暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

帰省中に読んだ本

2011年01月31日 16時02分19秒 | 読む


Invisible

by Paul Auster

Publisher; Fable & Faber

ISBN 978-0-571-24951-0

2009 paperback edition、 308p

スキポール空港で検閲を抜けて中の免税店街を何をするともなく暇つぶしに歩いていて本屋に山積みされていたもの中で目に付いたものだ。 その前、12月の初めにイギリスBBCテレビのカルチャー・ショーでポール・オースターのインタビューをみて初めてその作家の姿を見、それまでのイメージと異なることにも驚き、いささかそれまでのイメージに比べて厳しいところもあると意外に思ったもののそれはまたそれまでにオースター原作の映画から俳優ウィリアム・ハートのイメージに対照していたからで、こんなことから一層興味をもっていたところに見つけた一冊だったのだ。 それじゃあ日本まで12時間ほどの飛行中、映画や音楽に飽きれば取り出して読もうかと求め、リュックザックにそのまま放り込んだ。

本作で面白く思ったのは1967年のコロンビア大学の学生達で始まり、今は老年になってその回想と友人達のその後の何十年かが徐々に露になるに連れ、様々な想いと経緯が浮かび上がり、主人公とその友人、妹、恋人、NYと留学先のパリでの尾を引く出来事など、文学の匂いも関連させ大学や出版関係者たちの周辺というオースター的世界にも繋がるような人々を配置しつつ緊張を高め本来なら桃源郷にも比せられるところでいささか唐突気味に終結する佳作であり、その終結後にもいささかの余韻を後々までなびかせる意外な展開である。 

自分自身日本の1967年世代でもありそれが当時のパリ、NY、と関連付けられるとなると同時代の話でもあっても、政治、サブカルチャー的には共有する部分があるにしてもこういう大学生活は日本ではどうだったのだろうか、という思いに駆られ、当時ヨーロッパやアメリカに渡った日本人学生にも想いが行く。 ここでは政治に関しては俯瞰するだけのこともあるけれどそれでもモンスターのような老獪な教授を配して彼をアメリカのリベラルに対する仇もしくは嫌われ役として置き、今から想えば、、、ああ、あれはそうことだったなあ、、という方向にもその人物像が働いて、それはフィクションにおいても現実世界でも融通の利くものとして上手に絡めてある。 

「見得ないもの、不可視であり、更に見てはならないもの」とまで解されるタイトルは読後更に、あなたならどうする、と時代を共有するものたちに問いかけるものでもある。 ここで唐突に、それでは世界にも知られた日本のベストセラー作家Mの世界とはどのように交差するのかしないのか、漠然と想ってみるがMの方には大して興味がいかず、今までに何作か読んでから感覚的にこの20年以上は手に取らないその日本の作家とオースターを比べるのは大学の文学部あたりで男子学生が物す修士論文中にはひょっとしてあるのかもしれないとも想像する。




ニッポン・サバイバル - 不確かな時代を生き抜く10のヒント

姜尚中

集英社新書 0379B

2009年 第八刷  237p

本書は2005年から6年にかけて女性誌「ポータルサイト」に掲載されたものを元にして加筆修正したものらしい。 著者の言説にはもう何年もあちこちで見聞しており、今回日本に帰省中、毎回帰るたびに出かける大型書店の、この何年かで良質の書籍が徐々に消え、漫画や中身がスカスカで読み飛ばすしかないものがあふれる中、あれもないこれもないという中で目に付いたものだ。 新書版のコーナーで、この時代を生き抜くのにどんなヒントがあるのだろうか、女性のためだけではなく我々還暦の男たちにも何か役立つかとも思って興味をもち求めた一冊だ。

1)「お金」を持っている人が価値ですか?
2)「自由」なのに息苦しいのはなぜですか?
3)「仕事」は私達を幸せにしてくれますか?
4) どうしたらいい「友人関係」を作れますか?
5) 激変する「メディア」にどう対応したらいいの?
6) どうしたら「知性」を磨けますか?
7) なぜ今「反日」感情が高まっているの?
8) 今なぜ世界中で「紛争」が起こっているの?
9) どうしたら「平和」を守れますか?
10)どうしたら「幸せ」になれますか?

上記の目次で「お金」と現在の格差社会に関しては小泉時代からのネオコン、新自由主義者たちが勝手に世間を荒らした結果が今なのだと著者は主張している、とそのように乱暴に解釈する。 西尾幹二は引かれていないものの中野孝次「清貧の思想」が引用されていて小泉政権に直接間接的に阿った当時の胡散臭い著書たちのことを思い出すし、「清貧」を主張するなかでそんなことにはお構いなくうかれ踊り、ブランド物を追う女性達の姿も思い浮かび上がり、それは今でも町のあちこちでまるで持ち主達と奇妙に符合するかようなフランスやイタリア製のバッグを今も電車の中などで見るたびに苦笑がこぼれるのだが、上記10の問いに対する著者の力は7)6)5)9)という順に重力がかかっているようにも見え、つまるところは10)に導かれるのだが、日本人には不得意な「自由」と「息苦しさ」、更には「空気を読む」ということに関しては女性に対するというより、ここが著者の専門とするところなのだろうけれど、知性を磨こうとつとめている人たちへの確認のためのメッセージのようにも響くようだ。 

社会安全保障の財源を巡って増税と各種システムの厳しい見直しがいわれ、このごろ発表された生活指標予想やフリーター、ニートの増加もが予想されるなか、「清貧」というより「赤貧」が浮かび上がるだろうと事が明らかで、そのような中で本書が若い読者たちの役に立つのかどうか。 元来ヒントというのはこれだという赤らさまなものではなく、これはどうだろうか、という風に分かったものがら分からないものに与える示唆であり、その示唆の具合は本書では各章の冒頭に載せてある「みんなの声」というそれぞれの問いに対する20ほどのアンケートの配置にもみられるのと同様いささかみえみえにもとられるようでもある。 読後、最近、NHKで美術教養番組のホストを務めるのをみても本書とは別の知性の働き具合をメディアに登場する著者の戦略は那辺にあるのか大学教授の社会に対するサービスと捕らえているのならそれは本書の動機とも符合するのだろうか。

冷や酒にざる蕎麦

2011年01月30日 16時25分19秒 | 喰う

関西新空港で1月21日の朝、11時発のアムステルダム行きKLMの便に乗るべく8時前に空港に着いたら飛行機は2時間半ほどの遅れだという。 早速荷物をチェックインさせたのだがスーツケースの中は嵩が少ないのに書物で重いのか26kgだと言われ超過料金を1万円ほど払わされた。 さて、これから5時間半ほど何をしようかと思案した。 空港は比較的空いているのでがらんとしたホールを2階、3階と店舗を覗き、飲食店街をあっちへうろうろこっちへうろうろしながら朝食にはトーストとミルクティーを腹の中にいれていたけれど、まだ胃には充分な隙間があるので何か入れてもいいなと眺めあるいていると、551の豚饅を包んでいる若い男女二人がガラス越しにこちらに向かて敏捷に働いているのが見え、その手つきを興味深く眺めていると、ビールで豚饅も悪くないかと売り場の方に回ると10時からでないと喰えないこと、それに一つだけでは買えない事が分かり、それならまあいいかと他のところに移る。 

一通り2階も3階の飲食店街を見て周り、さて、何にするかとなるとなかなか決まらない。 何年かに一度の帰省であるからできるだけオランダでは喰えないものを、という意識が働くと共に、滞在中に何種類も口にした餃子にビールも飽きが来て、寿司ももういいという気もし、そういえばカレーはまだ喰っていなかったということに気がついた。 カレーの店は二軒、けれどもう10年ほど前に喰ったうまいカレーの店はなくなっており、ライオンというのと簡単なカウンターだけのカレー専門店だけだった。 そこのカウンターにまだ誰もすわっていないところに入ってホット・カレーというものを注文したのだがそれは思ったほども辛くはなく結局まあ喰ったというだけのこととしてスツールから降りてまたゆっくりゆっくりがらんとしたホールをぶらぶら歩いた。 

腹空かしのためにあてどもなく歩き、がらんと幾つもならんだ待合室然とした椅子に腰をかけて1時間以上そこでペーパーバックの小説を読み、これは来るときにスキポール空港で買ったんだからそこに戻るまでに読みきろうという気にもなり後半4分の1の佳境部分でもありこれで幾分か時間がつぶせたのだった。 それで11時前になるとまたぞろ上から下までもういちど歩き回っていると子供達、家人へのみやげ物でも、、、という気にもなり、いくつかめぼしいものを買った。 その向こうに手打ちうどんの店があり、これもガラス越しにこねたものをピザの生地よろしく、ここではイタリア人が肘と腕で廻しながら伸ばすようなこともせず細長い麺棒で丁寧に伸ばし長い刃物がついた器具で切っているのだった。 友人が四国の観音寺で手打ちうどんの店をやっていてそこに今回は他の友人と成人の日の週末に一泊で出かけ、しっかり1時間半以上踏んで一日500玉ほど作って売り切るというものをしこたま腹に入れ、また近所に配れるほどの量の生麺ももらってきたこともありうどんは少々食傷気味だったから今回は蕎麦を腹に入れていなかったことにも気付いてその斜め向かいの蕎麦屋に入った。 入るときからもう何にするか決めていた。 最小の量で暖かくないもの、胃にあまり負担をかけないように、というのは離陸して暫くすると食事が出ることが分かっているからで若くもない胃がはちきれるほど喰うなというシグナルを送っているのにも気付いているからだ。

ざる蕎麦と冷や酒を頼んだら付きだしに蕎麦を油で揚げたものに塩コショウをしたものが出た。 昔こどものころチキンラーメンをよくそのまま齧ったことを思い出させるような食感だ。 油分を抜いてあるからポリポリと噛み、冷や酒を啜るというのも悪くなかった。 そのうちざる蕎麦が届くとおろしがねの上にワサビの茎が添えられていた。 これが今回関西新空港飲食店街体験のハイライトだった。 いつもチューブでしか味わっていないオランダの家族達の土産にのこりの茎をそのために備えられたビニールの袋に入れてデイパックのポケットにしまい店をでるとそろそろパスポートコントロールを抜けてもいいかなという時間になっていた。

妙な雪だるまがあった

2011年01月29日 12時22分37秒 | 日常


帰省後どうもデジカメの様子が悪くて撮った画像がパソコンに流れない。 だから仕方なく年末に撮っておいたものをここに出してその話でお茶を濁す。

前回の画像を撮ったその10分ほどあと、村が途切れるあたりを家人と二人歩いていてそこで妙な雪だるまがあるのに気がついた。 稀に見る12月の積雪の日々が続き子供達がつくる雪だるまがあちこちで見られる中、それに競おうと大人もそこで一ひねりして創作に励んだものとおもわれる。 普通の雪の塊を二つ乗せただけの達磨なら簡単につくれるもののこれはちゃんと心棒で形になるように作っておいてその周りに雪をくっつけてちゃんと人の形になるように白い肉をつけてある。

その男女の顔はさだかでないながら道路を向いて我々を眺める形にしてあるからこちらにしてもなんだかバツが悪いような気にもなり、寒いのにご苦労なことだ、と苦笑の一つもこぼれるというものだ。 それに向けてカメラを構えているとその後ろに三つ並んだ窓の一つから中年の女性がこちらを眺め笑顔で手を振っているのが見える。 こちらも苦笑しながら振り返すのだが何だかまんまと相手の術中に嵌ったような気がして、向こうで、今日はこれで30人目だわ、とでも笑いながら言われているような気もしないではない。 それならこっちでも、こんなもの作らずにその時間実際にこんなことしてればよっぽど性産的で楽しいのに、、、、と思うのだが、それにも飽きたからねえ、と言われそうでぼそぼそとそんな思いもカメラの小袋にカメラと共にしまいこんだ。

そのあと一緒に雪道を歩いている家人に、あれにはどんなタイトルをつける、と振ったのだが、さすが女性ではあからさまな答えは差し控えられるのか返ってこず、自分の頭の中では White Shot とか Hot and Cool とかいうようなありきたりの物しか出てこず、そのうち思いは翌日の飛行機が飛ぶかどうか、予め知らせてあったグルテン抜きの特別機内食がどんなものかというような方に向かったのだった。

スーパーで粗相をしてしまったのだが、、、

2011年01月28日 15時14分34秒 | 日常

ちょっと急いでいてスーパーのレジで小さなベルトコンベアーに買ったものを並べようとしていた。 別段たくさんの買い物でもなかったのだが晩飯の支度とその後の予定があったから心急いていたのだろう。 先ず、キャットフードの缶詰を二つ置いてそのあとフロアに置いた買い物籠から料理用の安赤ワインをかがみながら立ち上がりざま壜の口を持ってコンベヤーに乗せようと移動させたのだがワインの底1cmほどがコンベヤーの金属製枠に当たったのだろう。 チンと軽い音がしてコンベヤーに置こうとしたワインの壜の底が抜け700ccほどの赤い液体がこぼれ散りキャットフードの缶が赤い液体の中に浮いた。 手には空の壜が残り、買い物籠の品には被害が行かなかったものの黒いズボンを通して冷たいものを感じて、また、あたりには赤ワインの香りが広がってしばしの非日常空間となった。 広がった香りのなかには特別なものが嗅覚に感知されるわけでもなくごく普通の香りとアルコールだけでこれも値段に応じたものだった。 こんなところでもワインの質が分かるというのは普通こんな風にはワインを嗅がないし、一度そうなってみると急に広がった液体と香りの中でこれは確かにワインではあるが別にとりえのない、これでは何か物足りないようなところもあるからだ。

そのとき、あれま、とレジの娘が言い、呆然と底の抜けた壜を持ってあたりの匂いを嗅いでいる風でもある老人に、あ、そのまま、今係りを呼ぶから、と声をかけ、私の後ろに並ぶ客には手早く隣のレジを指差し誘導し、新しいワインの壜とキャットフード二缶をとってきていただく間に処理しますからと私をそこからそれぞれの棚に行かせ、てきぱきとマイクで他の店員を呼んでこのレジのベルトコンベアーは空瓶とキャットフードを充分な液体で浸したまま閉鎖された。

このレジの娘は何時もてきぱきと仕事をし不必要なことは喋らず謙虚で明るい。 もう何年もここに来ているので互いに顔は認めているもののそれ以上は軽いやり取りのほかはレジの娘とオジサンというだけのことなのだがこういうときに人の性質が出るようだ。 こちらも不必要に謝らず双方ごく事務的に処理し、何事も起こらなかった風に事は進み、他のレジで支払いを済ませて出るときに巨漢の支配人と若い男の店員が何枚もの吸引性の強い布と洗剤で掃除しているのが見えたので電気系統に支障がなければいいんだけどね、とレジのオバサンにいうと、大丈夫よ、よくあることだから、と多少の気休めを言ってくれたのだった。


日本から戻って想った事

2011年01月27日 14時30分53秒 | 日常

慌しく日本から戻った。 今回の帰省の目的は日本の家族の様子を窺いその近い将来への準備、その一つだけでそれが何とかうまく行けば後はゆっくり久々の日本で長らく逢うこともなかった友人達に再会し、行き当たりばったりの小旅行を楽しむことになるはずだったのだったがその結果は殆ど人とも会えずゆっくりすることもなく過ぎてしまった。

帰省早々体調を崩し2,3日寝床のなかで暮らすことなり、恒例の近所の寺で百八つのうちの一つも鐘を撞けず、また地元の神社の初詣にも行けず正に文字通り寝正月だった。 それが明けたと思えば年寄りが肺炎間際の風邪をひき寝込んでしまい、今回三週間ちょっと滞在のうち真ん中の一週間以上を毎日その年寄りの点滴のため診療所まで付き添い、自宅ではその介護となり、当初とは大分あてが外れたのだが、しかし今振り返ってみると当初の目的をそこから大分通り過ぎて初めに見越していた2,3年分までも慌しくこなしたのだからまあ上出来としなければならないだろう。 その分全てが駆け足だった。

このことで日本の老人医療、保険制度、年金に介護施設などについて慌しく経験することになり、家の整理についても時間切れながらなんとか見通しがついて、この夏の二ヶ月ほど再度帰省して目鼻をつける算段がついた。 日本の夏は30年経験していないから寒冷のオランダから移動するとその湿気と暑さに参るのではないかと今から何らかの準備、体調を整える方策を立てないといけないだろうと考えている。

大阪では雨にあうこともなく陽射しがあり、北ヨーロッパとの差を今更ながら感じたのだった。 ものの本によると日本は北ヨーロッパの三倍の日照時間だというそのことが今更ながら実感され、日常の買い物の合間に2時間ほどあたりを歩きまわることも何度かし、もう40年以上歩いたこともないところに行き当たりその変わりように唖然としたことも再三だった。 

よく通った近くのショッピングモールではいろいろな人を眺める、とりわけ10代、20代の人々に眼が行ったのだが、そんな時壮年の男の数が圧倒的に欠落しているのは明らかだった。 老人と女子供が目立った。 とりわけ自分が日頃住むオランダと比較してもここでは老人の姿が圧倒的に多いように感じたのだ。 他の国に比べて益々進む日本の老齢人口の増加を実際に見た様に感じる。 それは別の国から急に日本に来たからそう感じるので日本に長く住んでいるとそれが普通のことでどうということもないのかもしれない。

いろいろな場所で店員の対応、その言葉遣いのマニュアル化された丁寧さにとまどった。 特に大型店舗、チェーン店での店員の自動的な対応にはその言葉の丁寧さは客に届くというよりは頭を通り越して壁の後ろの雇い主に向けて響いているように感じたのだがそれもあながち外れていないように思うがどうだろうか。 それに若い男の店員のやさしく、なよなよ手前の姿が目立った。 女性店員の対応、仕草を真似ているようでこの10年ほどの若い男性の中性化、草食系化、女性化が進んでいるの見るようだった。 女性ホルモンが増加すると金玉が驚くほど小さくなるのは事実である。 そういえば細いズボンの前には盛り上がるものが顕著ではないようだしテレビに見える若いイケメンたちの対応でも草食化が進んでいるようにも見えるのだが果たして日本の若い女性達が真に求めているのはそういう姿ではないのではないか。 それについての社会心理学者の意見があれば聞いてみたい。

10年ほど前に地元の役所の社会福祉課で老人医療、介護のことを尋ねたときに北ヨーロッパの水準からすると殆ど何もないと言われ乏しい資料しか与えられなかったものが今は田舎の村から半径10kmほどの介護施設をネットで拾ってみても両手で余るほど見かけられることは帰省前に承知していたものの実際役所に出かけ担当者と話してみると様々な仕組みができていて既にそれが動いていることを説明され、実際地元の介護担当の人に手助けされ何箇所か見学をすることが出来てこの10年のあいだの変わり方に驚いたけれど、これが現実に対応しなければ大変なことになるからという動きであり、更にこれから質、量とともに進むことが見越されているという担当者の説明に、前述の街中に見る年寄り達の数の多さからもそれは納得のいくことだった。

滞在中にオランダの家人とも電話でこのことを報告しあったなかで奇しくもオランダでも舅姑の介護老人ホーム行きの話が進んでいることを知ったのだった。 これは世界中どこの家庭でもあるときには直面しなければならない事柄であるのだがそれが自分の身の上に起こるとなると俄然事態は緊張する。 予行演習は何度やっても充分すぎることはないけれど今回は予行演習なしの本番でありあせりもし、その慌しさには参った。

オランダに戻ってから日本で撮った動画、画像などをカメラからPCに移そうとしてもうまくいかない。 どこかのスイッチが日本で買って置いておいた i-Mac を操作した際に作動してそのままになっているのだろうが i-pod nano も動かずこれにも参っている。 だから今回の画像は12月の雪の夜中に屋根裏部屋から覗いた雪景色を貼る。 オランダの今は大阪と同じように雪もなく寒くもない青空がたくさん覗く麗らかな一月下旬である。