かく切ってそれを弱火で炒め液体の脂を出しそれでニンジン、インゲンそれにリーキを炒めるのに使うのだが、脂を炒めだした残りの茶色のカリカリになったものは塩気を含んでおり「お摘み」として揚げた餅屑のようなでもあり、畢竟削ぎ分ける時間と弱火で脂を取り出すのに一番時間がかかる。 当然そういうことを考慮せず昔百姓がしたように層になった塊をそのまま混ぜて茹でてもいいわけだが半透明な脂身がゾロッとのぞいている、というのは今ではちょっといただけない。 とはいうもののゾロッとした脂身にしても分離して炒める脂として使ったものであっても総量の脂は変わらなく依然としてカロリーの高いものではある。

豚が、カリカリのお摘みとなり、また炒めるための脂となり、茹でられた燻製のソーセージとなっているのだから豚はここでも大活躍だ。 食肉の生産量で一番だというのがここでも実感される。






憂鬱の虫

2011年03月22日 08時49分42秒 | 日常

暫く日記から遠ざかっていた。 知らぬ間に憂鬱の虫が湧いて暫くそのあたりを蠢き、それがすこし納まったのでキーボードに手を伸ばすことが出来るようになったようだ。

憂鬱の虫が湧いた理由は様々にあるようだし、また無いようでもある。 体調、世間の様子、など考えようと思えばいくらでも出てくるのだがそれを詮索してもそれが今の気分を変えるのにさほど役に立つとも思えない。

春の彼岸が来て春になった、と世間ではいっている。 二日ほど前に、今20年ぶりに月の軌道が地球に接近しているとかで普段より大きく見えるといっていたので晴れ渡った夜空を見上げると、なるほどそう言われてみれば大きいか、と思われる満月が出ていた。 直径で四分の一ほど大きくなっているそうだがそれがどうしたというのだろうか。 直径で四分の一の変化が見た目で何パーセント大きくなるのか。 πrの二乗が面積だから、πx1.25x1.25=1.56πが面積で、だから面積は1.56倍ということになり56%増のようだが、それも分かったような分からないような取り留めのないものだ。 2倍だといわれればそうかもしれないとも思い、そのことをテレビで聴いていなければ別段普段と変わらないと思っていたかもしれない。

日向に座っていると黒いコーデュロイのズボンが温かくなり、日陰にいると冷える。 早いものだ、もう一年の四分の一が過ぎた。 こちらのほうは月の四分の一とは違いその四分の一の間に起こったことがはっきりと分かる。 これから秋分が過ぎ霜降あたりまでは過ごしやすい。

十二支を五回周って初めの二、三回、いや四回を周っても憂鬱の虫が現れなかったからこれは老人性欝と呼ばれるものかとも思うけれど、それも日頃の生活の中で動き、活動が緩くなっているから来る、小人閑居して不善をなす、といわれるものの類かもしれないとも思い返す。 

この時期、啓蟄とか虫が蠢き始めるから虫干しをするとかいうことも言われるようだが日の光で退治できる虫ならまだ若い虫に違いない。 これから歳を経て陽の下でも蠢きまわるしぶとい虫と付き合わなければいけないに違いない。 鏡の中を覗いてみると眉間に皺が出来、それが深くなっているのが確認でき、ひょっとするとそのあたりから虫が湧いているのかとも思えるのだった。


油断大敵

2011年03月11日 07時03分31秒 | 健康


2011年 3月 5日 (土)

昼過ぎに起きて慌ててシャワーをあび、自転車で駅まで急ぎ売店でビールを、バーガーキングでひと包みのフーパーを掴んでプラットホームに駆け上がったらハーグ・セントラル行きの急行が待っていた。 10時間ほど腹に何も入れていなかったのでこれから6時間以上食事が期待できないことからこれはとりあえずの食事だったのだ。

久しぶりにハーグに出かけるのに普通は着ない背広に身を包み、人にも会うような格好になっていたのだが、それにこの歳でハンバーガーは似合わないけれど手軽に腹を膨らませる温かいものとしては仕方がない。 シャワーを浴びた後急いで出たので喉を癒すそのときの缶ビールも悪くはなく、電車がでてからセントラルステーションに着くまでの20分ほどで慌しい食事は済んでいた。

この何日かまた目がしょぼしょぼして花粉症の症状がひどくなっていたのだがこのときは特別にアルコールで目の周りのしょぼつきがいっそう悪くなるということもなく、午後一杯集まりのあと6時を大分周って摘みと赤ワインをグラスで2杯ほど飲んで人とも歓談しその後帰途に着いた。 町で食事をするのにハーグの中華街にでかけ飲茶の蒸し物を二つ三つとマーボー豆腐、ビールで夕食にしたのだが苦しいほどの満腹になってマーボー豆腐を大分残したからそれをプラスチックの透明な箱に入れてもらって持ち帰りにしてもらいそのビニール袋を手にぶらぶらと駅のほうに歩いていったらもう9時を周っていた。

満腹と気持ちよさで電車の中では居眠りをしそうになったのだろうか電車が出たとおもったらもう自分の降りる駅になっていた。 外は気温が氷点ほどに降りてきていて冴えた月夜の下を自転車で走り始めるとそれまでの寒暖の差が影響したのだろうか、体の表面を何千もの虫が蠢くような感じがしはじめ、寒冷蕁麻疹の兆候が明らかになってきた。 それまでにくしゃみも出て鼻汁もでて鼻腔の奥が腫れてきたのか呼吸も少し難しくなっていた。 この感じがこれからも進むと呼吸が一層難しくなり血圧が下がって失神しかねない。 これは去年の夏診断された小麦依存性運動誘発アナフィラキシーの症状と似たものなのだが、今晩の夕食では小麦製品は中華料理には多く使われていたのだがその前後ここに至るまで特別に負荷のかかるような連続した運動もしていないからこの軽度のアナフィラキシーショック症状というのは新しいことだ。 診断では肉体的負荷と小麦製品のリンクがなければ何も問題がないはずなのだがこの症状だ。 

息が苦しくなってきたのでペダルをゆっくりゆっくり漕ぎながらそこから2.5kmほどの最短距離のコースを辿ったのだが途中何百年も市を守った東の門のところに自転車を停めてリュックから抗ヒスタミン系の錠剤、 Tavegil  Clemastine 1mg を取り出して一つ口に入れまた走り出した。 20分ほどで効果が出るはずなのだがそれから10分ほどで家に着くと家人と普通に話ができないほど呼吸が難しく、そのまま自室で暫く横になっていたら徐々に回復した。

なんともいやな経験だった。 今まで小麦製品と負荷のかかる運動、肉体労働の組み合わせを避けていればなんともなかったものが今晩それに似たような症状が現れ、危ないところまで行った。 考えてみるとそれは花粉症の強いアレルギー症状に満腹、アルコールが重なったからなのだろうと思う。 

ここでの教訓は寒い外に出るようなときにはアルコール、満腹は避けること、ということなのだろう。 自分の場合、急激な寒冷差、花粉、アルコールだけでもそれぞれアレルギー反応が出ることがあるのだからそれが今回重なって増幅され顕著に出たということなのだろう。 それに小麦製品も料理には入っていた。 日常生活の中で負荷をさけることは心がけているけれど今の時期の花粉症を少々軽く見すぎていたきらいがある。 油断大敵というべきか。 いや、しかし、診断のことには気をつけていて肉体的負荷は避けていたのだから油断ではないだろう。 教訓は、ショックに至る道筋は一つだけではなかった、ということかもしれない。 ショックに至る道、組み合わせはいくつもある、と考えたほうがいいようだ。 そうするといろいろ面倒なことになる。 ひいては小麦製品を摂らなければショックは起こらない、ということも保障されないのではないか。 そうなると、もとの木阿弥、結局は急性アレルギー性アナフィラキシーショックだったけれど、その原因には多様性があるということになる。